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第4話
「一昨日は粘土を採りに来たのではなく、どうやって運ぼうかとその方法を調査していただけなんですが…」栗原が反射的にそう答えると、
「運ブノガタイヘンナラ、我々ガ手伝イマス。ダークマター・マテリアルヲ使エバカンタンデスカラ」その宇宙人がポケットから円筒形の小さな容器を取り出して見せた。
それはガラスのようなもので作られた透明な筒で、片方の端に細かいギザギザが付いた回せる部分のあるリップクリームの容器みたいなものだった。
栗原には相手が言っている事と見せられた小さな容器の意味が全く理解出来なかったが、徐々に日本語の発音が正確になってきた事だけは分かった。
頭の中でそんな事を考えながら栗原が何も言わずにいると、
「宇宙空間に、ダークマターがある事は知っていますか?」今度は殆ど完全な日本語で訊いてきた。
詳しくはないがダークマターという物質が宇宙空間にあるという研究者の仮説を雑誌で読んだことがあったので、
「何かで聞いた事はありますが…」栗原がそう答えると、右側に立っている細身の宇宙人がおもむろに説明を始める。
宇宙の始まりは万有引力を持つ物質と固有引力を持つ物質がとてつもない重さとなって固まった『アルティメット・ハイパーマテリアル』の大爆発、すなわちビッグバンによるものだという事からその宇宙人は話し出した。
そのビッグバンによって粉々に散らばった万有引力と固有引力を持つ2種類の物質が初期の宇宙を創り、前者はやがて星などの『天体』となり、後者はそれ以外の『空間』となることで現在の形になったという事だった。
それを聞いて、物質が何もない空間になったという事に戸惑ったが宇宙人は栗原が解りやすいように今の宇宙空間を、いくつも砲丸が投げ込まれたプールに例えて説明してくれた。
それは、水中に潜って見えるのが砲丸だけでも実際は水という物質でプールは埋め尽くされているということらしく、それを宇宙に戻せば砲丸が天体に、水の分子がダークマターになると言う事だった。
そして、水のある範囲だけを移動出来る魚にとってはそこが空間という事になり、私達はその魚と同じで空間がない宇宙の外側へは決して行かれないのだと話した。
万有引力を持つ物質は私達が知るように互いに引き合って天体になるものとごく稀に、それより大きな固まりになるものがあるそうだ。
元々、宇宙空間は物質が密な部分とそうでない部分があり、その固まりは密な部分で沢山の物質が集まって出来るのでとつもない重量のものに成長するらしく、それが時空間までも歪めるブラックホールになるのだと言う。
一方の固有引力を持つ物質はダークマターと呼ばれ、同じもの同士でしか引き合わない性質があると説明した。
宇宙空間を埋め尽くすように散らばったダークマターは人間の目では見えず、物質の小ささからお互いに引き合っているとは言えない程の僅かな引力で引き合っているようだ。
そして、そのわずかな引力でも宇宙のあちこちで寄り集まって大きな塊を作り、ブラックホールには到底及ばないがその引力を少しずつに強めているらしい。
また、宇宙空間のどこにでもあるダークマターを集め、圧縮して固まりにすると宇宙のあちこちにあるダークマターの塊に引っ張られる強力な引力を発生させる事が可能で、ある形状の固まりにすることでその引力に指向性を持たせる事も可能だと言う。
宇宙全体については現在膨張期にあるようでその後、万有引力を持つ全ての物質が引き合う事でビッグバンによって生まれた広がろうとする勢いはやがて打ち消されるのだと話す。
万有引力によって宇宙全体が収縮に転じるとブラックホール同士が合体していき、ダークマターや天体と共にその空間をどんどん狭めて元の『アルティメット・ハイパーマテリアル』へ戻ってしまうのだが、その後も自身が持つとてつもない引力でさらに縮まり続け、その圧力の膨大な熱エネルギーで再び大爆発を起こすとそれが次のビッグバンとなり、新たな宇宙が始まるのだと話した。
そうやって地球上の生命と同じように宇宙にも生まれ変わるサイクルがあるようだった。
最初に栗原が見せられたリップクリームのような容器は端にあるダイヤルを回すことで封入したダークマターを圧縮した固まりに変え、指向性のある固有引力を発生するようになるらしい。
容器が小さいので強力な引力にはならないが地層の粘土を運ぶことくらいは容易く、栗原がUFOだと思った宇宙船の動力としても利用しているのだと話した。
その説明を聞いていた栗原に、どうして宇宙人が流暢な日本語を話せるのかという疑問が湧いた。
「あなた達はなぜ日本語を話せるのですか?」その言葉について訊くと、
「我々は皆、地球の言語を勉強し、20種類くらいは話せるようになりました。日本語はその内の1つです」感情のない話し方で答えた。
もっとハイテクなものを使って日本語を話していると思っていた栗原は勉強して話せるようになったという意外な答えに、彼らを少し身近に感じ、地球人みたいに勉強する宇宙人がどこに住むのか知りたくなる。
「あなた達はどの星から来たのですか?」栗原が続けて訊ねると、
「別の銀河にある地球の半分位の大きさの、ここの言葉なら『SE-10005-000335611-273516290』という番号の星から来ましたと話した後、
「我々も仕事がありますので、他に御用がなければ失礼します」そう早口で言うとすぐにスロープを上がり、宇宙船の白いゴム毬が並んだ壁の中にプニュッと戻っていってしまった。
他にも聞きたい事は沢山あったが「仕事がある」と言われた栗原は忙しい宇宙人達を引き留めてはいけない気がして宇宙船に戻るのを黙って見送った。
彼らが戻った宇宙船が音もなく浮かび上がると、あっという間に雲の中に姿を消した。
自宅に戻った栗原はリビングのソファに座り、この島の住人にカラス天狗だと信じられている宇宙人との出会いを思い返した。
今日の出会いは誰も知り合いのいないこの島に初めて友達が出来たようで嬉しかったが、初めての友達が宇宙船に乗って来た宇宙人だと思うと何だか可笑しかった。
1人でニヤニヤしていると目の前のテーブルに置かれたタブレットが鳴りだし、テレビ電話の着信で明るくなった画面に由紀子の名前と応答ボタンを表示する。
栗原は画面に表示された応答ボタンを押そうと反射的に指を伸ばしたが途中で思い止まった。
最近のテレビ電話のやりとりは会話をするというより由紀子の愚痴ばかりを1時間位聞かされた後、ようやくこちらの近況を少しだけ話して終わるという、毎回物足りないものだったのを思い出したからだった。
そんな事が頭をよぎり、少しの間躊躇するとタブレットは鳴り止んでその画面を暗くした。
最近の由紀子は仕事でストレスが溜まっているからか、こちらの状況を気にしている余裕はない様子で詳しく聞こうとはしなくなっていたし、こちらの用事で妻が忙しい時間に電話しようものなら、こんな時に掛けてきては困ると言わんばかりに切られてしまう事もある。
そうならと気遣い、数日間電話を掛けずにいると愚痴を聞いてもらえないせいか、何故連絡してこないのかと怒って電話してきたりするから栗原はどうすれば良いのかわからなかった。
そんな考えを巡らせていると再び由紀子からの着信でタブレットが鳴り出したので今度はすぐに応答ボタンを押してテレビ電話を繋ぐ。
画面には少し下を向いた由紀子が映しされ、今日も愚痴を聞かなくてはならないと覚悟をしたが
「こんな時間にどうしたんだい? 仕事の方は大丈夫なのかい?」栗原があえて明るく言う。
すると由紀子が
「土曜日、そっちへ行ってもイイ?」と遠慮がちに小さな声で応えた。
何か深刻そうなその雰囲気に栗原は驚いたが
「こっちは予定の無い隠居生活みたいなものだから好きな時に来て、好きな時に帰ればイイ」わざとのんきに言うと由紀子は少し笑って、
「ありがとう。夕方になると思うけど船に乗る前に連絡するわね」とその表情を少し明るくした。
久しぶりのその笑顔を見て安心しながら栗原が
「高速船なら20分で着くから早いけど、小さい船だから排気ガス臭いしかなり煩いんだ。倍ぐらいの時間が掛かるけどフェリーならゆっくり景色も楽しめるよ。どうする?」初めて島へ来た日の事を思い出しながら言うと、
「フェリーでのんびり行くわ。排気ガスは東京で嗅ぎ飽きているから」段々元気になってきた由紀子は笑いながら冗談を言った。
「じゃ、船着き場まで迎えに行くよ。軽トラのリムジンが…」栗原が冗談っぽく言うと、
「お願いしまーす」と言い、軽トラックに乗った栗原を想像したのか吹き出しそうになりながら笑い、「じゃ、仕事に戻るから切るわね」と手を振る由紀子を最後に画面が黒くなった。
栗原は深刻な雰囲気だった由紀子が電話の終わりには笑顔で冗談を言うようになった事が嬉しかった。
急にこちらへ来たいと言うなんて仕事で何かトラブルがあったのかも知れなかったが、3日後の土曜日からは連休だから単純に休みが取れたのかも知れず、話したい事が溜まっていた栗原はとにかく由紀子が来るのを楽しみにした。
栗原は昼食を済ませると乾燥させていた試し焼き用の茶碗を思い出し、それを焼くための準備をしようと作業小屋へやってきた。
奥から猫車を引っ張り出して外に出ると作業小屋の裏手にそれを押して行く。
以前、陶芸をしていた人が薪として使おうとしたのか、小屋の裏に短い生木が沢山積まれているのを知っていた栗原はそれを積めるだけ載せて運んだ後、焼き窯の側で薪割りを始めた。
最初は遠慮がちにやっていたせいで上手く割れなかったが10個くらいの生木を薪にするとコツが掴め、太い木が一振りで真っ2つに割れるようになった。
段々面白くなってきた栗原が夢中で斧を振り下ろしていると勢いよく割った薪が大きく飛んで焼き窯にぶつかり、カンッと乾いた大きな音を立てて跳ね返る。
その音で我に返り、飛んだ薪の方を見ると視線の先にある藪の中で一瞬、黒いものが動いたような気がした。
獣でも出てきたのかと警戒しながら見てみると、宇宙人の1人が藪から顔だけを出してこちらをじっと見ている。
栗原は少し驚いたが今朝、会ったばかりだったので、
「どうしました?」声を掛けてみるとその宇宙人は大きな目で1度瞬きをしてから出てきて、
「粘土をお持ちしますか?」と感情のない事務的な口調で訊いてきた。
栗原は自分の後ろにある2つの粘土の山に振り返り、
「この通り、2回も運んでもらったので当分必要ありません」と笑いながら答えた。
宇宙人は笑顔を返す事はなく黙ったまま瞬きを2回すると、後ろを向いて藪の中に消えてしまった。
栗原はその姿を見送りながら昔、ヨーロッパの童話本の挿し絵で見た少し不気味な風貌の妖精を思い出していた。
当時はそんな不気味なものが可愛い妖精として書かれている事に違和感しか持たなかったが、去ってゆく宇宙人が少し可愛く見えた今ならそれが理解できそうな気がしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後2日間、栗原は忙しくしていた。
先ず、宇宙人が運んでくれた粘土の山を敷地の端へ移してから作業小屋の中を片づけてアトリエとして使えるようにした上、仮置きしていたろくろを中央に移動して陶芸の為の作業スペースを造った後、割ってあった薪を焼き窯の横に奇麗に積み上げた。
一通りの作業が終わりようやく落ち着いた金曜日の午後、栗原はアトリエの使い心地を試すために残っていた粘土をろくろの上に置いて回し始める。
壺を創る事にして粘土を大まかな形にし、全体のバランスを確認する為に離れた所から見ていると視線の先の窓に黒い影が動いて見えた。
目の焦点をそちらに移すと例の黒いウエットスーツを着た宇宙人が1人、アトリエを覗いているようだった。
栗原なら肩から上しか見えない位の高さに窓があるので顔の上半分しか見えていないが短く揃えられた黒い髪の毛があるおでこと大きな目ですぐに宇宙人だと判った。
作業を中断したくなかった栗原は宇宙人に気付かぬフリをして再びろくろの前に座り、壺づくりを再開したがその後も時々、形を確認しながら窓の様子も見ていた。
しばらくすると宇宙人の頭が3つに増えていて、6つの大きな目がじっと栗原の作業を見ている、と言うか観察しているようだった。
突き出たおでこと大きな目だけが並んだ窓の光景は実際不気味だったかも知れないがまるで子供が並んで覗いているように見えてきて、だんだん可愛く思えてくる。
壺を完成させた栗原がアトリエから出て焼き窯の横に回り、そこからそっと裏手を覗いてみると3人の宇宙人は皆、両手で下の窓枠に掴まって立っていた。
栗原に気付いたのか、3人共こちらにその顔を向けている。
よく見ると、3人のうちの2人は身長が140センチ位ありそうだが真ん中の宇宙人は120センチ程しかなく、どこかから運んだ石の上に立って背伸びしていた。
その光景が想像していた以上に可愛く、微笑ましく見えた栗原は目を細くしながら、
「どうぞ。中に入って近くから見ても良いですよ」そう言って入り口のガラス戸を開けたままアトリエに戻った。
栗原がろくろの前に座った頃、3倍速再生のような話し声がして宇宙人達は戸が開いたままの入り口からやってきた。
ろくろの前に来ると真ん中に背の低い宇宙人が立ち、左に細い身体の、そして右側に年長者のような顔の宇宙人が立つ。
「何を作っているのですか」ほぼ形が出来上がった壺をまじまじと見て背の低い宇宙人が訊く。
「壺を創ったのですが、壺がなんだかわかりますか?」栗原がそう答えると、
「壺ならわかりますが、何に使うためのその形なのか知りたいのです」再びその宇宙人が事務的な口調で訊いてきた。
用途は考えずただ、思い付いた形のものを創った栗原は少し考えてから、
「例えば、床の間などに置いて鑑賞したり、触ったりして楽しむ為の芸術作品でしょうか」と言うと、
「芸術、鑑賞」早口で言ったきり、両側に立つ宇宙人と顔を見合わせた。
「えっと、形を観て楽しむ…、と言えばわかりますか?」言った事が理解出来ないのだと思った栗原がそう説明すると、
「我々は物の形を用途と生産性で決めるので、楽しむ為の形というものが理解できません」その宇宙人が冷めた口調で応えた。
陶芸に興味があるのかと思っていた栗原はその冷めた応えに困惑しながら、
「あなた達は芸術を楽しむ…。例えば絵画を観たり、音楽を鑑賞するなどしないんですか?」と率直に訊いてみた。
すると、すぐに同じ宇宙人が
「我々の社会は効率や合理性を最も優先し、無駄な事は存在しない生活様式の中に暮らしているので誰もそういう事をしません」先程と同じように事務的な口調で言う。
「では、絵画や音楽も存在しないんですか?」栗原がガッカリしてそう訊ねると、
「大昔は観賞用のものもあったようなのですが今、絵画や音楽は病んだ精神を治療する為に使うもので楽しむものではありません」何故かキッパリと言い切った。
「楽しむことや美しいものを観たりする事を無駄だと考える社会ですか…」独り言のように栗原が呟くと、
「ここ、地球ではそういうものをよく見かけるのでその良さを理解出来たらと考えているのですが、合理性だけを考えて生きている我々には難しいのです」今度は年長者と思われる顔の宇宙人が話した。
「それじゃ、まるで感情がないみたいですね」残念そうに栗原が言うと、
「全く感情を持たないわけではありませんが、地球人のようなものを持った人はいません」左側に立つ、今まで一言も話さなかった細身の宇宙人が他の人と同じように事務的な口調で言った。
その3人の口調があまりに似ていることに驚きながら、
「合理性を最優先する社会なら愛情や友情という合理的でない心の繋がりも存在しないのですね?」再び栗原が質問した。
「愛情や友情がどんなものかわかりませんが、社会における繋がりはそれが必要かどうかによるものです」背の低い宇宙人がそう答えると、
「そういう社会でも地球人のように豊かさを感じたりするんですか? 生き甲斐のようなものを持てるんですか?」栗原は不思議になって訊いた。
3人はその疑問には答えずに黙っていたが互いの顔を見合わせた後、
「今、あなたがしている事が芸術というもので社会に豊かさをもたらすのなら、それを学んで理解したいです。また、愛情や友情という心の繋がりや感情についても学びたいのですが、何か方法はありますか?」年長者の宇宙人がろくろの上にある壺を指差しながら言った。
栗原は少し考えて、
「人の感情は見るものや経験することによって形づくられるもので、芸術は感情表現の1つの方法としてそれを見た人に自分の感情を伝えるもののことです。愛情は感情に似ていますが、人から愛情を受け取る事で自分の中にも生まれ、それを別の人に与えられるようになるものでどちらも学ぶというより様々なものを見て体験し、愛情をくれる人と付き合うことが必要だと思いますが…」ゆっくり話し、「友情は愛情と似たものだから同じと考えて良いでしょう」と続けた。
すると、3人の宇宙人が3倍速の言葉で何かを話し合った後、
「山からここへ、粘土を運ぶ代わりに我々に愛情をくれませんか?」と年長者が言い出した。
栗原は粘土を運ぶのと引き換えに出来ると思ってしまう位、愛情というものが存在しない社会に生きているのだと感じてその3人が可哀想に思えてきた。
「僕がどんな愛情をあげられるのかわかりませんが、友達になるのは構いませんよ。別に粘土を運んでもらわなくてもね」優しい眼差しでそう答えると年長の宇宙人は
「何もしないのに愛情を貰うわけにはいかないのです」相変わらず感情のない話し方で言う。
「じゃあ、必要な時に運んでもらいます。それなら良いですか?」そう訊くと、
「はい。では、また3人で来ます」背の低い宇宙人が答えてアトリエの出口へ向かう。
彼らとの関係を島民に見られると面倒な事になりそうだと思った栗原は
「ここに来るのを島の住人には見られない方が良いと思いますが…」3人の背中に向けて言うと年長者が振り返り、
「わかっています。常にモニターしていますから心配要りません」と早口で話し、3人は焼き窯の横から藪の中に歩いて消えた。
急ぐようにして帰っていった3人をアトリエの入り口から見送りながら年長者が別れ際に言った「モニターしていますから」という言葉の意味を考えていると、その耳に車のエンジン音が届いてきた。
音の方へ顔を向けると軽のワンボックスが敷地のスロープを上がってくるのが見え、運転席で軽トラックを譲ってくれた横井が笑いながら手を上げていた。
それを見た栗原は宇宙人が別れ際に言った言葉の意味と急いで帰った理由をようやく理解した。
つまり、宇宙人達は栗原に忠告されずとも不用意に目撃されぬよう周囲をモニターしていて、横井が来ることを察知したからここを去ったのだった。
アトリエの前まで車で乗り付けた横井は、
「昨日、その軽トラの取り扱い説明書を見つけたんで一応渡しときます」敷地に停まっている栗原のものとなった車を指差し、手に持った少し厚みのある冊子を見せて言った。
両手でそれを受け取った栗原が
「軽トラ、すごく気に入りました。わざわざありがとうございます」そう言って頭を下げると、
「いや、区長の高橋さんに用があってこっちに来たもんだから…気にせんでください」
横井は少し照れた顔で小さく手を上げ、敷地内で車の向きを変えるとスロープから帰っていった。
栗原は遠のいていくエンジン音を聞きながら山の頂上を見上げ、用心深い宇宙人が何故自分にはその姿を見せたのかと考えていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
次の日、休暇でやってくる由紀子に静かな縁側で仕事の疲れを癒してもらおうと考えた栗原は、1度も手入れをしておらず草が伸び放題だった庭を奇麗にしようと朝から草取りを始めた。
軍手をして敷地の真ん中に立つとぐるりと見回し、腰を屈めておもむろに雑草を抜き抜く。
それを何回か繰り返した所で抜いた雑草を何処かにまとめなくてはと気付き都合の良い場所はないかと栗原が庭を見回すと、黒いウエットスーツ姿の宇宙人が裏手の藪からやってくるのが見えた。
「おはようございます。今日は早いですね」3人の宇宙人が近くまで来るのを待っていた栗原が額の汗を拭いながら声を掛けると、
「雑草取りならロボットにやらせましょうか?」
そういう習慣はないのか挨拶には誰も答えず、というか反応もせずに背の低い宇宙人がいきなり事務的な口調で話した。
その時、栗原の頭にあるアイデアが浮かんだ。
「そうだ、愛情について学びたかったんですよね。だったら、一緒に雑草取りをやりませんか?」
3人の顔を順番に見ながら訊いてみる。
栗原はその3人の顔を見ても昨日、来た人達と同じかどうかまだ判別できていなかったが、1人は背が低く、細身の人もいたから同じ宇宙人だと思っていた。
3人の宇宙人は互いを見た後、
「それが愛情の勉強ならやります」と年長者が言い、すぐに栗原がしていたように辺りの雑草を3人で抜き始めた。
引き抜いた雑草は何も言わなくても栗原がまとめている場所に置いたが宇宙人たちは筋力がないのか栗原の半分程しか1度に抜く事が出来ずしかも、太めの雑草は抜けないままだった。
その手に負えない雑草を3人で見つめているので栗原が抜くと、皆で集まって何か話し出した。
3倍速の会話が10秒程続いた後、太いのは栗原用に残すと決めたのか細い雑草だけをどんどん抜いていく。
それを見た栗原は彼らの効率や合理性を最も優先する社会でどれだけ役割分担が徹底しているのかわかった気がした。
合理的な方法で進むことだけが彼らにとって最善なんだと感じた栗原は協力して何かをすれば違う考えが生まれるかも知れないと思い、
「1人で抜けなければ2人で、もしくは3人でやってみてはどうですか?」と提案してみた。
宇宙人達は栗原が言っている事を素直に聞き入れ、すぐに3人で太い雑草を引き抜いたがその後、引き抜いたものを囲み3倍速の早口で再び話し合いを始めてしまい、今度は5分経っても次の作業に移ろうとしない。
「何か問題でもありましたか?」見兼ねた栗原が訊ねると、
「この雑草は誰が労働して得た成果になるのか考えているのです」年長者が言った。
「3人で協力して得た成果としたらどうですか?」不思議に思いながら栗原がそうに言うと、
「3人がどういう力の配分でその雑草を抜いたのかという力学的な計算は可能です」背の低い宇宙人が相変わらず、感情のない表情と話し方で言った。
「そう言う事じゃなくて、3人で…、うーん、どう言ったらいいんだろうか…」栗原は宇宙人達のその考え方が理解できずどう説明すれば分かってもらえるのか悩み、黙ってしまった。
そんな栗原を見て、今度は細身の宇宙人が
「我々が問題としているのは雑草を抜く度に毎回その複雑な計算が必要になってしまうことです」と応え、「しかし、計算をせずに作業を続ければ誰の成果かはっきりしないものがどんどん増え、作業効率を検証出来なくなってしまいます」そう言って再び早口で会議を始めてしまった。
「じゃあ、僕の為に庭を奇麗にしているという考え方は出来ないんですか?」栗原がその会議に割って入るようにして提案してみるが、
「あなたの為にやるなら、あなたが何もせずに済むような方法でもっと短時間に終わらせます」と、全く受け入れず反論してくる。
その反論がどういう発想から出てきたのか理解できなかったが、とにかく取り合ってもらえないので、
「じゃあ、僕が楽しくやるためにみんなで…」栗原はそう言い掛けたが、それが理解出来ていればこうはなっていないと思って止め、「僕の成果とするのはどうですか?」と言い直した。
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