『遺書』

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『遺書』

 事前に用意しておいたスナック菓子を使い、蟹山をおびき寄せながら外に連れ出していく薫を、充希は無言で見守った。  腕っぷしが強く、摂食中枢機能低下症患者への対応にも慣れているからと電話で呼んだ三宅は、やはり有能だった。即座に薫の思惑を理解し、素早く彼女を追い越して先に玄関へと向かう。  玄関まで蟹山を連れ出した後は、三宅におぶわせて菓子を与え、大人しくさせるつもりなのだろう。  とはいえ、全身食べかすまみれの成人男性が、同年代に担がれているというのはかなり外聞が悪い。タクシーを外に待たせたのは、またすぐに蟹山を乗せて、病院へ戻るからだ。  自分を呼んだのは、この部屋の掃除をさせるためだろう。薫は、気を許した相手への人使いは荒い。  少ない荷物の中から手袋を取り出してはめ、マスクをすると、充希は大きく深呼吸をした。そして、意を決して地面にしゃがみこんだ。  まずは、床を埋め尽くす大量のパックや容器を処分する必要がある。それから部屋の換気と、軽い掃除も必要だ。  薫とは違って用意周到なため、大きめのゴミ袋数枚と、新品の雑巾はまとめて荷物に入れてあった。充希はゴミ袋を取り出すと、床に散乱するゴミを手当たり次第、中に放り込んでいく。  食べかすが残っていないのは幸いだったが、所々に異臭を放つ吐瀉物が付着していた。折り重なったコンビニ弁当を3枚一気にゴミ袋へ突っ込むと、異臭の元凶が姿を表す。  マスクをしておいてよかった、と心底思った。でろりと広がる吐瀉物には、消化しきれていない食べ物だけではなく、食道を通っている最中だったと思しき欠片まで混じっている。胃への負荷など考えず、食欲だけに身を任せて食べ続けた結果だ。  蟹山の姿を認める直前に聞こえていた、固いものを壊すような音を思い出す。人間の歯では噛み切れない何かに、食らいつこうとしていたに違いない。 「・・・・・・やっぱり、結構症状が進んでんな」  汚れたキッチンを見渡すと、案の定、テーブルの脚についた歯型を見つけた。歯型といっても、半円の浅い溝が途切れ途切れに重なっているだけで、所々に赤い絵の具を擦り付けたような跡があった。  全てのものを食べ尽くし、また新たな食料を得るために立ち上がることさえ億劫だったのだろう。  充希は、手袋をはめた手でそのテーブルの脚に触れた。材質は木だが、人間の顎の力で砕けるようなものではない。ということは。
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