第7話

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第7話

 次の日、朝一番で会社にテレビ電話を繋いだ由起子が1ヶ月の休暇を願い出るとあっさりと受理された。  1分程で電話を終えた由紀子は 「やっぱり、私みたいな考え方の人間は必要ないのね…」と力なく呟いて下を向いた。  栗原はそれを横で聞いて、 「そうじゃないよ。君を必要とする人がずっと同じではないというだけさ。今、由紀子を必要とする人が何処かにいる筈で、それをこれから探せばイイんだ」励ますように言ったが由紀子は下を向いたまま何も言わなかった。  昼になっても自分の部屋に籠ったきり出てこない由紀子を心配し、様子を見に行こうと栗原が縁側を通ると窓の外から3人の宇宙人がこちらを見ているのに気付いた。  窓を開けるとシニアが 「由紀子さん、何か考え付きましたか?」いつものように挨拶をせずに自分が訊きたいことだけを言った。 「今日は少し落ち込んでいるから、まだ考えていないと思いますが…」栗原がそう答えると、 「落ち込んでいる、とはどういう事ですか」わからない感じでシニアが返す。 「えっと、その感情をどう説明すればイイかな…。仕事で問題があって…その解決方法で悩んでいる…、と言えばわかりますか?」栗原が言葉に詰まりながら説明していると、その話声を聞いた由紀子がリビングにやってきた。  3人を見ると、 「あら、こんにちは! 今日もみんなで来てくれたのね」その表情を明るくした。  昨日のように目をパチパチし始めたジュニアがすぐに縁側から上がり込み、小走りに由紀子の元へ行く。  それを受け止めるように由紀子は両腕を広げて待ったがその前まで行くとジュニアは立ち止まった。 「遠慮しなくてイイのよ」黙ったまま見詰めているジュニアの頭を由起子は優しく撫でた。  シニアとスリムも縁側から上がり込み、昨日のソファの同じ場所に座ると、 「私も問題の解決方法を考えます」スリムが由紀子の方を向いて口を開いた。 「えっ、何の問題?」由紀子は何のことかわからずにいるが、 「仕事の事で悩んでいると今、話したところなんだ」栗原が事情を説明すると、 「ありがとう。一緒に考えてくれるのね!」スリムを見て言い、すぐに休暇を取って仕事を休むことになった経緯を話し出した。  話を聞き終えたスリムが 「我々の星では個人がやりたい仕事をするのではなく、人から要望された仕事をする社会システムなのでこことは違いますが、それを地球の社会システムに当てはめて考えれば由紀子さんが必要とされる仕事を探し、それをやるのが最も社会に貢献することになります。現在の状況は、由紀子さんが必要とされていない場所で無駄にエネルギーを使っていることになり社会の損失でしかありません。自分がやるべき仕事を探すためにエネルギーを使う方が自分と社会にとって遥かに有意義だという結論になります」と一気に話した。  余談というかイントロが無く、いきなり確信から話すのですぐに理解するのは難しかったが、それが合理性を最優先する彼らの考え方を地球のシステムに当てはめた場合の結論のようだった。  由紀子はスリムが言った言葉を1つ1つ思い出し、その意味を考えていたがやがて何かを思いついたような表情で、 「自分が何をすべきかよくわかったわ。スリムさんありがとう」と目が覚めたように言い、「感情について先ず何を教えるべきか、それもたった今、分かったわ!」由紀子は目の前にいるジュニアを見ながら、「さあ、座って。勉強をはじめますよ」とその手を引いてソファへ誘った。  栗原は由紀子が何を始めるのか、その勉強をリビングで見る事にした。 「地球の人は笑う表情を作ることで気持ちまで変わるのよ。その表情をすることで嬉しい感情を思い起こせるかもしれないわ」由起子は目の前に座るジュニアを見て言い、「じゃあ先ず、笑い方を練習します。皆で私と同じ顔をしてみて」と笑う表情を作って見せた。  3人共、互いの顔と由紀子の顔を比べながら表情を作っているつもりになっているようだったが、栗原にはただ瞬きをしているだけに見えていた。 「もう少しこう口の端を上げて…、目は細くするの」と由紀子が自分の口の両端に人差し指を立てて当て、押し上げるようにしながら目を細めると3人も同じようにする。 「あ、そうそう。いいわね、そんな感じ…」そう言いながら1人ひとりの手を取って押し上げ、「目はもう少し細くならないかしら?」と一向に細くならないその目を見て由起子はじれったそうに言う。  目の前の光景がお笑い芸の練習としか思えなくなってきた栗原が真剣な表情で教える由起子の隣で、ニヤニヤしていると、 「もう、笑って見てないで手伝ってよー!」由紀子がそう言い出したのでシニアとスリムに目の細め方をやって見せた。  栗原も加わり、5人で夢中になっていると、 「あ、上手。もう少しよ!」ジュニアを指導していた由紀子が思わず大きな声を出し、「ジュニアは上手ね。早く出来るようになってシニアとスリムに教えてあげてね」と嬉しそうにする。  その後、由紀子はジュニアに掛かりきりになり、栗原が他の2人を担当することになった。  ジュニアは由紀子と通じ合っているのか時々、3倍速の早口で何かを口走っていた。  指で口の両端を上げ、目を細めながら早口で何か言うジュニアがまるで、小さな子供が指で顔を歪ませながらキャッキャと喜んでいるように見え、その光景がとても平和に見えた。  ジュニアとは対照的にシニアとスリムは笑顔というより笑いながら困っているみたいに見え、疲れてきたのか口に指を添えたままその顔で下を向いてしまった。  それはまるで、笑顔が上手な優等生を見て、劣等生が落ち込んでしまったようだった。  そんなシニアとスリムが不憫になった栗原は辛い練習から2人を解放してあげようと 「皆も疲れただろうから、そろそろ終わりにしたら?」と切り出した。  すると由紀子は 「ダメよ、『終わり』なんて言うとみんなすぐに帰っちゃうでしょ。今日はみんなに訊きたい事があるからそれに答えてからにして!」そう言って横に立っていたジュニアをソファに導き、他の2人が座るのを待って向かいの椅子に腰を下ろした。 「みんなの事を良く知りたいからそれぞれの年齢と性別を教えてね」そう言うと手の平でシニアを示し、話すように促した。  そのシニアがすぐに、 「私の年齢は120歳、我々の星で性別を言う事はありませんが男です」と答えると、由紀子はその年齢を聞いて目を丸くする。 「120歳でそんなに元気でいるなら何年生きられるの?」と由紀子は返したが、栗原は年齢のことより、いつもの事務的な口調が性別を言うときだけ恥ずかしそうに聞こえたことの方が気になっていた。 「特別なことがない限り、普通は200歳くらまで生きます」シニアが淡々と答えると続いてスリムが 「私の年齢は50歳で性別は女性です」間を置かずに答え、続けてジュニアが 「私は80歳で男性です」とすぐに答えた。  由紀子と栗原の2人は何となくジュニアが1番年下だと思っていたのでスリムの方が若い事に再び驚いていた。  由起子は少し何かを考えた後、 「では次にあなた達の星の歴史や社会について、仕事やその他なんでもイイので話して聞かせて」ねだるように3人の顔を代わる代わるに見た。  するとスリムが 「我々は別の銀河にある、星番号『SE-10005-000335611-273516290』に住んでいます。その大きさは地球の半分程で太陽に似たものもありますがその明るさも半分で昼間でも地球の夕日みたいな色をしていて、夕方は完全な赤に変わります。社会システムは全てにおいて合理性を最優先し、合理的な理由を示せば必要なものは何でも支給されるので地球のように通貨はありません。仕事は発生した時点で最適な人がデータベースから選ばれて割り振られます。特別な事情がない限り与えられた仕事に指示された期間従事します」と話した。 「地球で感情について学ぶこと、それが我々3人に割り振られた仕事ということになります」ジュニアが自分たちの仕事を具体的な例として挙げると、その後をシニアが引き継いで話し始めた。 「星の歴史については昨日お伝えしたように詳しくわかっていません。それを突き止める為にここで感情について研究しているのですが、我々を地球へと誘ったのは星に伝わる古い言い伝えで、『全てのものは地球に倣え、そして地球を保て』というものでした。当初は『地球』が何を意味しているのかすらわかりませんでしたが、やがてそれが天体だと突き止めます。その後、我々のような生物がいる天体としてここを見つけるのに700年掛かりました。そして今から250年前、宇宙船に乗ってここへ辿り着いた調査隊が様々な調査をしてみると、我々の星は地球を手本に創り上げられていることが判明し、その環境は3000年前のこことほぼ同じであることがわかったのです」そこで話が終わったのか何も話さなくなった。 「3000年前の地球って、どういうことかしら?」不思議そうに由紀子が訊く。 「3000年前の地球の地層から化石として掘り出される植物、動物や昆虫が我々の星には生存していますので、理由は不明ですがその頃の地球環境を我々の星に再現したのだと考えられています。我々は古い言い伝えに従ってここ、地球の環境を保存する努力を続けています」とシニアが答えた。 「何故、地球の環境まで保存する必要があるの?」再び由紀子が疑問を投げ掛ける。 「古い言い伝えの『そして地球を保て』の部分については様々な解釈がありますが、我々の星の存続に関わる秘密や重要な何かが隠されているのだと推測しています。地球という言葉がここを指しているのか、それとも同じ環境を再現した我々の星のことなのか判りませんが、それを解明するまでは両方を保存していく必要があると考えているのです」すぐにその理由をシニアが説明した。 「そうなると、古い言い伝えはあなた達にとって最も重要な事なのですね」SF映画のストーリーみたいなその話に引き込まれ、ずっと黙っていた栗原がそう言うと、 「はい。我々の星では皆、『地球を保て』という言葉に従って暮らしているので環境破壊は一切ありませんが、一方の地球ではそれが驚異的なスピードで進んでいます。我々の努力は追いつかず、結果的に3000年という大きな違いが出来てしまいました。このままでは地球の環境は完全に破壊され、我々の星の秘密と共に消え去ってしまうのではと大変危惧しています」スリムが早口で話した。 「ここ地球でどんな努力をしているんですか?」栗原が訊ねると 「収集器を使って汚染物質を集め、装置を使って無害化の処理をします」スリムが再び答えた。 「収集器と装置ですか…。その作業はどこでするのですか?」再び栗原が訊くと 「島の中央にある山の地下に無害化処理装置が埋められていて、収集器は地球上の至る所にあります」事務的な口調でスリムが話す。  栗原はそれを聞いて以前、広場で白い箱を地面に開いた穴へ投げ込んでいたのを思い出した。 「じゃあ、あの広場で宇宙船から箱を持ち出して穴へ捨てていたのは、その作業だったんですね」と言うと、 「それが適任だと選ばれた人達が作業しています」ジュニアが答え、シニアとスリムがソファから立ち上がった。  栗原と由紀子が一体何をするのか見ていると縁側へ向かい、そのまま家を出ていってしまった。  ジュニアは2人が出ていった方を見たままソファに座っていたが由紀子の顔を見るとゆっくりとソファから滑り降りて縁側へ向かい、昨日と同じように何度も振り返りながら帰っていった。 「驚いちゃ、いけないのよね。突然、帰ってしまっても…」唖然としながら見送っていた由紀子は自分に言い聞かせるように小さく呟いた。  それでも別れが寂しいのか、振り返るジュニアに振っていた手を上げたまま由紀子はしばらく藪を見つめていた。    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇   それから5日間、何故だか分からないが宇宙人達は姿を見せなかった。 「みんなどうしているかしら? ジュニアは元気かしら?」  ことある毎に3人のことを気にしていた由紀子は先日、仕事の悩みを相談した時にスリムが出してくれた結論によって島へ移住することを決心したようで、そのことを知らされた栗原は引っ越しの段取りに忙しかった。  翌日、東京へ戻った2人は3日間掛けて全ての荷物をまとめると引っ越し業者にそれを運び出してもらい、借りていたマンションを引き払う手続きをして島に戻ってきた。  ここは東京から離れていて船で渡るしか方法がない島だから、ようやく引っ越し荷物が運ばれてきたのが一昨日の夕方で2人が島に戻ってから3日後のことだった。  昨日は早朝から引っ越し荷物の片づけを始めたお陰で大物は殆ど片付き、今日は小物の整理だけだったからその合間に由紀子を連れて区長の高橋やガソリンスタンドの佐竹、そして横井夫妻の所へ挨拶に行くことが出来た。  島を留守にした4日間もあったが今日まで彼らに会う事なく、あっという間に2週間が過ぎ、由紀子も荷物の整理に追われて3人の事は殆ど頭にないようだった。  夕方になると、由起子は引っ越し荷物と共に運ばれたコンピューターを自分の部屋のデスクで開き、会社宛ての辞表をワープロソフトで書き始めた。  書き終えると名前の下に押印し、畳んで封筒に入れるとじっとそれを見つめ、 「これでイイのね…。スリムが教えてくれた通り、必要とされない所にしがみ付く必要は無いわ…」何かを振り払うように言って封をする。  部屋を出た由起子が郵便ポストのありかを訊ねようと栗原を探すと、引っ越し荷物を運びながらアトリエと母屋を行ったり来たりしているのを縁側の大きな窓越しに見つけた。  声を掛けようとして縁側までいくと端の方で3人の宇宙人がガラス越しに家の中を伺っている。  久しぶりに会えた嬉しさに加え、ガラスに鼻を付けて覗くジュニアがまるでいたずらっ子のように見えた由紀子は 「あらー、久しぶりね! みんな元気にしていたかしら?」と満面の笑みを浮かべながら大きく窓を開けた。 すると、縁側に立つ由紀子を見上げていたジュニアが顔を少し傾ける。  その仕草は何を意味するのかと見つめる由起子にジュニアはゆっくり目を細めその後、口の両端を上げて完璧な笑顔を作った。 「!!!」  それを見た瞬間、由紀子は驚いて言葉が出なかったが、 「出来るようになったのね?! 一生懸命に練習したのね!」とすぐに大きな声で叫ぶように言う。 「どうですか。 出来ていますか?」とジュニア。  作った笑顔を保とうとして話し方は変だったが、嬉しくなった由紀子は思わず縁側から飛び降りてジュニアを強く抱きしめた。  抱きしめながら横にいるシニアとスリムを見ると2人共目を細め、口の端を上げようとして力を入れているのか少し顔を震わせている。  アトリエから出てきた栗原が皆に気付き、近づいてくるのが見えた由紀子はそちらを向いて、 「みんな一生懸命練習して、見せに来てくれたのよ! とっても上手になったのよ!」と嬉しそうに叫んだ。  栗原が近づいてみると、由起子の腕の中にいるジュニアを見る事は出来なかったが他の2人は確かに目を細めて口を横に広げている。  実際は笑っているというより、困っているようにしか見えなかったが明らかに以前とは違う表情をしていた。  その2人を見て驚いている栗原に由紀子が 「ほら、ジュニアを見て!」と抱いていたジュニアの両肩を持って反対を向かせた。  その表情は明らかに笑っていた。  それは、微笑みと言うより完全に笑っていると言った方が正しい豊かな表情で、見ている者の気持ちまで楽しくするような笑顔だった。  これまでと別人のような表情に驚きながら、栗原はジュニアが愛嬌のある男の子のように思えてすごく可愛くなっていた。 「正しく出来ていますか」  再びジュニアは言ったが、口調はいつもの事務的なものでその笑顔には全くそぐわず、かなりの違和感を持った栗原が 「とても上手く出来るようになりましたね。その話し方がすごく変に感じる位ですよ」そう言うと由紀子も 「ジュニアちゃん、話し方も少し勉強した方がイイわね」その顔を覗き込むようにして言い、頭を撫でた。  他の2人はすでに笑顔を止めていて、スリムがいつもの無表情な顔で 「同じように練習したのですがまだ、ジュニア程には出来ずにいます」と言う。  気のせいだろうが無表情に戻ったその顔がとても残念そうに見えた栗原は 「シニアもスリムも表情が違うとハッキリわかりますよ。かなりの進歩だと思います」2人を慰めたくなってそう言った。  その言葉に何も返さずにいる2人を見て、 「感情の方はどうですか? 僕と由紀子に対する感覚は変わりましたか?」と栗原は話題を変えた。  すると、すぐにスリムが 「我々2人は何も変わりませんがジュニアは感情が芽生えたのか、由起子さんの名前を頻繁に口に出しています。笑顔を上手く作れるのもその感情が手伝っているのかも知れません」と何かを考えながら答えた。 「じゃあ、あなた達2人にもやがて感情が目覚めるんでしょうね」栗原は期待を込めて言った後、「そうだ、以前、芸術も理解したいと言っていましたよね。その手助けになるかも知れないから陶芸をやりませんか? 引っ越し荷物の中にろくろが2つあったので、アトリエにあったのと合わせれば皆で出来ますよ。粘土を手で捏ねれば何か作りたいものが浮かぶかも知れないし…」と嬉しそうに続けた。 「ジュニアちゃん、どんなものが作りたい?」それを聞いていた由紀子も楽しそうに訊く。 「今後は笑顔作りと芸術の勉強の両方をしていくのですね?」  シニアが栗原を見ながら訊くと、 「それと、それぞれに合った話し方の勉強もね!」由紀子が嬉しそうに付け加えた。
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