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「それに……それに姉貴は、一人でクマに襲われた俺を助けてくれるような人なんだぞ。俺の命の恩人だ。優しくて勇敢なんだ。あのクマに困ってたのは町の人も同じじゃん。町の命の恩人でもあるのに……なんで……」
それは、エミルが七歳、弟が六歳の時の話だ。山から降りてきたクマが飢ええて大暴れし、農作物どころか人間まで喰って被害を出したことがあったのである。
あの時のことは、今でも生々しく覚えている。とにかく体が大きくて、頑丈な柔毛で銃弾さえも弾き飛ばすようなクマだった。猟銃も刃物も一切きかず、皆がただ怯えて家に閉じこもるしかなかったのである。
だが、そもそも町の住人から冷遇されていたエミルたち一家には、クマの情報がすぐ降りてこなかったのだ。
ゆえに買い物に行った先で、エミルは弟と一緒にクマに遭遇し、そして。
――私は一人で、クマに立ち向かった。
七歳とはいえ、エミルの膂力や身体能力はそこらへんの子供とは比較にならないものだった。成人男性の十倍はパワーがあったと言っていい。
クマと格闘し、その目を抉り、腕をへし折り、首を折って倒した。他でもない、愛する弟の命を守るために。
無論その代償は大きく、エミルも相当な怪我をすることになったし――その様を遠巻きに見ていた人達からはますます“鬼の再来”と恐れられるようになってしまったのだけれど。
「……お父様」
エミルは考えた末、口を開いた。
「その婚姻を受けたら、我が一族に何かメリットはあるのでしょうか?例えば、国から大きな援助を受けられるとか、爵位を与えて貰えるとか」
「……お前が予想している通りだ。婚姻を引き受けたら、うちの一家は公爵と同等の地位を与えて貰えることになるという。それから、今よりもっと大きな家と、土地、永続的な経済支援を受けられるとも」
「では、それに加えて……町の方々が、我が家を二度と冷遇しないこと、固く町長と国の皆さまに約束していただけますか」
その言葉に、三人は悟ったのだろう。まさか、と父、母、弟の顔に大書きされる。
彼等が自分のことを想って、婚姻に反対してくれていることはわかっていた。それでもだ。
「その政略結婚、お引き受けしようと思います」
エミルは笑った。確かに自分は、政治の道具として使われようとしているのかもしれない。そして、結婚する相手は全く未知の一族。結婚相手の顔もわからない。それでもだ。
「やっと……私にも生まれて来た意味が、誰かに役に立つことができる。その機会が訪れたのですから」
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