第2話

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第2話

 2、3分で目を開けたつもりだったが腕時計を見ると頂上に着いてからすでに30分経っていて、栗原は自分が眠ってしまった事に初めて気付いた。  焼き窯を修理する予定だった事を思い出して立ち上がると、再びデイパックを背負って広場を後にする。  登山道を下り始め先程、粘土を採取した所に差し掛かると茂みの向こう側から早口で話す声が聞こえた気がして栗原は立ち止まった。  誰かいるのかとしばらく様子を伺ってみたがそれ以上は何も聞こえず、人の気配もないので気のせいだとして再び登山道を下り始めた。  家に戻り、昼食を食べ終えた栗原は焼き窯の修理をしに作業小屋へ向かう。  焼き窯は事前に配達してもらった修理用のレンガが積んである、大きく張り出した屋根の下にあったお陰で長い間使用していなかったが傷んでいるところは少ないように見えた。  窯の修理自体は特に難しい事はなく土が剥げ、割れているレンガを取り除いたら新しいレンガと交換して再び土を被せて固めるだけだ。  栗原にとっては初めての作業だったが積まれたレンガの半分程を使ったところで無事にその工程を終えその後、被せた土を木の板で叩いて固めると古びた窯は現役の頃の姿に戻っていた。  修理を終えた窯をしばらく眺めていた栗原は今日、山で採取してきた粘土をデイパックに入れたまま置きっぱなしなのを思い出し、作業小屋の中へ取りに行く。  粘土が陶芸に使えるのかはまだわからなかったがとにかく乾かす為に適当にちぎって作業小屋の屋根の下に広げて置いていき、それを終えるとすでに暗くなっていたのでその日の作業はそこまでにした。  入浴と夕食を終えた栗原は縁側に座りスケッチブックに陶器で作る物のデザインを思い付くままに描き始めた。  20点程描き終えた所で側に置いていたタブレット端末のテレビ電話の呼び出し音が鳴り始め、その画面に妻の由紀子の名を表示した。  同じ画面上にある時計が19時30分となっているので帰宅した由紀子が掛けてきたのだと思いながら応答すると、 「どう? 今、忙しい?」困ったような顔が映し出されると、すぐに話し出した。 「おつかれ! こっちはのんびりやってるよ」栗原がそう言い終わる前に 「ちょっと聞いてよー。もう、嫌になっちゃうわー」由紀子はいきなり怒った口調になって愚痴をこぼし始めた。 「どうしたんだい? 今のプロジェクトで問題でも起きたの?」こんな展開を想像していなかった栗原が少し驚きながら応えると、 「そうなのよー。『より良いもの造り』とか言っておきながら、私が良いと思う物を提案しても取り合ってくれないのよ…」と怒った表情を変えずに話す。  由紀子は東京の下町にある、その規模が2000戸程の町を丸ごとエコロジーに対応したタウンハウスへ造り変えるという大掛かりな再開発プロジェクトを任されていた。  プロジェクトは勤める会社の受注が決まっていたが、その設計については社内のコンペで優秀なものを採用するという事だったから由紀子は寝ずに作り上げた案でそれに挑んだ。  すると、これまで何度も敗れ続けてきた由紀子の案がついに採用され、実施設計の責任者としてプロジェクトを任されることになったのだった。  しかし、プロジェクトが地方自治体の発注で公共工事として多くの利権が絡み合っていた為、全てを発注者側の要望に合わせねばならならず、指定した設備機器や製造するメーカーをコンセプトを無視してまで変更させられるなど、多くの妥協を強いられるハメになった。  それが予算などの正当な理由によるものならまだしも、その自治体が出資しているメーカーだという理由や政治的に繋がりがあるという理由だったから、常に理想を追求してきた由紀子にとっては受け入れがたいものが多かった。  怒るのも仕方がないと思いながら、これまでそんな事を言わなかった由紀子が永遠と愚痴をこぼし続けるのを聞いて栗原は少し心配になっていた。 「大丈夫? 大分疲れているようだけど…」  話しが途切れたところで栗原が心配しながら気遣うと、 「何度も妥協させられた上、その度に設計変更までしなくちゃならないから部長と衝突することばかりなのよ…」  そう言ってさらに愚痴を続けた後、 「ごめんね。でも、聞いて貰えてスッキリしたわ」ようやく全ての愚痴を言い終えたのか申し訳なさそうに言った。 「気にしなくていいよ。こっちはストレスとは無縁で、愚痴を聞いてあげるくらいの余裕はあるから…。プロジェクトが終わったらこっちに来てガス抜きをすればいい」  栗原がそう明るく言うと、画面の向こうでスマートフォンの呼び出し音が鳴り始め、 「ごめん、仕事の電話が入っちゃったみたいだから切るね。また、かけるから…」そう言う由紀子に突然電話を終わらせられてしまった。  栗原は少しむなしさを覚えたが画面に表示された通話終了の文字を見つめながら、自分が遠くにいてすぐに愚痴を聞いてあげられない申し訳なさを感じていた。    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇   2週間後、山で採取して乾かしておいた粘土をハンマーで砕き、ふるいに掛けてゴミを取り除いた後、バケツの水に浸した。  本来なら、最低でも1ヶ月位はそのまま干しておきたかったがその粘土が陶芸に適しているのかどうか全く分からなかったので栗原はとりあえず使えるようにしておきたかったのだ。  もし、それが陶芸には適さないものならここで陶芸をしていた人は違う粘土を使っていたことになり、栗原は再びその場所を山の中で探さねばならなかった。  作業で身体中がホコリだらけになってしまったのでとりあえず風呂に入ろうと浴室へ向かい、そこにある鏡を見ると土埃ですっかり白髪のようになっている自分がいた。  それを見て最初は笑っていた栗原だったがふと、本当に白髪になる頃、自分は何をしているのだろうかと思う。  何年後に白髪になるのか知らないがもし、生きているとしたらこの島にいるのだろうか、その時の世界はどんな風だろうかと風呂に浸かりながら想像し続けた。  そして、その頃由紀子はどうしているだろうか、先が見通せない今の自分を見限りもう一緒にはいないかも知れないと思うとそれが現実になりそうな感じがして不安になってしまう。  すっかり気持ちが落ち込んだ栗原は風呂から出ると、とにかく腹を一杯にして気分を変えようと夕食を作り始めた。  夕食はいつも沢山買い置きがある乾麺のうどんかそばのどちらかを食べているが、野菜が不足するといけないので庭の隅で見つけたシソの葉を先ずは天ぷらにする。  その後、うどんを茹でながら今頃、由紀子はどうしているだろうかと考えていた。  仕事が忙しいらしくここ数日はテレビ電話で呼び出しても応答せず、夜遅くなってから短いメッセージを送ってくるだけで直接話しをしたのは3日前のテレビ電話が最後だった。  その時に大きな設計変更があったと愚痴をこぼしていたからきっと今頃は尋常じゃない忙しさに追われているに違いない。  食事を終えると試作用にと描いたデザインが納得のいくものではなかったのを思い出し、それを修正し始めるとかなり遅い時間まで掛かってしまった。  すでに23時を過ぎ、由紀子が残業しても帰宅しているだろうと思った栗原はテレビ電話を繋ごうとしたが昨日、送られてきたメッセージに『時間がある時に私の方から電話する』と書かれていた事を思い出してやめる。  今日は風呂で不安になってしまったからか由起子の顔を見て話したかったがそれは諦め、すぐには眠くなりそうになかったので星を眺めてリラックスしようと縁側に向かった。  いつものように部屋の電気を消し、縁側の窓を開け放って星空を眺めていると流れ星に似たキラキラしたものが裏山の方向へ長い尾を引いて流れた。    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇   2日後の朝、バケツの水に浸していた粘土が大分柔らかくなっていたので今度は手で丁寧に不純物を取り除き、再びバケツの水に半日放置してから手の上でコネてみるとしっとりとした感触で薄い灰色掛かった個性的な色を見せた。  その粘土が思ったより早く使えそうな感じになったので早速、試し焼き用に茶碗を5点ほど創ってみる事にした。  作業小屋の中で段ボール入れたままだったろくろを取り出してその粘土を実際に回してみると思った通り、粒子が細かく滑らかで適度な粘りと硬さがあって成形がし易い。  窯で焼いてみないと最終的な出来栄えがわからなかったが栗原はその粘土を気に入っていたし、勝手な直感で良い物が出来ると思った。  しかし、この粘土をいざ使うとなっても登山道は歩行者専用で車が入れないから、どうやってここまで運ぶのかという現実的な問題を解決しなくてはならなかった。  次の日、人力で運ぶにしてもどんな物が使えるのか具体的に想像できなかった栗原はもう一度、採取した場所までのルートを辿って調査してみる事にする。  その勾配のキツさ、でこぼこ具合や幅を後でも確認出来るようにとスマートフォンで動画を撮りながら登り、気付いたことを『ここは勾配がきつくて30度くらいある』とか『石が多くて歩きにくい』のように声を出して動画の中に状況説明として記録していく。  周囲の状況もわかるように合わせて撮影しながら1時間程掛けて粘土を採取した広場の茂みに到着した。  先日、茂みを刈り取って作った道を確認すると、その時に刈られた草があちこちに散らかったままで何も変わっていなかったが栗原が一休みしようとそこで腰を下ろすと、茂みの向こう側から何やら声のようなものが聞えた。  そこまで登ってくる間、誰にも会わなかったので、その声に少し驚いたがもしかしたらその広場の持ち主が勝手に茂みを刈られ、粘土を持ち帰られた事に気付いて誰かと話しているのかも知れないと思った。  栗原はそれが土地の持ち主なら勝手に草を刈り粘土を持ち帰った事を謝らなくてはならないと思って耳を澄ましてみたが、聞こえてくる話し声は今まで耳にした事のない言葉でその上、録画したドラマを3倍速再生しているような早口だったからその人達が一体何を話しているのか全く解らなかった。  背丈より高いその茂みのせいで向こう側の状況がつかめず会話の内容もわからないまま、次第に心配になってきた栗原が登山道側から茂みを覗いてみると20メートル位先を黒い姿の小さな人が横切った。  それを見た栗原はギョッとして思わず息を飲む。  茂みを刈り取って作った道の幅は60センチ位しかないから一瞬しか見えなかったが、その人は子供位の大きさで黒っぽい奇妙な出で立ちをしていた。  固まったまま動けずにそちらを凝視していた栗原の視線の先を再び同じ人が横切ると、今度はその奇妙な出で立ちがどんなものかハッキリ見て取れた。  その人は身長が140センチ程で大人か子供かは分からないが頭部が大きくて顎が小さい、まるで洋ナシを逆さまにしたような顔を持つ人で少し突き出た大きい目が2つあり、その広い額には短く切り揃えられた前髪が着ているフード付きの黒いウエットスースからはみ出ていた。  見ようによっては、サザエなどを捕る潜水夫のようだと言えなくもないが人間の2倍程の目があるその顔は明らかに普通ではなかった。  栗原は何だか得体の知れないものを見てしまった気がして怖くなったが音を立てると見つかってしまいそうで、そこから動けずにいた。  しばらくするとまた、視線の先を同じ人が横切る。  その後、左右から次々に横切るようになると同じ人が何度も通ったのかそれとも似ている違う人が沢山いるのかわからなくなったが、3倍速再生の知らない言葉があちこちから聞こえてきて、ウエットスーツを着た人が少なくとも4、5人はいるのがわかった。  意を決した栗原は音を立ないようにそっと後ずさり、その茂みを後にした。  理由はないがもし、走ればその人達が追いかけてきそうな気がして出来る限りの速足で1度も振り返らずに登山道を下っていった。  木々の隙間から自宅が見える所まで来てようやく心が落ち着いた栗原はそこで立ち止まると大きく息を吐き、奇妙な姿の人を目撃した山の方へ振り返った。  登山道を下りながら、彼らが攻撃してきたわけでもないし怪物のように恐ろしい姿をしていたわけでもないと自分に言い聞かせ、あの広場で何かしていただけだから怖がる必要はないのだと思うようにしていた。  徐々にそう思えてくるようになると怖さは和らいだが見てはいけない神聖な儀式を覗き見したような畏敬の念みたいなものが残っていて、心臓はまだドキドキしている。  自宅に着くと全ての部屋を見て回り、異常がないことを確認してからリビングのソファに腰かけたが静まり返った家の中に1人でいると先程の奇妙な人の姿が自然に思い起こされる。  再び不安に襲われると誰かに会いたくなって外に出てみたが行く当てがないので、とりあえず船着き場の売店を目指して海沿いの道路を歩き始めた。  今日、山に行った目的が粘土を運ぶ方法の調査だったことはすっかり忘れてしまい、フード付きの黒いウエットスーツを着た人達があそこで何をして、何を話していたのか歩きながら考え続けた。  そんな事を考えながら歩いていたせいか、気が付くと売店まで50メートル位の所に来ていた。  船着き場の横に軽トラックが2台と軽のワンボックスが1台停まっているのを見ながら、店内の様子がわかる所まで来ると中年の男女と初老の男性が中で店主と話している。  人の姿を見てようやくホッと出来たが皆で話し合っている事が今、山で目撃した奇妙な人達の事かも知れないと思えてくるとそれを確認したくなって売店までさらに速く歩いていた。  到着するや否や入口のガラスの引き戸を開けるとレールが擦れるズズーッという大きな音を響かせ、3人が一斉に栗原へ顔を向ける。  初老の男性は振り返ると区長の高橋だった。 「こんにちは!」と栗原は平静を装って言ったが、 「あぁ、栗原さん。そんなに慌てて何か起きましたか?」高橋は心配そうに言った。  他の2人は初対面だからなのかだた黙って栗原を見ている。  栗原が2人と会うのは初めてだと気付いた高橋が 「そうそう、こちらのお2人は島の反対側でみかん農家をされてる横井さん」そう言いながら手の平を2人に向けた後、今度は横井達を見て、「こちらは先月、東京から越してきた陶芸家の栗原さん」と栗原のことを紹介した。 「横井武史です」男性が被っていたキャップと取り、小さく頭を下げるとすぐに、 「弘子です」と隣にいた女性は名前だけ言って少し恥ずかしそうにした。 「栗原辰則です。まだ、陶芸家にはなっていないんですがそうなる予定ですのでよろしくお願いします!」  栗原は大きく頭を下げて言った。 「で、何があったんですか?」区長の高橋が待ちきれないという感じで栗原が頭を上げる前に訊いてきた。  ドアを開けた時の様子から、3人で話していた事が想像とは違うとわかった栗原は自分が見た事をどう話したら良いのか迷い、 「えーっと………」そう言ったきり、頭を掻いて言葉に詰まってしまった。  すると、何かに気付いたような表情の高橋が 「そうだ、栗原さん。軽トラックは要らんかい? ここじゃ、車がないと暮らせんし、材料なんかを運ぶのに必要なんじゃないかい?」  高橋はそう言うと今度は横井達へ向かって「ここで売れれば手間が掛からんからどうだろ、少し安くしてやっては?」真面目な顔で言った。  突然車を買うかと訊かれて困惑している栗原を見た武史が 「実は、ウチの軽トラを引き取ってくれそうな人がおらんかと高橋さんに相談してたとこなんですよ」と笑いながら説明してくれた。  高橋が言う通り色々な物を運ぶのに車が必要だと思っていた栗原が 「そのうちどこかで買おうと思っていましたが、要らなくなったんですか?」その理由を訊いてみると、 「息子が島を出る事になり、ワンボックスをウチに置いてったもんだから古い軽トラが1台余ってね」武史は店の外を指差しながら言った。 「もう、大分くたびれてるから10万円くらいで売ってやったらどうだい」腕を組んで何かを考えていた高橋がそう言うと、 「ああ、それでいい」武史はそう言い、軽トラックの鍵を栗原に差し出した。 「え、まだ代金も払っていないし、保険や名義変更も…」差し出された鍵を両手で押し返すような仕草をしながら栗原が応えると、  「代金は後で持ってくりゃいいさ。ウチは島の反対でここみたいに歩いては来られんから車が要るよ」と手に持っている鍵を再び差し出し、「保険と名義変更は後でやりゃいいさ」と笑った。 「じゃ、明日代金をお持ちします」栗原も笑いながらその鍵受け取った。  それまで黙ってそのやり取りを見ていた弘子が 「何か用事がおありだったんじゃないですか?」と思い出したように訊いてきたが栗原は再び、自分が見た事をどう話したら良いのかと考え込んでしまった。  今まで乗っていた軽トラックを口約束で簡単に売り、その場で車を他人に渡すのが当たり前なこの島では、自分が山で目撃した出来事も騒ぎ立てる程のものではないのかも知れないと栗原には思えてきた。  確かにウエットスーツの人は奇妙ではあったが島の事をまだ良く知らない自分が古くからある独特な風習を見間違えたのかも知れないとも思えてきて、 「いえ、大した事ではないんです。軽トラが手に入って嬉しくてもうどうでも良くなりましたよ」栗原は笑って話をごまかす事にした。 「すべて丸く収まり、めでたし、めでたし」高橋はそう言って笑いながら店を出ると、停めてあった軽トラックに乗って帰っていった。  横井夫妻が店主のおばあさんが戻るまで留守番を任されているのだと言うので自宅の場所を教えて貰い、次の日に代金を持参する約束をして先に店を後にした。  栗原は軽トラが停めてあるという船着き場まで行くと早速、白い車体の荷台に黒文字で「横井農園」と書かれた、手に入れたばかりの車に乗り込んだ。  少し土の匂いがする車内で1度大きく深呼吸してからキーを回すと、ブルンッと軽快な音を響かせてエンジンが始動し、ガソリンの量を示すメーターが半分を少し超えた所まで行って止まる。  いつの間にか降り始めた雨が小さな光る玉となって景色を幻想的に見せていたフロントガラスのワイパーを動かし、栗原はその軽トラックで島を1周してみる事にした。  あちこちで車を停め、景色を眺めたりしながらゆっくり島を周った後、自宅に戻ると初めて階段の横にあるスロープを使って敷地へ乗り入れ、どこに車を止めようか考えながらそのまま焼き窯のところまで来ると、作業小屋と焼き窯の間にある空間が軽トラックを停めるのにピッタリだと気付く。  そのスペースは採取してきた粘土を乾燥させる場所として使っただけだがそこにバックで軽トラックを停めてみると、荷物の積み下ろしも楽に出来る位のゆとりが左右に残り、何故そこに大きな屋根を造ったのかその理由が分かった気がした。  車から降りた栗原は敷地の裏に見える山を見上げ、そこで目撃した奇妙な人を再び思い出したが軽トラックを手に入れた今は何かあれば車で逃げられるから大丈夫だと思った。  夕飯と入浴を終え、今日の不思議な体験と軽トラックを手に入れた事を由紀子に伝えたくなった栗原はテレビ電話を繋ごうとタブレット端末を手に取った。 しばらく手にしたタブレットを見つめた後、思い直してそれをゆっくりテーブルの上に戻す。  ここ数日は仕事が忙しいだろうと気遣ってこちらから電話を掛けないようにしていたが、由起子からも連絡はなかったから向こうの状況が分からずに何となく気が引けたのだ。  電話の代わりに最近の状況を訊く短いメッセージを送るともうやる事がなくなったが、山での体験からその夜は縁側の窓を開け放って星空を眺める気にもなれず、早い時間だったが寝室に行く事にした。  電気を消して寝るのが不安で廊下や他の部屋の明かりまでも点けたままベッドに入ると眠れず、ニュースでも読もうとスマートフォンを手に取るとようやくそこで今日、山へ出掛けた目的を思い出した。  登って行きながらスマートフォンで動画を撮っていた事を思い出したが録画を止めた記憶がなかったので確認してみると、55分24秒の長さで録画データが保存されている。  録画にあの黒いウエットスーツを来た人たちが映っているかもしれないと思ったが、それを見て不安になると朝まで寝られなくなるので明日の昼間に見る事にしてニュースアプリを開いた。  見出しを見ても何故か読む気になれずにアプリを閉じるとすぐにウエットスーツを着た奇妙な人を思い出し、しばらくは粘土を採りに行かれないと思った栗原は 「あーあ、せっかく良さそうな粘土を見つけたのになあ…」残念そうに呟き、夏用の掛布団を頭から被った。
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