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7. 熊さんに質問
母さんを病棟の入り口まで見送って手を振った。病室にはまっすぐ戻らずに廊下を歩く。
中学生はまだ小児科らしい。
同じ病棟には生まれたばかりの赤ちゃんから、僕みたいな中学生までが混在していた。
最近は風邪もひかないから知らなかった。
赤ちゃんの頃から入院するなんて、知識としては知ってたけど、目の当たりにすると衝撃的だ。
大部屋のガラス越しに、柵のついたベッドが並ぶのを眺める。
廊下に一番近いベッドには、点滴の入った腕を包帯でぐるぐる巻きにされた赤ちゃんが寝ていた。
点滴さえ無ければ普通の赤ちゃんだ。
隣の部屋には幼稚園くらいの子達がいる。
不思議だ。
普通の生活では全然意識しなかったのに、ガラス一枚隔てたところに病がある。
手術した僕も同じか。
救急車に乗ったり手術するなんて思いもしなかった。
病が側にあるように、死もまた近くにあるのだと知った。
僕と一緒に育つはずだったもう一人は、小さな歯になって消灯台の上にいる。
――もう一人がいなくなった時、父さんや母さんはどう思ったかな。
どうしてもう一人は死んだのだろう。
双子だから?
僕が奪ってしまった?
今回メモを残したりお腹が痛くなったのは、呑気に生きる僕に何かを知らせたかったんだろうか。
「お、元気かあ?」
大きな声に振り返れば、手術を担当してくれた医師が立っていた。恰幅がよく、口周りの髭も相まって熊さんみたいだ。
「お母さんには手術のこと一通り説明したんだけど、聞いた?」
「はい」
「見た?」
こういうの、と熊さん医師はその大きくて太い指で、小さな丸を作った。それでもあの歯より大きいのが可笑しい。
「あ……なんか歯みたいなの」
「そうそう。髪の毛も入ってたよ」
「へえ」
「何か質問ある? 突然の手術だったし、聞きたいことあるんじゃない?」
廊下で? と思うが仕方ない。
忙しいのに声をかけてくれたんだから、その配慮に甘えよう。
「……僕のせいで、双子じゃなくなったんですか?」
「ん? どういうこと?」
「双子だったのに一人だけ死んだのは、僕がいたせいかなって」
熊さん医師は何度か瞬きをした。口元の髭を少しいじると、ついておいでと歩き出した。その背中を追う。
案内されたのは、病棟の端にある小部屋だった。
パソコンが一台乗ったテーブルに椅子が四脚、ホワイトボードで埋まるくらいの広さだ。
熊さん医師がパソコンに一番近い席へ座った。向かいにかけるよう促されて僕も座る。
「さて、話そうか。蒼太君は中学生だから、赤ちゃんがどこで育つとか、どうやって大きくなるかは習ったかな」
頷く。覚えてるかはあやしいけど。
「じゃあ赤ちゃんがお腹の中で育とうとしても、出来ないことがあるのは知ってる? 流産って聞いたことあるかな」
「なんとなく」
「これはね、どんな赤ちゃんにも起こりえるんだ。君のお腹の中にいた子も同じだよ」
熊さん医師はホワイトボードに“流産”と書いた。
「基本的に妊娠の始めに流産した場合は、亡くなった赤ちゃんは体外に排出されるんだ。双子だとお母さんの子宮や、君のようにもう一人の赤ちゃんに吸収されることがある」
“バニシングツイン”と熊さん医師は書き足した。
「子宮とかに吸収される仕組みはまだ分かっていない。けれどこの時期の流産は、原因が亡くなった子にあるのが多いんだ。染色体異常という。よくお母さんたちは自分を責めちゃうんだけど、誰のせいでもないんだよ。もちろん蒼太君のせいでもない」
ハッとする。
あのミミズ文字は、一度も僕を責めなかった。
「むしろ蒼太君は、ここまで大きくなったのを誇ったらいい。一緒に流産する可能性だってあったんだからね」
――誰のせいでもない。
喉の痛みは引いてきても、小骨が刺さったみたいな違和感が残っていた。
けれど熊さん医師の話が終わる頃には、すっかり消えていた。
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