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第一部 弐 安政の大獄
私は一度たりともあの日を忘れたことはない。
あの日も、月の出た美しい夜空が広がっていたのを昨日の事のようによく覚えている。
春川梅華。
それが、その時のわたしの名前だった。
長州の武家春川家で生を授かった私は、武家特有の厳格な父、作法に厳しい大和撫子の見本のような母、優しい祖母、無表情で厳格な祖父の間で育った。
使用人は皆優しかったし、一人娘の私のことを愛してくれていることも幼いながら分かっていた。
数えで16歳になった春のことだった。
「美弥様!美弥様が!」
「源次郎様と雅秋様を呼べ!」
御祖母様が亡くなった。
黒船にペルリが乗って来航してから藩庁に出向き、殿に論文を提出したり話をしたりする御祖父様の手伝いをする御祖母様。元々病弱だったのに無理をして発作が起きるたびに心配な顔をする私に向かって御祖母様は言うのだった。
「今はお国の一大事です。お国を憂う源次郎様の気持ちを一番良く知っているのは私です。ならばできることはすべてやる。それが武家の女の維持でもあります。」
毅然と言い放つ御祖母様に私はかける言葉が分からず、
「はい。心に留めます。」
と、言った記憶がある。そう言うと御祖母様は私を安心させるかのように微笑んでくださった。それが嬉しかったのもある。
そんな御祖母様が亡くなった。長年の持病が祟ったのだ。
「黒船さえ…ペルリさえ来なければ!」
お通夜の日父が一人部屋でこっそり畳を殴っているのを見かけてしまった。そうか。黒船さえ来なければ御祖母様はもう少し長く生きられたんだ。
そう理解した瞬間、異人に対して殺意が湧いた。
護身術として使用人たちからこっそり教えてもらっていたクナイの扱い方、剣術を真面目に取り組むようになった。父上はものすごく嫌そうな顔をしていたが、護身術のためを大義名分に掲げた私を止めることはできなかった。
そんなある日のことだった。
父に隠し子がいたことが発覚したのだ。
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