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初夏、江の島での休日(再会)
4人家族がこちらにやって来るのを見つけると、ゲートで待っていた水族館の女性スタッフが大きく手を振った。母親がそれに応え、手を振り返す。子供たちは仲良く手をつないでスタッフに駆け寄る。
「いらっしゃいませ!当アクアリウムにようこそ。」
制服である、ブルーのポロシャツ姿のスタッフが接客言葉で迎える。
「久しぶり!ご招待ありがとう。それから遅くなっちゃったけど、就職おめでとう!」
若い母親が小さな手提げ袋に入ったお祝いを渡す。
「わあ、ありがとう。仕事中だから、あとで開けさせてもらうね。」
男の子と女の子の双子の兄妹が、早く中に入ろうよと催促する。
スタッフはチケットを1枚ずつ手渡し、入場口に案内する。
「今日、お仕事の方は大丈夫?」
歩きながら双子の父親が尋ねる。
「はい、未来のリピート客を獲得するため、2時間ほどご家族のガイド役に徹します! それから、ここでは飼育スタッフのことをトリーターと呼びます。」
誇らしげに新米トリーターが教える。
「それではトリーターさん、家族4人でお世話になります・・・ ところでご両親には最近会ってる?」
「ええ、入社して真っ先にここに招待したら、早速、年パスを買ってくれて。2週間おきに来てくれているよ。」
「そうなんだ! よかったね・・・ほんとよかった。」
母親がしみじみと感想を漏らす。
家族は、名ガイドに案内され、大水槽で相模湾の魚と触れ合うトリーター、イルカショー、ウミガメの浜辺、そしてなぜか飼育されているカピバラなどを見学して楽しんだ。
「こら、走っちゃだめよ。」
母親がたしなめると、兄は妹と手をつなぎ、早歩きで一行をリードする。
それを見て、母親は父親に手を差し伸べる。
「相変わらずお二人は、いや四人は仲良しだねえ。」ガイドが冷やかす。
一行は「クラゲサイエンス」というコーナーにたどり着いた。
そこはブルーの暗い照明の中、大小いくつもの水槽が並んでいて、様々なクラゲを展示している。
「ねえ、見て。」ガイド役のトリーターが中央の小さな水槽を指さす。プレートには「ニホンベニクラゲ」と書かれていて、「不老不死のクラゲとして知られています。」と超簡単な説明文が添えてある。
水槽を覗くと、空気の泡にと一緒に、8㎜ほどの大きさだろうか、小さなクラゲが水中を舞っている。目を凝らしてよくよく見ると、透明な小さな鐘の形をした胴体の真ん中に、赤いハート型の模様が見える。
若いトリーターが二人の子供向けに、なるべくわかりやすく、と説明を始める。
「このクラゲさんは、世界中のわりと暖かい海で暮らしていて、ちっちゃいけれど、これでも大人なの。このクラゲさんだけが不老不死、えーと、永遠に、ずっと死なない生き物なんだよ。」
「どうやったら永遠に生きていられるの?」
興味津々に母親が尋ねる。
「ベニクラゲは、ケガをしたり、海の中が生きにくい環境になってしまったら、ポリプという赤ちゃんに戻って、そこからまた大きくなっていくの。」
夫婦は、そして双子の子たちも、驚いたように、でも嬉しそうにお互いを見つめ合っていた。
盛夏、那須高原での休日(晴天の霹靂)
ホテルのレストランから続くデッキからの見晴らしは、なかなかのものだ。私と妻の結婚祝いにと、娘のすみれがプレゼントしてくれた景色だ。ホテルの敷地にある広い草原。その真ん中には大きな白樫の木。幹の低いところから太い枝が何本も伸びていて、木登りに持ってこいだ。今も4、5人の子供たちがどこまで登れるか、アタックしている。白樫の背景には、森の緑の地平線、その上には群青色の空が広がっている。
「スミチャン、このうえなく素敵なお心づくしを、ありがとうございます。母親冥利につきる、とはこのことでゴザイマス。」
カフェモカのカップをテーブルに置いて、妻のオーロラが娘をじっと見つめて礼を言う。イギリス生まれの日本育ちで日本語ベラベラのくせに、語尾は訪日観光客みたいに語尾が片言っぽいイントネーションなのは、照れ隠しのつもりだろうか。
「ううん、私も運よく夏休みがとれたし、景色がいいところで、のんびりしたかったんだ。
それからママ、わたしもう24なんだから、『スミチャン』はそろそろ勘弁してほしいんだけど。」
すみれはちょっと頬を膨らませた後、グレープフルーツピーチのストローに口をつけ、手のひらで髪をかき分ける。綺麗になったものだ。その髪の色は、イギリス生まれ・日本育ちの妻のそれよりも、いく分暗い。亜麻色というのか。
「パパはこのホテルに来てから朝昼晩、温泉三昧だものね。肩凝り、治ったでしょ。」
私がじろじろ見ているのが気になったのか、娘が話を振ってくる。
「ああ、だいぶ肩が軽くなった。でも東京に戻ったらまた・・・」
「あー、今はそんなこと考えないの! せっかく奮発したんだから。」
「申し訳ない。でも本当にいい場所をいい時間をプレゼントしてくれて、ありがとう。」
この夏、娘は勤めているヘアサロンでチーフとなり、給料も上がったとかで、この高原の温泉つきリゾートホテルの旅に招待してくれた。
陽射しが陰り、風が少し冷たくなった。森と青空の境にうっすらと雲が挟まり始めた。そろそろ室内に戻ろうかと席を立ちかけたころ、はるか地平線のあたりがチカっと光った。10秒くらい経ってから、くぐもってはいるが、ずーんと大地を震わすように遠雷が響いた。
これは気をつけた方がいいやつだ。以前、ゴルフ場で肝を冷やしたことを思い出す。その時は、念のためプレイは中断したが、まだだいじょうぶだろうとタカをくくって、のんびりと東屋に移動しているさなか、わずか20メートル先の東屋の避雷針を閃光が直撃した。
空が少し暗くなった。
草原の白樫に目をやると、一人の女の子がまだ木に登ったままではないか。
とっさにデッキを駆け下りながら白樫に向けて大声で叫ぶ。
「早くおりなさい!」
「降りられなくなっちゃった! 」
これはまずい。木はまずい。走るスピードを上げる。走りながら振り返ると、妻と娘も必死についてきている。追い返そうとしたが、考え直した。あの子を木から降ろすには、人数がいた方がいい。女の子は、白樫の幹が二股に分かれ、その一方のさらに分かれたところにまたがってしがみついている。幸い、木の根もとは草が生い茂り、柔らかそうだ。
「飛び降りるんだ! 」
「やだ! こわい、できない。」
べそをかく女の子をなだめすかして説得にあたるが、恐怖心に支配され彼女は身動きできない。
ドーン。
だいぶ近い所で雷鳴が響いた。
妻のオーロラが私と並び、手を広げる。それにならって私も手を広げる。二人で「救助マット」になって受け止めよう。妻が今まで聞いたことがないような大声で叫ぶ。
「安心して! 大丈夫だよ。さあ、ここに飛んで! 」
女の子は一度ためらったが、ようやく決心して木の幹から手を離した。
真上から落ちてくる子を二人でキャッチする。顔にスニーカーが直撃したが、どうってことはない。とにかく今は1秒でも早く。
「すみれ、いくぞ! 」
私と妻とで、その子を振り子のように降って、娘に向かって放り投げる。転がりながら女の子をキャッチした娘は、何をすべきか咄嗟に理解したらしく、その子を近くのこんもりとした草原に力の限り、投げ飛ばした。
それを見届けた私は、妻の手をとって、木の根元から離れる。その瞬間。
バチッ、と電気がショートするような音とともに、目の前がまばゆく白・・・
分娩台(夢うつつ)
陣痛が激しくなってきて、いよいよ分娩室に案内された。
といっても、ずっと苦痛を感じているわけではない。
強弱のゆらぎのある波のようだ。
その満ち引きの合間に、短いけど、物語の断片のような夢をみた。
ひとつは、両親を失ったときの記憶。落雷で自分の人生が終わるなんて、誰が予想できるだろうか? 雷は、木々を燃やし、父、母の遺留品は、焼け焦げた衣類の一部だけだった。両親の遺体も遺骨もない中で葬儀が行われた。私は独りぼっちになった。
もうひとつは、家族で水族館を訪れる夢。これは記憶にない。夢に出てきた夫は、間違いなく私の夫だ。今も分娩室の外で、出産の無事を祈ってくれているだろう。水族館の「トリーターさん」とは誰なんだろう。なんか見覚えあるような、無いような。
夜の十時ごろ分娩室に入って、今は朝の5時ごろ。
ようやく陣痛の「谷間」が無くなり、絶えず重み、痛みがぐいぐい襲いかかる。
エコー検査で既に知っている。双子の赤ちゃんたち。やっぱり二人分だと、生みの苦しみも倍なのだろうか?徹夜でつきっきりの看護師さんは、疲れを見せることなく世話をし、励ましてくれる。
「おぎゃ」「ふぎゃ」
可愛い二つの産声が分娩別に響き渡る。
「男の子と女の子よ。よくがんばったね」と看護師さんが声をかけてくれる。
お産直後の諸々の処置を終え、
看護師さんに車椅子を押してもらい、夫に付き添われ、自分の部屋に戻る。
夫は労いと感謝の言葉を贈ってくれたあと、顔がニヤつくのを隠さずに言う。
「双子のちびちゃん達、ママとパパ、どっちに似てるかな?」
「そうね、男の子はパパ、女の子は私だと、美男美女ね。」
「まあ、そういうことにしておこう。」
などと、他愛もない話をしていると、お姫様、王子様のお出ましだ。
双子はそれぞれ別に、キャスター付きの透明なベッドに寝かされている。
女の子は淡いピンク、男の子は明るいブルーの触り心地よさそうな産着を着せられている。
「それではごゆっくり、家族水いらずで、ひと時をお楽しみください!」
看護師さんは気をきかせてくれて、部屋は私たち家族4人となった。
夫と二人で赤ん坊の傍に寄り、お顔を拝見する。
男の子は、生まれたばかりなのに黒髪フサフサで、やや精悍な顔立ちか?
女の子は、金髪。私の髪の色よりも明るく輝いている。
その時。寝ていたはずの女の子の目がパッチリ開いた。男の子も起きたようだ。
女の子は、そのブルーの瞳を、何度か瞬かせ、その後私の顔をジーっと見つめた。
そして口元がほころび、「言葉」を口にした。
「スミチャン、お久しぶり。お父さんとお母さんを産んでくれて、本当にありがとう。母親冥利につきる、とはこのことでゴザイマス。」
(おしまい)
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