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蟹山が住む5階建てのマンションは、随分と寂れていた。壁面の塗装は半分近くが剥がれ落ち、繰り返す日照と降雨のせいか、残った部分もぼろぼろだった。
家賃は安いに違いない。病気の療養のため、一時的に妻と別居することを勧めはしたが、借りられる物件はここしかなかったそうだ。早急に入居できる場所という条件がつけば、確かに住まい探しは難しくなるに違いない。
運賃を払ってからタクシーを降り、薫と充希はマンション内に恐る恐る足を踏み入れた。管理人室を覗くと、来客に気づいたのか、初老の白髪の男が不機嫌そうに振り向いた。
書類作業に没頭していたのか、回転椅子に座った管理人は、ペンを持ったまま眉をひそめた。
「何の用です?」
「私、或る総合病院に勤めております医師の楠木薫です。こちらの401号室にお住まいの蟹山さんが、通院日である今日、時間になってもおいでにならないので伺いました」
開口一番、放たれたそっけない質問に、薫は自分の名前と勤める病院名をすらすら答えていく。その返答に、管理人は不審そうに口元を歪めた。
「なんだってわざわざ、病院の方から出向いてくるんです。電話が繋がらなかったにせよ、医者2人で家に押しかけるってのはちょいと可怪しいんじゃありませんかね」
「ああ、それには理由がありまして」
当然とも言える質問の答えを、充希が引き継ぐ。
「蟹山さんは、或る病気にかかっているんです。個人情報のため詳細は言えないのですが、本来なら入院すべきところを、高額な治療費がかかるからという理由で断っている。いつ家で倒れてもおかしくありませんし、そのときに真っ先に対応できるのは、我々医師か救急隊員だけです」
「なるほど。たしかに蟹山さんは、一人暮らしですからね」
納得した様子の管理人は、不意に席を立った。そして部屋の奥の方で何やらごそごそと引き出しを漁り、鍵を取り出す。
「念のため私も同行します。ですが、蟹山さんはここ数日、確かに様子がおかしかった。もし倒れていたとしたら、私の手には負えないでしょう。よろしく頼みますよ」
「ありがとうございます」
管理人の言葉に、薫と充希は勢いよく返事をした。
先導する彼の後について、2人は階段を登り、廊下を通った。途中で、後から増援が来ることも告げると、管理人はあっさりと了承した。
それほどまでに、蟹山の症状は悪化していたのだろうか。他人の目から見ても分かるほど、異常な方向に。
「ここです」
管理人が、一室の前で立ち止まった。何の変哲もないドアが、無言で鎮座している。鍵穴に鍵を差し込み、管理人は解錠した。
道を譲られ、薫と充希は一歩前へ出る。薫はごくりとつばを飲み、勢いよくドアを開けた。
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