9人が本棚に入れています
本棚に追加
「え……」
その横顔に私は絶句した。
「た……拓?」
その横顔は、記憶の頃の黒髪ショートとは違い明るい茶髪のパーマを入れたショートボブで、幼さが残っていた筈の目元は垢ぬけた大人っぽい色気を帯びさせながら細めていて――
カ、と身体が熱くなるのを感じた。
出る、と言っていたからバンドだろうとは思っていたけれども、あんなに本格的なものだとは思っていなかった。てっきり、素人から少し首を伸ばした程度のものだと思っていたから私はこの場にいるのが急に恥ずかしくなってしまった。ただのお客さんだからそう思う必要はないのに、熱気を帯びたファンが数十人盛り上がっているのを見ると、どうしても場違い感がひしひしと刺さり妙に見ていられなかった。
でも、目は離せなかった。
『あがってこうぜおめぇら!!』
ボーカルの人のかけ声に合わせて、観客と一緒に拓が「おー!」と声を上げて右腕を突き上げる。楽しそうなその後姿に、私は視線をそのままに気づけばステージに近づき、観客席の一番後ろの方へと無意識に回っていた。
ステージの上の人と、お客の私。
マイクに向かって声を上げながらギターをかき鳴らしリズムよく頭を振る姿を見つめながら、会ったらどう声をかけようか悩んでいた自分が馬鹿らしくなってきていた。
きっと私は、観客集めの一人として呼ばれただけなのだ。
久しぶり、という言葉さえ言えない距離。
とはいえどうせ面と向かって会ったって、喋れなかったのだと思うと、この距離が丁度いいのかもしれない。例えどれだけ過去に仲が良かったとしても、会わなかった分の距離はずっと空き続けていた。きっと、この何も言葉を交わせない他人未満のこの距離が、私と彼の現在の距離を表しているのだろう。
――姿を目に焼き付けて帰ろう
私は曲を聞きながらぼんやりとそう思っていた。
思いながら気持ちが落ち込んでいくのを感じて、ああ、私は期待をしていたんだ、と思い知らされて、目からは零れない涙に混じった苦笑が零れた。もしかしたら拓は私に何かしら話しがあったのではないだろうか、あの日に戻れるような何かが起こるんじゃないか、とか、過度な期待を抱いてしまっていたのだろう。無意識のうちに、馬鹿みたいに、子どもみたいに――
「――っ」
目が、合った。
油断していた私は思わず咄嗟に目を逸らしてしまった。でも、それじゃダメだと内なる私が叫んだ。私は、勇気を振り絞って、顔を上げて視線を戻した。もうこっちを見ていない。ああしまった、と思うけど、まだ曲は終わっていない。中盤に差し掛かってギターソロになっているからだ。
こっちを向け
もう一度、もう一度だけでいいから
願いながら、根気よく見つめていたら。
また、顔がこちらに向いて、目が合った。
まるで、私をまっすぐ見ているかのような視線。
後ろに知り合いがいるだけかもしれない。
でも、私は、無意識に、手を振っていた。
顔の横で、控えめになってしまった、けれど。
「……っ! ……アハっ」
満面の笑顔でブンブンという音がしそうなほど勢いよく手を振ってくれる拓に、今までもやもや悩んでいた自分が馬鹿らしくなった。
私は嬉しくて、同じように大きく手を振った。
きっと、私も笑っていた。
ああ、これで十分だ。
言葉を交わさなくても、これが、久しぶり、という会話になった気がした。
言葉なんて、結局いらなかったのだ。
全身が羽のように軽くなった気分だった。
私はまた視線を合わせてくれるたびに手を振りながら、彼の演奏を見切った。曲が終わると、彼はステージ前のお客さんと喋るのに夢中になり始めていた。そんな彼を目に焼き付けるように数秒見つめてから――私は、頬骨が上がるのを感じながら背を向けた。本当は駆け寄って話しかけたい気持ちがあった。何度も振り返って『私このまま行っちゃうよ?』といい女みたいに勿体ぶる仕草とかもしようか一瞬悩んだ。でも、そんなことできるほど私は出来た女じゃないし、いい女でもないし、多分、やろうと勇気を出した瞬間、その気持ちばかりで身体はついていかず、地面と足をくっつけたかのように離れられない状態になる気しかしなかった。だから、すぐに動いて、離れた。
「うん、満足」
口の中で転がすように呟いて、私は来た道を戻った。
ゆっくり歩くと、屋台のいい匂いが空腹を刺激してきた。そういえば、ここまで来るための自分磨きの準備に時間をかけたせいで朝から何も食べていない。ふとスマホの画面を見ると、昼時はすっかり過ぎていた。
――あいつも、お腹空かしてるのかなぁ
なんて思いながら一番いい匂いをさせる牛串のお店に自然と吸い寄せられた私は、人が並んでいないことにラッキーと口元を緩めて肉を焼いているおじさんに声をかけた。
「すみません、一本下さい」
「あいよ一本ね……ああ、はいはい、二本ね」
「え? いや、私は一本って――」
「おっちゃんどうもー」
最初のコメントを投稿しよう!