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「じゃあ、後片付けは、カナ坊頼むな」
「うん。史狼のパートナーはそのくらい出来なきゃね。お疲れ様、飯垣さん」
飯垣はそれに笑顔で頷いて、立ったまま動いていなかった田城の背中を押して部屋を後にした。玄関ドアの閉まる音が聞こえる。
「食ったら帰れよ、叶都」
飯垣が用意してくれた食卓を目で指して、史狼がため息を吐く。
「うん。飯垣さんのご飯美味しいよね」
叶都は史狼の向かい側に落ち着いて、いただきます、と手を合わせる。その様子を見ていた史狼が一緒に用意されていたビールに手を伸ばしながら、そうだな、と頷いた。
「あいつは、元料理人だからな」
「知らなかった。だって、ずっと居るから、初めからこっちの人だと思ってた」
叶都が目の前の皿に載るチキンソテーを口に運びながら驚く。飯垣は叶都が史狼のことを知った頃からずっと史狼に付いていた。だからこそ、今でも叶都のことを『カナ坊』と子どものように呼ぶのだろう。
「初めからなんて……この家に生まれなきゃ、初めから極道なんてないんだよ」
小さく笑いながら史狼が答える。その辛そうな顔が叶都は好きではなかった。史狼は、この家に、極道の家に生まれた事を疎んでいるようだった。家の仕事をするようになってから、史狼の笑顔は極端に減っていて、それだけでもどれだけ不本意なのか、叶都にだって分かっていた。今日だって、何度も叶都がバカな事を言っているのに一度も笑ってくれない。
「……史狼は、この家、嫌い?」
「好きも嫌いも……初めからあるものに感情はないな。そんなことはいいから、早く食え、日が変わるぞ」
史狼がちらりと壁に掛かっている時計を見上げる。確かにそろそろ十二時になろうとしている。
「明日も学校かー。史狼も仕事だよね」
「分かってるならさっさと食え」
史狼がまたビールを飲む。さっきから料理には手を付けていない。きっと今は仕事が忙しいのだろう。こうしてほぼ毎日押し掛けているので、史狼のことは大分、分かるようになってきた。食事が進まない時は、好ましくない仕事をしている時だ。
「仕事っていえば、さっきの田城さん、珍しく焦ってたね」
叶都がちらりと史狼を見やると、その表情が険しくなる。今、史狼と自分の間に壁が築かれた。史狼の、これ以上入ってくるなという合図は、いつの間にか覚えた。それが叶都にとって、とても辛い事だった。けどここで踏み込んでもいい事はないということも学んでいる。叶都はしばらく考えてから、話題を変えようと口を開いた。
「ねえ、ところでさ、田城さんっておれのこと、嫌い?」
田城も役職は若頭補佐に当たる。けれど叶都と初めて会ったのは、一年前、史狼が若頭になった時だ。主に史狼の仕事の補佐をしているようだが、叶都と会話はほとんどないし、時々こちらを汚いモノでも見るような目で見ていることも、叶都は知っていた。
飯垣が言うには田城は『極道』というものに誇りを持っていて、特別だと考えているから、叶都のような『一般人』が組の中心である若頭に不遜な態度をとっているのが気に入らないのだろう、という話だ。
それでも他人にどう思われようと史狼の傍を離れるつもりはない。
「どうだろうな。お前はいつもうるさいから」
「えー? 何それ、うるさくないですー。大体ね、史狼がおれと会話しようとしないから、こっちがたくさん話すことになってるんだよ。史狼も、ちゃんと話してよ」
ぷ、と頬を膨らませると、史狼が表情を柔らかくする。それでも、やっぱりうるさいからだろうな、と返すので、叶都は余計に拗ねた顔をした。
「もー、田城さんがおれのこと嫌いだって言ったら、史狼にも責任あるんだからね」
「なんだ、それ。くだらない話はいいから、早く食え」
史狼はそう言うと自分も箸を取った。それから史狼用に作られた鶏肉のスモークを口に運ぶ。それを見て、叶都は小さく息を吐いた。
史狼はそれを一瞥したが、何も言わずにゆっくりと食事を続けた。
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