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『カナはね、大きくなったら、しろーちゃんと結婚するの。しろーちゃん、約束だよ』
いつも、これは夢だと分かるお決まりのフレーズがある。この言葉は、矢木叶都が十年前に言った言葉だ。
『カナが大人になっても、そんなこと言うようなら貰ってやるよ』
そう言って大好きな顔で笑ってくれるのは、八歳上の戸狩史狼だ。
あの時はそんなことを言ってくれたのに、夢の中では今でも優しいのに、十年経った今は、こんな笑顔をほとんど見ることがなくなっていた。
「史狼、結婚しよう!」
外から玄関ドアを勢いよく開けて開口一番にそう告げた叶都は、中で框を上がりかけていた史狼に笑顔を向けた。
「……叶都、お前また家の前で張ってたな?」
帰って来たばかりの史狼が怪訝に振り返りため息を吐く。叶都はそれに負けず、笑顔で首を振った。
「違うよー。おれのバイトの帰りと、史狼の仕事の帰りの時間が同じだけ。お隣さんなんだもん、わざわざ来てるわけじゃないよ」
叶都が微笑むと、史狼はため息を吐いて靴を履き直し、こちらに近づく。
黒い光沢のあるスーツに、濃いブルーのネクタイをした史狼は、この十年で随分険しい顔をするようになった。前は下ろしていた前髪も今は後ろに流していて、キレイな顔だちが良く見えるせいか黙っていると冷たい印象を与え、歳よりも大人に見える。前から女にはモテていたが、ここ数年は時々キツイ香水の匂いをさせて帰ってくるようになった。
「……嘘だな」
史狼が叶都の鼻先を摘まむ。本当は家の門の前で三十分ほど待っていたので、冷えた鼻先は突然摘ままれて少し痛い。
「らって、あひたかったんらもん」
涙目で史狼を見上げると、史狼は短くため息を吐いてから手を離した。そのまま何も言わずに家の中へと入っていく。
「だって、会いたかったんだもん!」
もう一度、その背中に言うと、史狼が立ち止まる。
「そんな冷えた体のまま帰したら、矢木の小父さんに申し訳ない。温まったら帰れよ」
史狼はそのまま廊下を歩いてリビングへと向かう。叶都はそれに頷いて、靴を蹴る様に脱いで史狼の後に付いた。
あの約束をした日から、変わったことはたくさんある。けれど史狼のこんな何気ない優しさは変わっていないのだ。だからこそ、ずっと好きだと言える。
リビングに入ると、お疲れ様です、と言う声が聞こえる。そこに居たのは、眼鏡を掛けた頭の良さそうなスーツの若い男と、大柄でスキンヘッドの男の二人だ。
どう見ても堅気ではない雰囲気の二人は、本当に堅気ではない。
「若、カナ坊、おかえりなさい」
スキンヘッドの男は飯垣といって、若頭補佐に当たる。彼は史狼の食事や家事も手伝っていて、叶都もよく知っている。
「飯垣さんもお疲れ様」
「聞こえてたよ、カナ坊。今日も見事にスルーされてたな」
「史狼は素直じゃないからねえ。史狼が言ったのに、おれが大人になったら結婚してくれるって。おれ、もう二十歳なんだよ」
キッチンに立って作業している飯垣に向かい合うように立った叶都がカウンター越しにふてくされた顔をする。飯垣はそれに笑ったが、言ってない、という静かな、でも鋭い声が飛ぶと、途端に口をつぐんだ。飯垣にとっての上司、つまり若頭である史狼の声だったからだろう。
「大体、男同士は結婚できない。叶都、本当に大学生か?」
「じゃあ、初めに恋人になろ?」
振り返ると、ラフなスウェットと綿のパンツに着替えた史狼が不機嫌な顔でこちらに近づいてきた。
「あのな、何度も言うが……俺は極道だ。お前はいくらお隣さんでも堅気だろう? 本当なら、こんなふうにここに出入りするのも良くないんだ」
住む世界が違う、と史狼がため息を吐いて、ダイニングチェアに座る。その様子を見ていた飯垣が、食事にしますか、と聞いた。史狼がそれに頷く。
「住む世界って史狼よく言うけど、一緒だよ? 現代日本でしょ。あ、ちなみに今は恋愛も多様性の時代だからね、男同士だからなんて言わせないよ」
叶都が史狼の傍で仁王立ちして言い切ると、飯垣が笑いながら食卓に皿を並べた。
「確かにカナ坊はイケメンに育ったよな。身長も若を抜いたし、性格も明るいし、人懐こいし、モテるだろ?」
「わかってないなー、飯垣さん。何人にモテても、たった一人に愛されないと、ホントのいい男じゃないんだよ。だから、史狼……」
期待を含んだ目で史狼を見やるが、史狼はため息を吐いてから、リビングの片隅で待機していた田城に視線を向けた。
「田城、さっきの話、明日の朝聞く。飯垣も、準備が終わったらあがってくれ」
「若、しかし早急にご判断された方が……」
史狼の言葉に、田城がこちらに近づき眉を寄せる。きっと何か話があってここに来ていたのだろう。いつもは史狼の自宅まで田城が付いてくることはない。
そんな田城の肩を飯垣が叩いて、先にあがれ、と小さく伝えてからこちらに笑顔を向けた。
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