蟹山という患者

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「差し支えなければ、入院治療をされている方々がいらっしゃる、入院棟を見学したいのです」  美保の突拍子もない望みに、薫は一瞬固まった。確かに、世にも珍しい病気である夫が、もしも入院をすることになった場合、どんな環境に置かれるのか不安になることもあるだろう。しかし、安易に許可は出せない。 「すみませんが、プライバシーの問題でそれはちょっと・・・・・・」 「ええ、ですよね。変なことを言って申し訳ありません」  薫が遠慮がちに否定の言葉を述べると、彼女は大して態度を変えることなく応じてくれた。本当に、差し支えなければ、ということだったようだ。  最後まで丁寧な態度の彼女に、逆に恐縮しつつ、薫はその日の美保への説明を終えた。    ***  普通ならばそうおかしくもない「入院治療」という言葉は、この病気においてのみ、普通とは一線を画す治療法として定義される。  治療であると同時に延命措置であり、そして選択するかどうかの際に葛藤が生まれるからだ。  入院治療を選択した患者は、毎日適量の睡眠薬を投与され、1日中眠っている。摂食中枢機能低下症の治療に効果のある薬も少しずつ投薬されていき、症状を抑えながら命を延ばす。そういった治療だ。  それゆえに、問題は高額な治療費だけではない。本人が決めたこととはいえ、病が完治するまで体を動かすことはできず、家族や友人と話し、触れ合うこともできない。故意に日常から断絶した日々を送ることになるので、数年分の人生を眠って過ごす。  薫は、今までに担当してきた摂食中枢機能低下症の患者たちの姿を思い出した。  彼らは、最初から協力的な者、症状に怯える者、高額な費用にためらう者と様々だったが、最終的には入院治療を受け入れた。意識を保ったまま飢餓感と向き合う、通院治療があまりにも苦しかったからだ。  入院することを選んだ患者たちは今も、この病院にある入院棟の一角でベッドに横たわり、投薬を受ながら眠りについている。見舞いに来る者もいるが、数日に一度しか目を覚まさない彼らに話しかけても、反応はおぼろげであるそうだ。  しかし、異常なまでの空腹感を感じずに過ごせているおかげか、彼らの顔は穏やかだった。  ステージⅢや死にも等しいステージⅣに到達する速度が、かなり軽減されているからだろうか。  そんな患者を見てきているからか、薫は頑なに入院を断る蟹山に、おいそれとうなずけないのであった。
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