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 その夜、マスターはテレビを見ながら考えた。  12年後まで店を続けるべきか。それとも、自分の健康を優先して来年で店を閉めてしまうか。 (いや、よく頑張ったさ。27歳から店を開いてもう41年。定休日以外休まずやってきた。これ以上頑張る必要はない。二人には悪いがここが潮時だろう。ここが無くなったら、別の場所でってことにするはずだ。  でも、本当にそれでいいのか?  二人はこの店で再開することを夢見ている。そんな若人の夢を潰していいのか?いや、いけない!若人の希望を繋ぐのが、大人の役目だ!)  そう決心して勢いよく立ち上がると、膝と腰が悲鳴をあげて倒れてしまった。 (やっぱり無理だ。私の体がもたない。二人には悪いけど、店を閉めよう)  倒れたまま見ていたテレビに、ちょうど後継者不足の特集が流れ始めた。マスターは這いつくばってテレビの前に行き、食い入るように見た。 「そうか。M&Aか。その手があったか」  喫茶店の未来に、学生二人の未来に光が射したような気がした。  数週間後の定休日、マスターは身なりを整えて、店で人を待っていた。  4回のノックの後に店に入ってきたのは、ガタイが大きいスーツの男だった。男はマスターを見つけると、名刺を取り出して自己紹介を始めた。 「失礼します。エブリM&Aのタカハシです。こちらの案件は私が担当させていただきます」 「ええ。こちらこそよろしくお願いします。名刺は、すみません、個人経営なので作っていないのです」 「ああ、お気になさらず。それで、こちらの店を売りたいということでよろしいでしょうか?」  タカハシはマスターが進めた椅子に座り、単刀直入に聞いた。マスターは彼にコーヒーを出しながら頷いた。 「はい。私も年ですので、引退して誰かにこの店を続けてほしいと思ったんです」 「なるほど。後継者がいないということですか」  タカハシは鞄から書類を取り出した。それはマスターが事前に送っていた店の数年の売上や利益をまとめたものだった。 「さすが40年も経営されているだけあって、店の雰囲気は落ち着いていますね。それで、マスターの希望はこの店を改装することなく継続すること。よろしいですね?」 「はい。それだけは譲れんのです」 「なるほど。ただ、厳しいことをいうようですが、それは難しい。立地は住宅街のど真ん中で競合がいない反面、需要もない。損益も毎月ギリギリ黒字になっている程度。特別な経営ノウハウがあるわけでもなく、マスターの人柄だけで続けられているようなものだ。これではどこも買いません」  マスターは俯き、コーヒーに映った自分の顔を見つめて思った。 (そんなことは分かってる。利益が少ないから、一人で頑張って来た。人を雇った瞬間、赤字になって立ち行かなくなる)  タカハシは続ける。 「そこで、私からの提案ですが、今回のM&Aで資金が必要ということなら、この店を担保に銀行にお金を借りてみてはいかがでしょう?有料になりますがが、その書類の作り方のお手伝いならできますよ」  すると、タカハシは鞄から「銀行融資必要書類」と書かれた封筒を出した。  マスターは一口コーヒーを飲んだ。苦みが口に広がり、頭がすっきりする。その一瞬が好きだった。 「いえ、結構です。ご足労いただき、ありがとうございました」 「なるほど。そうですか。では、私はこれで」  タカハシはあっさりと店から出て行った。コーヒーを一口も飲まずに。  マスターはそれを静かに流しに捨てた。 (私の人生はこの店だった。利益は出なくても自慢だったし、誇りに思っていた。常連客もできて、認めてもらえていると思っていた。だが、外の人から見たら、ここはほとんど価値がないらしい。)  マスターはゆっくりとコーヒーを挽き始めた。その音は弱々しく店内にこだました。
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