症状の進行

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 ドアを開けた瞬間、異様な音が連続して聞こえた。固いものを無理やり壊すような音の合間に、何かが折れるような音が混じる。吐き気を催すような臭気も漂っていた。  薫は状況を理解すると同時に、顔が青ざめていくのを感じた。蟹山の症状が比較的緩やかだからと、舐めきっていた。充希の言う通りだ。甘かった。  管理人に入口で待っているよう伝えると、靴を脱ぐのももどかしく、土足のまま上がり込む。室内はやけに臭く、油ものの臭いが充満していた。  床に積もったほこりは、住人がしばらく掃除機をかけていないことを表していた。家事もできないほど、症状は重くなっているようだ。  息を切らして、薫は台所に駆け込んだ。そこには、何度見ても戦慄してしまうような光景が広がっていた。  開けっ放しの冷蔵庫の中は、ほぼ空だった。中身は、ほとんどが床に落ちてしまっている。卵の殻、肉を入れていたと思しき真空パック、ヒビの入ったタッパー、限界まで空いつくされてべっこりとへこんだマヨネーズの容器。  汎ゆる食べ物の残骸に囲まれながら、蟹山は冷蔵庫にもたれかかり、それでも何かを口に詰め込んでいた。心なしか、腹が少しばかり膨れているように見える。  突然の訪問者にも気づかず、彼は白いシャツをしゃぶっていた。溢したケチャップと何かのタレで茶色く染まり、汚れきった部分を必死の形相ですすっている。  傍目にはもうとっくに乾いているようにしか見えない、食べ物の残骸が染み付いた衣服を、血走った眼でじゅうじゅうと吸っていた。 「うわ、こりゃひどいな。なんで最初から呼んでくれなかったんですか、楠木先生」  ようやく病院から追いついたのか、助っ人が薫の後ろに立っていた。思わず振り向くと、これまでにも何度か世話になっている男だった。  白衣から急いで着替えたのか、シャツ1枚に短パンという軽装で、鍛え上げられた筋肉が覆う全身は鋼のように分厚い。腕は丸太のように太く、こんがりと日に焼けていた。 「すみません、三宅(みやけ)先生。まだ大丈夫かと油断していて」 「駄目ですよ、摂食中枢機能低下症の患者を舐めてちゃ。個人差があるとはいえ、あっという間に症状は進行してくんですから。あちゃー、食べるの制御できてないから吐いちゃってる。片付け大変だな、これは」 「すみません・・・・・・」  三宅のつぶやきに、肩身が狭くなる思いをしながら薫は謝罪をする。そして、意を決して蟹山に近づいた。
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