十一話

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十一話

 忘年会はお開きとなり、社長が締めくくりの挨拶をした。  先程の(闇)取引なんてなかったように。  解散になり、全員店の外へ出た。  あたたかい店内から急に外へ出ると寒さが体にこたえる。千波はマフラーを首にしっかりと巻きつけた。  駐車場ではいろんな輪ができていた。  二次会に行こうかと仲が良い者同士で話し合ったり、ただただ駄弁っていたり、車を乗り合わせたり。  千波は千秋たちとかたまっていた。今はそこに畑中の姿もある。  今日の畑中の張り切り具合は見事で、文化祭を楽しむ高校生みたいだったと話していた。 「こっからどうする? ラーメン食べに行く?」  一服しに消えていた横溝が戻ってきた。彼女は千秋の肩に肘をのせ、千秋の提案に片頬を上げた。 「それもいいわねぇ。私は横で呑んでるかもしんないけど」  がっはっはと笑いあう千秋と横溝は吞み足りないし、食べ足りないようだ。  千波は正直、モツ鍋と食後の甘味でお腹いっぱいだった。だが、千秋たちともう少し一緒に話していたい。それだけ今日は、今までの忘年会と比べものにならないほど楽しかった。 「マルゲンかな? カイカテー……ライライテーもミラクも捨てがたい……」  畑中がラーメン屋や中華料理屋の名前を挙げていく途中で、岳は千波の肩を抱き寄せた。  冷えていく体が岳の体温で守られたような気がした。 「チナは俺が連れ去っていいスか?」 「え!?」 「連れ去るってどこに?」 「蒲里(がまり)へドライブデートです」  岳への想いを自覚してしまったため、過剰な反応をとってしまう。今までだったら彼の腕を払い除けていたのに。  しかもこんな誘いを受けるなんて。千波はドギマギしながら岳のことを凝視した。彼は肩に腕をかけたまま、歯を見せて笑う。  横溝と千秋は甲高い声を上げかけたが、咳払いでごまかす。二人で斜になると、夜空を見上げた。 「ん~……皆で呑みなおそうかと思ったけど、二人で行ってきたらいいんじゃない?」 「私らのことは畑中さんに送ってもらうし」 「え!? まぁいいけど……」  目を合わせようとしない千秋と横溝は、なぜか棒読みな口調だった。  畑中も興味津々な様子で千波たちの顔を交互に見ている。恥ずかしくなって千波は曖昧に微笑み返した。  岳は肩を抱く腕に力を込め、ぐっと顔を近づけた。 「どうする? チナ」 「えっと……」  岳に顔をのぞきこまれ、千波は視線をそらした。  千秋たちとの二次会はもちろん行きたい。でも。  好きな相手と二人で過ごしてみたい。  だが、正直に岳のことは選びにくい。からかわれるのも嫌だし、"男を取るんだ"とも思われたくない。  それでも今夜は、飲み会の雰囲気に吞まれてもいい気がした。  普段言わないこと、やらないことをしても誰も気に留めないだろう。明日にはきっと忘れられている。  こんな風に決心したのは初めてかもしれない。  千波は顔を上げて口を開いた。 「まさかチナが俺のこと選ぶなんてね~え?」 「さっきからしつこいですよ。また言ったら帰ります」 「ごめんごめん! それは勘弁」  運転中の岳は正面を向いたまま、千波の肩をポンと叩いた。  行きは四人で騒がしい社内だったのに、今は穏やかな雰囲気が流れている。岳はリラックスした様子でハンドルを握っていた。  二人は今、富橋の隣の隣にある蒲里市にいる。 ────チナ、イルミネーション見に行かない?  そう誘われて来たのは蒲里にあるテーマパーク。  海辺にあり、テーマパークの他に地元の名産品を扱うマーケット、フードコートが広い敷地に建てられている。マーケットの外には浜焼きを楽しめるバーベキューもある。  冬にはバーベキュー会場の近くにある広場がイルミネーションの光で彩られる。海辺には多くのヨットがイルミネーションライトに覆われ、サンタクロースの飾り物をつけている船もある。  テーマパークは月に数回、コスプレイベントが行われる場所でもある。  夏には世界的なコスプレイベントで、夜間にコスプレイヤーのために貸切になる。最近は冬の手前にもオールナイトのコスプレイベントが開催されている。  千波はカヤとズッキと、昼間からオールナイトのイベントに参加したことがある。  さすがに徹夜はキツイので仮眠を挟みながら。  彼女たちとは、コスイベの帰りにフードコートへ行く度に、”次は浜焼きBBQアフターにしたいね”と話している。結局いつも、イベントの撮影時間ギリギリまで滞在しているので行けず仕舞いだ。 (コスイベ以外で来たのは初めてかも……)  忘年会会場をあとにしてから、千波は浮き足立っていた。まるで会場に向かっている時の岳のように。忘年会の後にこんなイベントが待っていたなんて予想もしていなかった。  初めて異性に誘われて二人で出かけている。少し眠たかったが、岳と話していたら意識が覚醒してきた。  テーマパークの駐車場に到着して車を出ると、意外にも辺りは無風だった。ここは海のすぐそばなので強い潮風を覚悟していた。  千波は静電気で口元に張り付いた髪を払い、夜空を見上げた。満天の星空……とまではいかないが、富橋の街中より星がよく見える。  星座には詳しくないが、オリオン座なら唯一分かる。北斗七星も理科の授業で習った気がするが分からなかった。  星空よりも手が届く場所にあるのは、様々な色に変わる観覧車。これを見るとここに遊びに来た、という気持ちになる。 「意外と風ないですね」 「だな。良かったわ。せっかくチナと初めてでかけるのに、コンディション最悪とかないだろ」 「……はいはい」  軽く受け流して爪先を見つめる。歩きやすい靴にしてきて良かった。  だだっ広い駐車場には、広すぎる間隔を空けて車が何台か。  時刻は午後10時。さすがにこの時間にもなると、訪れる人は少ないのだろう。  ”行こうぜ”、と声をかけられて彼のあとに続いた。  園の入り口にある受付で、岳はコートの内ポケットに手を忍ばせた。そこから取り出したのは──── 「あ!?」 「どうした?」 「いえ……」  封筒だ。先ほど岳が社長に渡されていたものだ。  その中身はお金……?  千波は緊張しながら岳が中身を取り出す所を見つめる。賄賂で遊ぶのはいかがなものかと罪悪感が生まれてきた。  しかし、受付の笑顔のお姉さんが岳から受け取ったのは二枚のチケットだった。このテーマパークの景色が印刷されている。 (……え?)  拍子抜けした千波は、岳に肩を叩かれるまで固まっていた。 「ははは! 賄賂? 俺がスパイ? チナ、アニメの見すぎだって~」 「えぇ!? だってあれはどう見ても怪しい取引現場でしょ!」  園内に入って忘年会会場で見たことを話したら、岳に笑い飛ばされた。あまりにも大きな声を出すので周りの注目を浴びそうだが、すぐ近くに人はいない。  ポケットに手を突っ込んだ岳は、横目で千波に笑いかけた。 「でも良かったな。取引現場を見るのに夢中になって後ろから殴られなくて」 「……そうですね」  あんたも大概アニメの見すぎでしょ、というのは口の中だけでつぶやく。 「マズいものを見られたのは俺の方だよ」  歩きながら岳は前髪をかきあげ、苦笑いを浮かべた。 「え……? 何かやらかしたんですか?」 「ほら、今週の。チナが残業していった日の」 「まさかあれ……!」  あれ、としか言えない。  岳の前で流した涙、彼の体温、優しい声。全てよみがえってきて頬がカーッと熱くなる。  恥ずかしくなるような言動をサラッとやってのける岳だが、それを目上の人に見られるのは耐えられなかったらしい。  苦笑いから引きつり笑いになった彼は、小さく舌を見せた。 「そう。バッチリ見られてた。社長に」 「いやー!」  千波は手袋にファンデーションがつくのも気にせず、両手で顔を覆った。 「俺もさすがに恥ずかしかったから、社長に見られる前に削除しようと思ったんだけどね……。一足遅かった」 「バカ! 会社であんなことするから!」 「マジごめん。でも見なかったことにしてもらったよ。交換条件付きで」 「はぁ……?」  千波はゆっくりと手を離し、岳のことを怪訝な顔で見た。 「交換条件って?」 「うん。ここのチケットあげるから、チナと行っておいでって」 「何ですかそれ」 「社長さ、チナのこと気にしてたんだよ。前の部署のことでな。今日は忘年会だし、今年の嫌なことは忘れられるようにって」 「はぁ……!」  ものすごいことを聞いてしまった。まさか社長からも心配されていたとは。  自分はいつの間にいろんな人に助けられているんだろう。目頭が熱くなり、陰の味方たちに感謝した。 「お礼言わなきゃですね……!」 「そうだな。俺も……俺がこんないい役をもらったことに感謝しないと」  岳はニコッと笑ってマフラーを巻き直す。ちょっとした仕草なのに見とれてしまう。  二人は人が少ないパーク内をゆっくりと歩いた。お互いの間に微妙な距離を置いて。  周りはイルミネーションの光が輝き、お互いの顔を明るく照らしていた。  海がすぐそばだからか、海の生き物を模したイルミネーションが多い。  青や水色のイルカ、黄色や白のフグ、オレンジのクマノミ。  それだけでなく、木々も青や金色の光に染まっていた。 「わ~キレイ……」 「さっきからそればっかだぞ」 「語彙力がないんです。あってもやっぱりキレイって言います」  周りには相変わらずチラホラとしか人がいない。主にカップルだ。 「ま、俺もキレイとしか言えないかな……。他になんて言ったらいいんだろ」 「ほらそうでしょ」  いつもより彼に心を開いている気がする。千波はそっと、周囲を見る岳の顔を盗み見た。  会社ではあまり見たことのないはしゃいだ表情。見とれかけ、彼と目が合う。  そらそうと思ったのにそらせない。彼の視線にとらわれてしまったように。  岳はニヤリと口の端を上げた。 「どうしたチナ。今日はヤケに情熱的に見てくるじゃん?」 「……そんなこと」 「あれ? 殴られるつもりで言ったのに反応薄いな。眠くなってきた?」  ふるふると首を振った。眠気なんてどうでもいい。  今この瞬間を。彼といられる時間をかみしめたい。  そんなことを考えて頬が再び熱くなる。千波は恥じらいがちにうつむいた。  岳は彼女の頭をポンとなで、空を見上げた。 「……なぁチナ。最近聞いた言葉があるんだ」 「へぇ」 「イルミネーションは誰かと見なきゃただの電球だって……。一人モンにはちょっと心に刺さったよ」 「ふーん……」  何が言いたいのか。千波は彼の手が離れないようにそっと視線だけを上げた。 「チナにはどう見える? 今日のイルミネーション」  そう問われ、改めて周りを見た。  きらびやかな光。今までは誰と見ても"キレイ"で終わりだった。  だが今日は。岳と見ているイルミネーションは。 「星……かな。地上に降りた星。いつもよりキレイに見えます。香椎さんと……一緒だから」  今は外で周りには知り合いや邪魔する者がいないせいか。心が開放的になっているのか。  いつもだったら絶対に言わないことをこぼしてしまった。どんな反応が返ってくるのか予想せずに。  沈黙が下りる。さすがにこれはマズかったか……。  千波がおそるおそる顔をあげると、岳は呆けた顔をしていた。 「チナ……?」  その瞬間、千波の中で何かが爆発した。  彼の腕をきゅっとにぎる。彼は驚いたのか、"えっ"と小さな声を上げただけでうまく笑えずにいる。 「なんでこういう時には"俺のことが好きだからか~"とかバカ言わないワケ!?」  泣きそうになった。しかし、この前と違って悲しいから、寂しいからではない。 「好き……好きになっちゃったの。香椎さんのこと」  言い終わったと同時に涙が堰を切ったようにあふれた。  マスカラが落ちようがかまわない。千波は涙を拭おうとしなかった。  気づいたら彼に抱きしめられていた。この前よりずっと気持ちをこめて。  岳は千波のマフラーを巻いた首すじに顔をうずめていた。 「めっ……ちゃくちゃ嬉しい」 「……本当に?」 「もう素直になれよ!」  急に体を離されて怒鳴られた。きゅっと目を閉じると、きまり悪そうに岳が謝った。 「ごめん……。でも俺は思ったことしかチナに言ってないよ。今までずっとな。それにチナにしか言ってないし、してないよ。可愛いも、ハグもね」  岳は瞳を優しく細め、千波のことを甘く見つめる。  彼の腕の力が強くて苦しいくらいなのに、迷いのない想いから生まれた力強さが今は嬉しい。 「今までずっとあれだけアプローチして、やっと俺に心が向いたんだな……。こんなに時間かかったの初めてだぞ。絶対振り向かせてやろうって思ったのも。やっと相思相愛になったことだし、めでたしめでたしっと」 「いやおとぎ話じゃないんだから……」  呆れた声は出せるのに、いつもみたいなジト目で岳を見ることができない。  彼の本音を知ることができて心があたたかい。知らず内に笑みがこぼれ、また岳が驚いた顔をしている。それも仕方ない、彼には絶対に見せてこなかったほほえみだから。  これくらいは許されるだろうか。千波は手袋を外し、岳の頬を手で包み込んだ。  彼の上気した頬で暖をとると、こう言わずにはいられなかった。 「好きだよ、岳」  そして気がついた。……あぁ、これが幸せなのかと。    イルミネーションを楽しんだ後、岳と千波はどちらからともなく手をつないで駐車場まで歩いた。 「チナ」  岳に肩を添えられて振り向かせられた。  瞬間、唇に甘く柔らかい感触が広がる。  驚きで目を見開き、体の力が抜けて岳に抱き寄せられた。  ゆっくりと離され、今されたことの名称が分かった千波は顔を真っ赤にさせた。 「は……へぇぇ?」 「はは、チナがおかしくなった」 「あんたのせい!」  軽く笑った顔に指をつきつけたが、彼の表情は変わらない。先程からずっと幸せそう……というより、顔がとろけている。 「付き合ってるからいーじゃん!」  初耳の言葉だ。いつの間にそうなっているのだろう。これにはさすがにいつものジト目が復活する。 「……付き合ってるとは」 「え!? えーっと……付き合うってのはだな……」 「いやそれは分かりますけど。いつあたしと香椎さんが付き合うことになったんですか?」 「はぁぁ!? ダメなの? 両想いなのにぃぃ!?」  星空のように広い駐車場中に広がる叫び。海の向こう側にも、海と反対側にある山にもその向こうの山にも届いていそうだ。  千波は先程まで顔を赤くしていたことを忘れたように、"うーん"と頭をひねった。 「あたしは告白できたのでもう充分です」 「え~……。チナは欲が薄いんだな……」 「でもグダグダなのは嫌」 「わがままなお姫様だな!?」  頭を抱えた岳に、千波は首をかしげてみせる。ちょっと調子に乗ってるかも、と自分でも思った。 「じゃあさ……」 「はい」  千波の手を取り、岳は自分の口元に持ってきた。 「結婚すっか」 「……うん?」  結婚。  両想いとか付き合うとかも、この先一生縁がないと思っていた。ましてや結婚だなんて。  固まる千波をよそに、岳は夜空を見上げながらロマンチックに語り出す。こういう所はやはりサブい。 「あるらしいよ? 交際ゼロ日婚ってのが。俺らはある程度見知った相手だし、なんなら両想いだし」 「何今そんなんあんの!? 」 「うん。チナさえ良ければどうよ」 「……無理。無理無理無理。怖すぎる」 「じゃあ付き合お」 「……はい」  上目遣いでうなずくと、岳は持っていた千波の手の甲にキスを落とした。
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