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第14話
夜になると島の上空には様々な国からやってきた軍用ヘリコプターが沢山飛び始め、住民達は何が起こったのかと右往左往するばかりだったが栗原だけはその状況になった理由を知っていた。
夕方、シニアとスリムが言っていた通り、宇宙船は地球のレーダーに探知されていたのだ。
この島のどこかへ着陸してその後、飛び去った事を知った国々は着陸した地点を突き止めようと軍用ヘリコプターをこの島へ派遣したのだった。
栗原はこの状況なら由紀子を乗せた宇宙船は無事に地球から脱出しただろうとホッとしながら、サーチライトを照らして飛び回るヘリコプターを見ていた。
もし、宇宙船の位置や行先を突き止められているならそれを追跡する事に全精力を使う筈で、すでに何もないこの場所を躍起になって調べる必要もない。
レーダーがどの程度までピンポイントに場所を特定できるのか知らないが、たとえ自宅の庭に着陸したと特定されたとしてもその証拠を発見出来る訳ではないから栗原は心配していなかった。
しかし、由紀子がここからいなくなった筋の通った理由を何か考えなくてはならず、その事に栗原は頭を悩ませていた。
ここは島だから離れるには必ず高速船かフェリーを利用しないとならず、しかも売店にいる由起子は毎日誰かに会う為、昨日まで島にいた事が知られていて下手な嘘はすぐに判ってしまう。
散々考えたが答えが出ないのでとにかく由紀子が昨夜から行方不明になっている事にして、一芝居打つ為に軽トラックに乗り込んだ。
島の人々は沢山のヘリコプターがサーチライトと共に飛び廻る騒ぎを見ようと家の外に出ていて、慌てて探し回る栗原の姿を見せられるから好都合だった。
敷地から道路に出ると1台の軽トラックと鉢合わせ、急ブレーキをかけると向こうも停車したので運転席に目を凝らすと乗っていたのは区長の高橋だった。
運転席の窓を下ろす高橋を見て、
「由紀子を見かけませんでしたか?」栗原が大きな声で言ったが丁度その時、ヘリコプターが真上にきてローターの音を響かせた。
わからない表情でいる高橋にもう一度、今度は怒鳴るようにして、
「由紀子を見かけませんでしたか? 姿が見えないんです!」そう言うと今度は聞こえたらしく、
「こんな時間にかい!」高橋も怒鳴るようにして応えた。
真上にいたヘリコプターが飛び去って普通に話せるようになると、
「由紀子さん、こんな夜中にどこへ行ったんだろか?」高橋は話し、「この騒ぎが何だか分からんから、駐在さんのとこへ行くところなんだ。由紀子さんは何か関係あるのかねえ…」と首を捻りながら腕を組んだ。
「じゃあ、僕も一緒に駐在所へ行きます」栗原がそう言うと、
「いや、理由はわからんが由紀子さんが海にでも入ってしまったらいかん。駐在さんには伝えておくから、あんたはあちこち探した方がいい」
高橋は由紀子が自殺しようとしているとでも考えたのか、心配そうに言って車を出そうとするので、
「では、お願いします。僕はとりあえず海を探してみます!」栗原は頭を下げて反対にハンドルを切る。
車を砂浜のある場所へ走らせながら、高橋が良いヒントをくれたと栗原は思っていた。
考えてみれば、由起子を捜しまわる演技で島の人達や駐在さんは騙せたとしても他の機関には通用しない。
様々な国の軍隊が乗り出している状況ではどんな機関に捜査されるかわからず、こんな小さな島ではたちまち捜索し尽くされ、生きてここにいないことも死んだ遺体がないこともすぐに判ってしまう筈だった。
どの機関も宇宙船の着陸と同じ日に起きた失踪事件を見逃さない筈で不要な追求からは逃れられないだろうが、由起子が入水自殺をした可能性を加えることで遺体が見つからなくても不自然ではなくなる。
栗原は由紀子が自殺したように見せかけることにして軽トラで島中を走り回り、あちこちの岩場や砂浜を探す演技をしながら出会う人に声を掛け続けた。
その途中でバイクに乗った駐在所の警察官とすれ違い由起子がまだ見つかっていないことを告げておいたから、あとは事情聴取の際に最近は色々悩んでいたようだと話すだけだ。
栗原は何かそれらしいものがあれば話のつじつまが合い真実味も出るだろうと考え一旦、家に戻ると由紀子の部屋に入った。
空が白み始めたばかりでまだ薄暗いその部屋に入った途端、笑いながら座っている由紀子の姿が目に蘇り、もうそこには戻ってこないという現実を栗原に突き付けた。
宇宙船の前で別れた時、由起子はジュシスで暮らしたいと望み、栗原は地球にいたいのだから仕方がないと思ったが今は一緒に行かなかったことを後悔していた。
その別れの意味を、東京とこの島に分かれて暮らす時と同じように考えてしまった自分は馬鹿だったと、そして取り返しのつかない事をしてしまったと感じて涙が溢れ始めた。
その部屋にある由紀子の物を見ては浮かぶその思い出で1時間以上泣いていると涙が枯れ、徐々に落ち着いてきた。
思い悩んでいた証拠となるものを探す為、由起子の部屋へ来たことを思い出した栗原はデスクの上の開かれたまま置かれているノートに『ジュニアがいる所へ行きたい』、『ジュニアに会いたい』という走り書きを見つけた。
お腹の子を『辰則ジュニア』と呼び、その腕で抱く日を楽しみにしていたのを知る人が見ればそれは即ち、亡くなった子がいるあの世へ行きたいと読める。
栗原はその走り書きとパソコンの中にある辞表を示し、流産した事と辞めてしまった会社の事で悩んでいたとすれば完璧だと思った。
その後、ジュシスの人がここに来ていたとわかるようなものが残されてないか、家の中とアトリエを確認したが何もなかった。
ようやくホッと出来たせいか寝ずに車で走り回った疲れが一気に出てきて、少し休むだけのつもりでソファに横になった栗原はすぐに夢の中に入っていった。
「うおーぉぉぉーっ!」と、ナイフを振りかざしながら叫ぶ暴漢が栗原の背中に迫ってきていた。
追いつかれないように必死で駆けていた栗原は幸運にもパルパルパル…と軽快な音を立て、エンジンが掛かったままのバイクを見つけた。
飛び乗るようにしてそれにまたがるとシフトペダルを蹴飛ばしてギアを入れ、右手でアクセルをふかそうとしたが硬くて回らない。
どんなに力を入れても回らず、エンジンはパルパルパル…っと、のんきなアイドリング音を響かせるだけだ。
背後の暴漢があと5メートルまで迫り栗原が両手で力の限り回すとボキッと音がしてハンドルが折れ、それと同時にエンジンのアイドリング音がバルバルバルバルバルー!!と、もの凄く大きな音になった。
バイクを諦めて駆けだそうとした時ついに暴漢に肩を掴まれ、栗原は思わず、
「あぁー!!!」という叫び声を上げ、目が覚めた。
「栗原さん、栗原辰則さんですね」栗原は実際に肩を掴まれていた。
庭にヘリコプターが着陸しているのか、夢の終わりに聞いたエンジン音のようなローターの音がバルバルバルバル…とその一帯に大きく響いている。
それが夢か現実か混乱した頭で考えるとすぐに現実だと分かり、自分が特殊部隊のユニフォームを着た自衛隊員に見下ろされていることも分かった。
「栗原辰則さんで間違いないですね」その内の1人が抑揚のない声で訊くので、
「はい。間違いありませんが…」栗原はソファから半身を起こしながら言った。
「色々伺いたい事がありますので、ご同行願えますか?」
口調は同意を求めていたがそう言い終わる前に両側から腕を抱えられ、栗原は強制的にヘリコプターまで連れていかれた。
座席にシートベルトで固定された後、安全の為と言われて被せられたヘルメットは目隠しの代わりなのかシールドが真っ黒に塗られ、景色も何も見えなくなってしまった。
大体の想像はついていたが疑われないように栗原は演技することにした。
「なぜこんなことを? どうして、どこに連れて行くんですか? 妻を探しに行かないとならないんです」わざと慌てたようにして訊くと、
「栗原さん、手荒な事はしないので落ち着いてください。訊ねる事に答えてもらったらすぐに自宅までお送りしますから」先程とは別の声が応えた。
ヘリコプターは40分位飛び続けてどこかへ着陸した。
ヘルメットを被ったまま両腕を抱えられた栗原はアスファルトの上を歩かされ、大きな空間のように靴音が響く場所に連れていかれた。
椅子に座らせられた栗原がその視線を思いっきり下に向けるとヘルメットの隙間からコンクリートのような床が見え、足音や衣擦れの音から10人以上の人がそこにいると感じた。
「栗原さん、突然なのにご同行頂きありがとうございます」新たに聞く男の声がそう切り出し、「昨日のひとはちまるまる時、…失礼しました。昨日の18時、あなたはどこで何をしていましたか?」と同じ男が訊くので、
「その時間はいつもアトリエで作業しています。昨日も5時過ぎ、17時過ぎからアトリエでデザイン画を描いていました」つじつまが合うように考えておいた話をした。
「時刻は5時か17時かのどちらかだけで結構です」男はそう言った後、「その時、奥さんは何をしていましたか?」と続けて訊く。
「その時、由起子が何をしていたかは知りません」栗原がハッキリ言うと男はその言葉を信用したようだった。
「そうですか。奥さんがいなくなったと気付いたのは何時ですか?」再び訊ねてきたので、
「昨日はアトリエに9時頃までいて縁側から家に戻るとリビングに由紀子の姿はありませんでした。自室にいると思ったので声だけ掛けてから風呂に入りました。10時前に風呂から出て1人、リビングで寛いでいましたがあまりにも静かだったので部屋を覗きに行くと、そこに由紀子の姿はありませんでした」
そこまで一気に話した栗原は続けて、
「それが11時頃だから6時間程、由紀子に会っていないので何時いなくなったのか判らないんです」と話し終えた。
「由紀子さんがいなくなる理由として何か思い当たることがありますか?」少し黙った後、再び男が質問した。
「…1年程前に会社を辞めた時、自分はもう必要なくなったんだとかなり落ち込み、それが原因なのか分かりませんがその後、自分が流産したことを悲しむようになりました。売店を任されてからは客と世間話をするようになり、すっかり元気になったのだと思っていましたが今日、部屋で見つけたノートには最近書いたような自分の子への走り書きがあったので、人知れず苦しんでいたのかも知れません」
栗原は話し終えると下を向いて黙った。
男は小声で辞表の事と走り書きがあったノートについて確認しているようだったがそれを終えると、
「昨日の夕方、ご自宅のエリアに宇宙船が着陸したのですが何かの音を聞いたり目撃したりしていませんか?」と訊く。
「デザイン画を描いている時はスケッチブックしか見ていないので…」
急いでいるのか栗原の答えを最後までは聞かずに、
「申し訳ありませんが宇宙船の痕跡を調査する為、ご自宅を捜索させて頂きました。辞表とノートの走り書きはこちらでも確認出来ています」と早口で話し、「その捜索やご同行頂いた理由は国家の安全を守るためで内閣調査室からの指示により執行されました。もし、ご不満があれば官房長官が対応させて頂きますが栗原さん、何か異議を申し立てますか?」男が慣れた感じで説明した。
宇宙人からの攻撃に備える為に法律を超えた措置が講じられているのは予想通りで、家宅捜索についても反論する必要が無かったので、
「捜索について異議はありませんが、妻は誰が探してくれるのですか?」栗原は困ったように演技しながら訊いてみる。
「失踪者の捜索なので基本的に警察の方で探します。しかし、いなくなったのが宇宙船の着陸と同じタイミングですのでこちらでも調査することになるでしょう。何かわかったらすぐにお知らせします。本日はありがとうございました」男が再び早口で言うと数人の靴音が一斉に部屋から出ていった。
そこに残ったのは家の中でソファを取り囲んでいた自衛隊員だったらしく栗原は来た時と同じように両側から腕を抱えられ、ヘリコプターまで歩かされた後、そのまま自宅へ送られた。
庭でヘルメットを脱がされた栗原が見送る中、全員が無言で敬礼をするとヘリコプターは爆音と共に土埃の茶色い竜巻のような渦を作って上昇していく。
空を飛ぶ数機のヘリコプターが停まって見える程のスピードで遠ざかる自衛隊のヘリを追って、視線が敷地の入口の方へ向くとそこでヨシ坊が手招きしているのに気付いた。
「ヨシ坊さん…」栗原がそう呟き近づいていくと、ヨシ坊は何も言わずに自分が乗ってきたタンクローリーの運転席へ上がり、再び手招きをする。
助手席に乗った栗原がドアを閉めるとすぐにヨシ坊は、
「栗原さんが自衛隊のヘリから降りてきたのでビックリでしたよ。奥さんがいなくなったと聞きましたが何があったんっすか? 留守の間にスーツ姿の男達が栗原さんの家の様子を伺っていましたよ…。男達は皆、外国人だったので何だか危険な感じがして、お知らせしておいた方がイイと思って…」と興奮しながら一気に話した。
「そんな男達に心当たりはありませんが…。妻がいなくなった事と関係があるとも思えないし…」考えるようにして栗原は答えた。
「夜中からヘリコプターが飛び交っているし、何が起きたのか駐在さんも知らないらしいんっす」ヨシ坊は人差し指を空に向けて心配そうに言う。
「自衛隊員から聞かされたのは昨日の夕方、この辺に宇宙船が着陸したという事です。それについて色々訊かれましたが僕は見ても聞いてもいないので困りましたよ」口外するなとは言われなかったので栗原はあった事をそのまま話した。
「まさか、あの男達が宇宙人で奥さんは奴らに誘拐されたんじゃ?」ヨシ坊が意外な顔で言う。
「どんな理由で?」栗原が訊くと、
「そうっすよねー。こんな島へわざわざ宇宙から誘拐に来るわけないっすね!」ヨシ坊はそう言って笑ったが、「でも、何か危険な感じがしますよ。充分に気を付けてくださいね」と今度は真面目な顔になって言う。
ヨシ坊は何かを考えるようにした後、
「もし、秘密裏に島を出る必要があるならウチにある古いタンクローリーに隠れてフェリーに乗れば良いです。タンクに入れるように中を奇麗にしておきますよ」小声でそう言うとニヤッと笑った。
栗原が助手席から降りると、
「色々な所へ灯油を運ぶから、奥さんの事をあちこちで訊いてみますよ」ヨシ坊はそう言い残し、タンクローリーは遠ざかっていった。
ヨシ坊が去ると由起子を探す演技を続ける為、栗原は再び軽トラックに乗って出掛けた。
走りながらスーツ姿の男達への対応をどうしたら良いのか考える。
何処かの国の諜報機関みたいな組織が自分から何かを聞き出そうとしているのは想像出来たから、拘束されたとしても何も知らないと言えば良いと思ったが何か疑いを持っていればそう簡単には行かないだろう。
何か聞き出そうとしてもジュシスがどこにあるのかさえ知らないので由紀子やシニア、スリムに危険が及ぶことは絶対にないが万が一にでも拷問みたいな事をされるのは嫌だった。
栗原は考えた挙句、しばらくは車で過ごす事にした。
そうしていれば由紀子をずっと探し続けている姿勢を見せられ、栗原が失踪したと言うのを誰も嘘だとは思わないだろうし、スーツ姿の男達が現れてもすぐに逃げられる。
ふと、やる人がいなくなってしまった売店の事が気になり、それを相談する為に栗原は高橋の家へ向けてハンドルを切った。
高橋の家に着くとちょうど忙しそうに玄関から出てくるところだった。
「栗原さん、奥さんは見つかりましたか?」栗原を見てすぐにそう言う。
「あちこち探しているんですが…」声を落として答えると、
「売店の事なら心配いらんから…、弘子さんが午前中だけ開けてくれるんでね。これから売店で打ち合わせするんだ」そう話しながら車に乗り込み、「そうだ。一緒に来て、手掛かりでも探してみたらどうだろ」気が付いたように言った。
「そうですね。考えもしませんでした」栗原も自分の軽トラックに乗り込んだ。
売店の前に2人が車で乗り付けると既に紫色のワンボックスが停まっていた。
2台の車を見た弘子が運転席から降りてきたので、
「すみません、ご迷惑をお掛けして…」栗原もすぐに車から降りて言い、深く頭を下げた。
「迷惑なんてことはありませんよ。それより奥さんを早く見つけないと…」首を横に振りながら弘子は心配そうに言った。
ガラス戸の鍵を開けて店に入ると高橋と弘子の2人はすぐに急ぎの仕事が書かれているホワイトボードを見に行くが、栗原は何だか分からない違和感に戸惑っていた。
店内が荒らされている訳でも引出が開けられていた訳でもなく、ショーケースやアイスクリームの冷蔵庫の配置も由起子がいた頃のまま変わっていなかったが、店の中が少し歪んでいるように感じたのだ。
栗原がパンのガラスケースの足元に取り付けられたキャスターを確認してみると、前を向いていた。
由起子は店内の配置を一切変えることなく以前のままとし、おばあさんがしていたように正面に置かれた菓子パンのガラスケースの向こう側に座る事まで変えなかった。
その為、客が代金を渡す度にガラスケースが少しずつ押されやがて大きく位置が変わってしまうのを、由紀子はキャスターを横向きにして防いでいたのだが今はそうなっていない。
恐らく、店にあるもの全部を動かした後、元の位置に戻したつもりが少しだけずれているので店内を歪んで見せていたのだろう。
由起子は設計の仕事をしていたから直角や平行に置かれていない事を嫌い、什器の配置にはいつも気を遣っていたから栗原がその事に気付いたのだった。
昨日、宇宙船が着陸してからはまだ16時間程しか経っていないのに店にあるもの全てを動かして調べた上、元に戻していくという離れ業をやってのける組織を想像して栗原は身震いした。
そんな組織なら店だけでなく、全ての部屋も床下から天井裏まで入念に調査しただろうし、売店にあるもの以外の仕事内容や由紀子の素性についても色々な情報を掴んでいるだろうと思った。
売店の方は弘子に任せて帰った方が良いという高橋に促され、栗原が自宅に戻るとすぐに駐在所の警察官がバイクに乗ってやってきた。
スーツ姿の男達がいるかも知れず警戒して車から出られなかった栗原は、さすがに警察官がいる時に襲ってはこないだろうとホッとした。
「栗原さん、奥さんはまだ見つかりませんか?」警察官は開口一番にそう言い、栗原が黙って首を横に振るのを見て、「一応、捜索願いを出して貰わんと警察は動けないので…」と書類を差し出した。
安全の為に今日から車で過ごそうと思っていた栗原は家の中から現金や毛布などを持ち出す必要があった。
しかし、1人ではそれを取りに入るのも危険でどうしようかと思っていたところだったから事情聴取を始めたその警察官を縁側まで誘導し、質問に答えながら様々なものを持ち出して1ヶ月位は暮らせる荷物を軽トラックに積み込んだ。
駐在所の警察官が帰ると栗原はすぐに逃げられるように軽トラックを敷地から道路へ出るためのスロープのすぐ前に停めた。
視界を確認する為にバックミラーを見るとそこからではアトリエが邪魔で敷地の裏手が見通せず、誰かが近づいてもすぐには気付けないので360度見渡せる庭の真ん中へ移動し、スロープへ向けて車を停め直す。
一息ついてダッシュボードの時計を見ると午後1時を示し、見上げるとヘリコプターの代わりにいつものトンビが青い空を廻っている。
その光景を眩しそうに見ながら栗原は昨日の事を思い出していた。
自分は感情のある人間でそれを陶芸で表現出来る場所に暮らすのが幸せだと信じ、由紀子と別れてまで地球に拘った筈だった。
それなのに何処かの組織によって拘束されることに怯えながら小さな軽トラックの中でしか過ごせなくなり、自分は一体何がしたかったのだろうかと思った。
こんなことなら陶芸が出来なくてもジュシスで平和に暮らした方が良かったかも知れないし、それを選んでいれば由紀子やシニア、スリムと離れ離れになる事もなかったのだ。
キラキラ光る海や青い空を飛び回るトンビをジュシスでも見られるかは知らないが地球より豊かな自然があるなら、これ以上の景色がそこにはあるはずだ。
感情が無い社会で生きられるかどうか分からないとしても地球に拘り続けた自分がまるで、住み慣れた環境から新しい世界に踏み出せずにいる臆病者か、古くて使い慣れた道具を最高だと信じ込むあまり新しく高性能なものへ移行出来ない頑固者のように思えて情けなかった。
いつの間にか、うとうとしてしまった栗原が目を覚ますと夕日が海に沈もうとしていた。
あちこち走り回って給油が必要だった事を思い出した栗原はガソリンスタンドが閉まる前に行こうとエンジンを掛けるやいなや車を出す。
車の後ろでダダッと聞きなれない物音がしたのでバックミラーを見ると、慌てたスーツ姿の男が映っていた。
忍び寄って襲い掛かろうとしていたのか、聞きなれない物音は突然走り出した車を追いかけて4人がダッシュした音のようだった。
間一髪でそれを逃れた栗原はそのままスロープを下りて道路に出ると非力なエンジンに鞭打つようにして目一杯アクセルを踏み込んだ。
スロープを下りたところに見慣れぬ黒いワンボックスが停まっているのを目の隅で捉えた栗原はすぐにそれで追いかけてくるのだと思い、タイヤを軋ませてカーブを曲がりながらどこへ逃げようか考えた。
走っている向きにはガソリンスタンドがあり、「逃げる時の為に準備しておく」とヨシ坊が言っていた事を思い出してとにかくそこを目指した。
ガソリンスタンドが近づいてくると道路側にあるポンプの前でヨシ坊がタンクローリーに給油しているのが見え、その裏側に道路から見えないスペースを見つけた栗原は勢いよく車を滑り込ませた。
「追われています!」
タンクローリーの裏側に隠れた栗原は短く叫んだ。
かなりのスピードで飛び込んできた栗原にヨシ坊は驚いていたが給油中の手が離せず、そのままの姿勢だったので追手には何事もないように見えたらしく黒い車は通り過ぎて行く。
ヨシ坊はすぐに修理用のガレージのシャッターを開けると軽トラックを隠し、そこから降りた栗原を給油中だった古いタンクローリーへ導いた。
「丁度、準備を終えた所っす。とりあえずここへ」タンクの上を指差して言うと道路が見える場所へ走り、追手が来ていないか左右を確認すると後ろ手にオーケーを出す。
タンクについているはしごを上まで登ると内部を清掃するハッチが外されているのが見え、そこからタンク内へ入った栗原はしゃがんで頭が出ないようにした。
2分程じっとしているとタイヤを軋ませて停まる車の音がした。
ヨシ坊の声で
「はいー、らっしゃいませーっ!」と聞こえた後、少し高い男の声で
「ここ近くは、他の道ありますか?」たどたどしい日本語が聞こえ、
「小さいのトラック、見ましたですか?」と急かすように言う別の声がすぐに続いた。
「アイ、ドント、ノー!」何故か英語で答えるヨシ坊の声がした。
タンクのハッチが開いていた為に上からは丸見えで、しかもその会話がすぐそばから聞こえたからかなりヒヤヒヤしたがドアが閉まる音がして車のエンジン音は遠ざかっていった。
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