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今日はいつもより濃いめにチークを乗せた。
ほんのり色づいた頬は、ぱっと顔を華やかにする。
さて、と私は先日購入したほくろを描くためのリキッドを手に持った。最後の仕上げだ。すぐに取れてしまわないように、ウォータープルーフタイプにした。
右の目尻の下に、小さめにぽつんとほくろを描く。
よし、完璧。
鏡に映った顔は、我ながら上出来だった。
立ち上がって、部屋の角にある姿見で全身をチェックする。
よそ行きのワンピースは深い紺色だ。裾に大柄のレースが施されていて、上品さと可愛さを兼ね備えている。
セミロングの髪はハーフアップにした。
うん、なかなか良いじゃない。
鏡に向かって笑ってみせる。少し笑顔が硬い気がした。
まあ、これくらいのほうが良いかもしれない。
昨夜から宿泊していたビジネスホテルを出て、地下鉄に乗る。目的地のシティホテルまでは、3駅でつく。
真っ暗な地下を走る電車の窓に映った自分は、他人のようだった。
煌びやかな階段を上り、二階フロアに行くと、すぐに部屋を見つけられた。
『京泉中学校3年C組同窓会』
受付をしている女性と目があったが、反応が鈍かった。
どうやら私が誰か分からないらしい。仕方がない、中三ぶりということは十年会っていないことになる。この年頃の十年は大きい。
「久しぶり」
私から声をかけると、取り繕った声が返って来る。
「本当、久しぶりだね。あ、こちらにご記入お願いします」
受付簿とボールペンを差し出して来た。
ペンを受け取り、名前を書いていると、彼女の視線を感じた。
私はそれに気づかないふりをして、お願いします、と受付簿を返す。
さあ、楽しい同窓会のはじまりだ――
会場は結婚式の披露宴を行えるくらいなかなか豪華な部屋だった。
立食パーティー形式で、三方を囲むように、ドリンクや軽食が並んでいる。
部屋に入ると、その場にいる同窓生たちが次々と私を見た。
しかし、それはすぐに戸惑いの視線へと変わる。受付の子と同様、みんな私が誰なのか分からないのだ。
仕方ない。私は一番近くにいた女子ふたりに自ら近づいた。
「久しぶりだね」
すると、彼女たちは目を泳がせた。口々に久しぶりと言ったあとの言葉が続かない。
「あれ、もしかして覚えてない?」
誰も分からないなら意味がない。
「私、さくら……小塚さくらだよ」
そう打ち明けると、会場がざわついた。ひそひそと聞こえないように耳打ちし始める同窓生たち。
まあ、そうなるよね。まさか私が同窓会に来るとは夢にも思わないでしょう。
「あっ……小塚さん……。久しぶり」
ようやく本物の『久しぶり』だ。
「うん。ふたりとも元気にしてた?」
私が聞くと、あいまいに肯定する返事が返ってくる。
「ちょっとドリンク取ってくるね」
私はそう断ってからふたりから離れた。
そして、改めて見渡す会場。すでに3、4人のグループがいくつもできあがっている。
さあ、どこに居るかな、お目当ての彼女たちは。
同窓会ならではで、みんな面影はあるものの当時とは外見がだいぶ変わっている。
スパークリングワインの入ったグラスを取って、もう一度場内を確認する。
さっきまで私のことでこそこそ話をしていた子たちも、さすがにもう私を見ていなかった。
ただひとつのグループをのぞいては。
女3人。同窓生たちの中でもひときは垢抜けていて目立つ集団だった。
私はそのグループに近づいて行った。
彼女たちは私に気づくと、背を向けるようにした。
「みんな、久しぶり」
私はワントーン声を高くして声をかけた。
さすがに背を向けっぱなしというわけにはいかないだろう。3人は私のほうに振り返った。
「ああ……さくら。久しぶりだね……」
3人の顔に浮かんだ笑顔の裏には、それぞれ性格の違いを表していた。
活発で、いつもみんなの中心にいた美咲は迷惑そうな愛想笑いを。
いつも美咲にくっついていた美人の千絵は、どこか怯えた顔を。
お洒落に人一倍敏感で、気の強い陽葵は、好奇の目を。
「さくら、雰囲気変わったね。今は何やってるの?」
陽葵が聞いてくる。千絵が、やめなよ、と陽葵のブラウスの袖を引く。
「今は東京のネクスト広告で働いてるよ」
すると、3人とも意外そうに目を見開いた。と同時に、どこか意地の悪い本性が見え隠れするのは気のせいではないだろう。
「えっ! ネクスト広告って大手じゃん。有名企業のCMとかたくさん担当してるんだよね」
「すごーい! 高校は通信制って聞いてたけど、良い大学入れたんだね」
「でも、今も実家に居るって噂で聞いたんだけど」
来た来た。
気になるだろう。自分たちがいじめた結果、引きこもりになった女の現在が。でも、私の話はもういい。
「ねえ、みんなは今どうしてるの?」
私が話を振ると、まず美咲が声を上げた。
「私は大阪の商社勤務で。陽葵は神戸にあるアパレルブランドで働いてて。千絵は……来月、外務省勤務の彼氏さんと結婚するんだよねー」
鼻高々に報告する美咲に、千絵は照れ笑いするが、3人とも自分の今居る地位に誇りを持っているように見えた。
これは都合がいい。
そこから落ちてもらいましょうか。どん底に――
「へえ。みんなすごいね! ね、写真撮ってあげるよ。私、カメラ趣味なんだ」
私はポシェットに忍ばせておいたデジタルカメラを出す。
「そう? じゃあ、撮ってもらおうかな」
3人は途端に前髪を触ったりと身なりを気にし始める。
いくら化粧やドレスで着飾っても、内からにじみ出る性格の悪さは隠しきれないというのに。
「じゃあ撮るよ~。はい、チーズ」
シャッターを切る。
良く撮れている。かつていじめっ子だった女たちの醜い姿が。
さてと。次は、あの男のところに行こうか。中西仁、もうひとりのターゲットだ。
男子のほうがあの頃の顔がそのまま大人になっただけで、見つけやすかった。
数人の輪の中にいた中西仁は、私の視線に気づくと、輪から離れて自ら近づいてきた。
ちょっと、というふうに手で部屋の端に来るよう合図してくる。
私は彼に従った。
近くに来た中西仁は、スーツのよく似合うスマートな大人だった。左手の薬指には真新しい結婚指輪がひかっている。
「中西くん、結婚したんだね」
「うん、まあ……去年ね。授かり婚ってやつだよ……」
それはそれは。家族共々、地獄に落ちてもらいましょうか――
中西は周囲に人がいないことを確認すると、ごめん、と言った。
それは、私にとって予想外の言葉だった。
「小塚が学校に来なくなってから、俺、ずっと後悔してた」
この男こそが、いじめの原因をつくった張本人だ。
3年の春、突然、中西仁に告白された。
なんの前兆もなかった告白に戸惑った。だから、その場で答えることはしなかった。
その後、仲良しグループのひとりである千絵の好きな子が中西仁と知った。千絵と特に仲の良かった美咲は手のひら返しするように、私を無視するようになった。すぐに千絵と陽葵もあとに続いた。私はグループから追い出されたのだ。
追い出された私の行く先はどこにもなかった。クラス中が私を無視するようになった。
それからすぐに、中西仁の告白が男子たちの悪ふざけの一環だったことを知った。それならば、美咲たちは自分を許してくれるかもという淡い期待は簡単に打ち砕かれた。
彼女たちは、私をあざけ笑うようになったのだ。
無視されるだけなら耐えられたかもしれない。それなのに、どんどん状況は悪くなった。教科書がなくなった。お弁当の中身がゴミ箱に捨てられた。ゴミ箱から見つかった教科書には、私を否定する言葉がびっしりと書かれていた。
クラスのSNSには、根も葉もない噂がかき込まれた。パパ活をしている汚れた女、コンビニで万引きして警察を呼ばれた……などなど。顔写真付きであることないこと世間に晒された。
次第に学校へ足が向かなくなった。
家を出ようとすると、腹痛で立っていることさえつらくなった。
学校へ行けなくなった私に両親は心配していた。いや、心配というより、レールからはみ出してしまった娘に対する焦りだったのかもしれない。
はじめのうちは、娘を責めることなく守りの姿勢を見せていた両親も、中学を卒業するころにはだいぶ変わっていた。
高校はどうするつもりなのか、少しでいいから部屋から出てきて……と。
いつの間に、その矛先はお互いに向いた。お前が話を聞いてやらないからだ、あなたが仕事ばかりだから……。
3年後、両親は離婚した。家族解散である。あんなに仲がよかったのに。
「そう……じゃあさ、仲直りの記念ってことで、写真、撮ろう」
私は中西を罵りたい衝動を抑えて、笑顔をつくった。今さら謝られても元には戻らない、何もかも。
無事、中西の写真もゲットした。
私はいったん会場を出て、化粧室へと向かった。気持ちを静めたかった。
化粧台に向かってうつむいていたら、後ろから声をかけられた。
「ももか?」
そのなつかしい声にドキリとした。
瞬時に振り返ると、そこにはさくらがいた。
「さくら、どうして……」
私そっくりの顔をした女。違いは右目の下のほくろだけ。私のほくろはメイクだが、彼女のほくろは本物だ。
部屋着にコートを羽織っただけのさくらは化粧もしておらず、このホテルに相応しくなかった。覇気のない表情で、まるで死んだ魚の目をしていた。
私が上京してから一度も会っていない。7年ぶりだ。
「ももか……久しぶり、だね」
さくらが弱々しい声を出す。本当に久しぶり、だ。
私は言葉が出なかった。あの部屋から出て、ここまで来たんだ。どうして――
私が黙っていると、さくらがまた口を開いた。
「お母さんが知り合いから、昨夜ももかを近くで見たって聞いて……もしかして、と思って……。ねえ、ももか、どうしてここにいるの? 私になりすまして同窓会に出るなんて、どうして?」
――そう。私はさくらじゃない。さくらは目の前のこの女だ。私にそっくりな双子の妹。
いじめられて家に引きこもったのは、妹のほうだ。
さくらは私より頭が良かった。さくらは私立の中学へ、私は近所の公立中へと進学した。一緒に近所の中学校に行っていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。あいつらに会わなければ――脳裏に中西や美咲たちの顔が浮かぶ。
「復讐……しようとしてるでしょ?」
「……バレてた? さくらにひどいことしたあいつらがどうしても許せなくてさ」
私は静かに答えた。さくらが誰にどんないじめを受けていたかは、さくらの日記を盗み見たときに知った。あとは卒業文集で写真を確認しておいたのだ。
大人になった美咲たちの写真を撮って、SNSにあることないこと書いてやろうと思っていた。醜くておもしろい話題はすぐに拡散して、止められなくなる。家族や友だちや職場に知られて、地獄に、落ちればいい。
「……違うよね? ももかが復讐したいのは私でしょう?」
さっきまで怯えたような顔をしていたくせに、さくらはしっかりとした声で私に問うた。
ああ……それも、バレてるんだ――
今日、私が撮った写真を使えば、当然SNSに出された情報の出所はさくらだということになる。
もう抑えられなかった。
「そうだよ……あんたのせいで私はいろんなものを失った。あんたが引きこもってから、お父さんもお母さんも私なんか眼中になくなった。結局、お父さんは家に愛想つかして出て行くし、お母さんはアル中になって……全部っ、全部あんたのせいなんだからっ」
そう。さくらの一件で私の人生も一変した。はじめはさくらを社会復帰させようと熱心だったふたりだが、そんな日々は長く続かなかった。
母や娘思いだった父は愛人をつくり私たちを捨てて出て行った。残された母は過度なストレスから酒ににげるようになった。あんなに優しかった母は私に暴力を振るうようになった。
当然、家計は貧しくなった。
私はさくらの胸ぐらにつかみかかった。
「私が……私がどんな目に遭ったか……あんたには一生分からないでしょうね。部屋に引きこもって、なんにもしない、お荷物でしかないあんたには! いつまでも甘ったれてんじゃないわよっ! さっさと部屋から出てこいっ!」
わずかに、さくらの瞳に光が宿った気がした。そして、その瞳のまま、私を見つめ返してくる。
私は思わず、手を緩めた。
――もう、いいや。なんか、疲れた。
私の人生を変えた奴らに復讐したいと火を燃やしていた心が、急に沈下されたように灰になった。
ずっと憎らしかったはずなのに……実際に顔を突き合わせたら、おもしろいくらい私の顔をしたさくらがそこにいた。
私は、いったい誰に復讐したかったんだろう。
「帰る。東京に」
肩にかけていたポシェットをさくらに押しつけて、私は化粧室を後にした。
そういえば、とふいに後ろを振り返りたくなった。さくらは、引きこもっていた部屋を出たのだ。今日、私を止めるために。
なんだ――出られるんだ。私は一体なにに縛られていたのだろう。
やっと、言いたかったことを言えた。十年間、胸にしまっていた思いが解き放たれた。
もう、解放してあげよう。さくらも、そして自分も。
心に重くのしかかっていた重しが灰になり、急に軽くなった気がした。この感じ、久しぶりだ。
カツ、カツとならして歩くヒールの音が、なんだか心地よく耳に響いた。
***end***
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