蟹山という患者

2/7
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/30ページ
「それと、蟹山さんは今はまだステージⅡですが・・・・・・ステージⅢに症状が移行したときには、入院治療が必要になります。ステージⅢの患者の方々は今までに全員、入院治療をされていますので、一応そのことを視野に入れておいてください」  薫が真剣な話をしようとしているのを、蟹山ももちろん理解しているようだ。彼とて、大企業に務めるやり手のサラリーマン。まだまだ若手の部類ではあるが、営業職に就き、昇進も間近な有能な人間なのだ。  洗いたてと思しきスーツにぼろぼろと米粒を落としては、拾って口に放り込んでいるけれども。  それでも彼は、眼だけは真剣なまま話を聞いていた。 「入院治療といえば聞こえは良いですが、実際は薬でほとんど昏睡状態にあり、1日のうちで意識の戻る時間もそう長くはありません。完全な治療法が発明されていないため、脳の空腹を感じる部位を投薬によって麻痺させ、一時的に空腹感を抑える──そういった前時代的な治療しか、できないのです」  説明しながら、薫は胸が苦しくなるのを感じていた。  摂食中枢機能低下症は、非常に強い飢餓感を引き起こす病気だ。空腹感と満腹感を司る視床下部に異変があるせいで、正常に満腹感を感じられない。だから、理性も何もかも打ち捨てて、延々と食べ続ける。  そう、本当に延々と食べ続けるのだ。吐いても、胃が膨れても、喉をつまらせても。  身体の限界を迎えたところで、脳が満腹感を感じない限り、患者たちは永遠に食べることをやめられない。胃が既にいっぱいになっていても、何日も食べていないような強烈な飢餓感が、彼らを襲う。  病気が治らない限り苦しみ続ける患者から、苦しみを取り除く方法は、まだ樹立されていなかった。  摂食中枢機能低下症の患者は、全世界で100人以下。何があっても食べ続ける、その恐ろしい症状がネット上に拡散されて知名度は急激に向上したものの、治療方法の開発はそれに追いついていない。  せいぜい、患者たちを示すBigeater(ビゲーター)というスラングが人々の間に広まったていどだった。
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!