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<9・少年。>
研究室。そう言うから、もっと無機質な部屋を想像していたのだ。
ところがエミルの目の前に広がったのは、あまりにも予想だにしていなかった光景である。
壁も天上も真っ白な広い部屋。室内は中央で二つに区切られているようだった。真ん中の敷居を作るのは分厚い硝子の壁だ(少々砂ぼこりで汚れていなければ、そこに硝子があることに気付かなかったかもしれない)。
硝子で仕切られた手前のエリアは、白い床も壁もボコボコに穴があいてしまっている。爪痕のようなものもあれば、巨大な足跡のようなものもある。そして、天井の一部が崩落しているとなれば――さっきの怪獣のようなモンスターが実体化して暴れた影響なのは明らかだろう。
――これは……。
壊れた白い床には、よく見るとうっすら青い線のようなものが引かれているのがわかる。これは、魔法陣だろうか。そして魔法陣の真ん中には、焼け焦げて枠しか残っていない絵画のようなものが残されている。魔法に詳しくないエミルの眼にも、それが“何らかの媒介であったのでは”と想像するには十分な位置取りだ。
そして。
硝子の向こう、こちらに人が来たことにも気づかない様子で――こちらに背を向け、一心不乱に絵を描き続ける黒髪の少年。エミルはゆっくりと近づいていき、そして気づくのだった。
硝子の向こうの部屋には、何枚も何枚も油絵が飾られている。もしやあれら全てが、この少年の作品ということなのだろうか。
「こらこら、オスカー!花嫁が来たというのに、振り向きもしないとはどういうことか?ここを開けなさい」
「!」
バイロンがとんとん、と硝子の壁を叩く。よく見ると、壁の一部には四角い切れ込みがあった。そこがドアということなのだろう。
ノックを受け、さすがにこちらに気付いたらしい少年が振り返る。そこで、初めてエミルは彼の顔を見ることになったのだが。
――う、うわあ……!
バイロンも美しい顔をしていたが、絵を描いていた少年も目が覚めるほどの美貌の持ち主だった。艶やかな黒髪に抜けるように白い肌、まるで宝石をはめ込んだような群青の瞳。睫毛は驚くほど長く、唇は薔薇の花が咲いたように淡い色に染まっている。
大きな眼をさらにこぼれんばかりに見開く少年は、まだ十歳程度の年の頃にしか見えなかった。首も肩もほっそりしていて非常に華奢で、中世的な顔立ちもあいまって少年というより少女のようである。問題は。
――い、今、オスカーって言ったような!?
オスカー。それは、自分がこれから結婚する相手の名前、であるはずである。
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