箱庭江戸時代

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 吾輩、年は十九、天保(てんぽう)四年産まれなので、女手一人で育ててもらった母上から天の助と名付けてもらった。 産まれも育ちも上方(かみがた)の吾輩、江戸の者には負けてはおれん。たまに観光で来る江戸の者は変な言葉で話す。やれ最近の話題はどうだの、やれここは田舎みたいでいいだの、やかましいたらありゃしない。ここが田舎とは何事か。天下の台所と言われた吾輩の産まれ故郷はなんと栄えている事か。歌舞伎もあれば、落語もある。なによりも、うどんが美味しい。 何不自由なく暮らしておるが、うどんと言えば、悩みと言うか、なんと言うのか、もやもやしている事が一つだけある。天ぷらうどんが食べたいのだ。 吾輩、うどんは大好物である。よく母上と一緒に行き着けのうどん屋さんにいくのだが、なぜか天ぷらうどんを食べようとすると、母親に「あんたがまだ小さかった頃、天ぷらうどんを食べて口から泡吹いて死にそうになった事があったからねー。だから、絶対天ぷらうどんだけは食べたらあかんで」と口酸っぱく言われてきたのだ。 だから吾輩、天ぷらうどんが食べたくてしょうがないのだ。いや、うどんも天ぷらも食べた事はある。だが、天ぷらうどんだけは食べた事がないのだ。それは、やろうと思えば、天ぷら屋さんで天ぷらを持ち帰って、こっそりうどん屋さんのうどんに乗せようと思えば出来るには出来る。 だが、違うのだ。行き着けのうどん屋さんの天ぷらうどんが食べたいのだ。 天ぷらうどんを食べたい理由はもう一つある。 母親と一緒に、うどん屋さんに行く時、天ぷらうどんを食べる客を注意深く見て見ると、何やら天ぷらうどんを食べ終わると入口とは違う別の出口に行くではないか。いつぞや、これはどうした事かと母上に聞いてみた。母上は「キセルを吸いに行っているから、子供は行っちゃいけないよ」と言うのだ。 なるほど。きっと、天ぷらうどんを食べた後の者は、キセルを一層味わえるのか。 天ぷらうどんを味わった者にしか味わえない楽園が向こうに広がっているのか。 そんな風に、天ぷらうどんへの想いを膨らます内に考えるようになった。 うどんとは、これまた奥が深い。
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