四話

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四話

 ある日のこと。千波は突然、岳の部署へ応援へ行くことになった。  岳の上司がこちらの部署に来て、”応援要請~”と言いながら千波の上司の元へ近づいた。  彼が一歩進むごとに、千波の嫌いな連中はこぞって立候補する。無論、岳狙いだろう。  彼女はやれやれと自分の仕事に専念する。  この調子ならすぐに誰かしら選ばれるだろう、と。岳の上司は苦笑いで”こんなに来てもらってもなー……”と後頭部をかいている。  だが、上司二人が話し合って選んだのは千波。顔に"自分は関係ない"と書いてあるのに。  戸惑いながらも千波は、偉い人からの指示ならとデータの保存をして席を立った。  後ろに嫉妬の視線をいくつも感じながら。  岳の上司のあとについて部署を出ると、彼が振り返った。その顔は、お局様連中から解放されてホッとしているようだ。困り眉で笑いかける。 「いやー若名さん……。 あそこは"私が"って言ってよ~。おじさんはあのおば……お姉さん連中得意じゃないからさ」 「えと……はっきりおばさんって言ってよくないですか? 事実なんですから」  千波が率直な意見を口にすると、上司は顔を青ざめさせた。 「誰かに聞かれたら怒られるじゃん! 若名さんは堂々とし過ぎ」  隣の部署へ移動しながら上司とそんな話をした。例の手伝いの内容についても。 「今日お客さんが多いんだよね……。こっちは人数少ないし月末だから皆忙しくて」  部屋に着くと、やっぱりと言うべきか真っ先に岳に出迎えられた。 「チナー! 待ってたぜ! よく来てくれた!!」  彼に勢い余って抱きしめられそうなほど歓迎された。彼の腕をはらいのけると、上司は”おぉー……”となぜか感心している。  周りで仕事をしていた人たちも、ニコニコとこちらの様子を見守っている。 「待ってたって……あんたの差し金ですか!?」 「うん、そう。聞いてない?」 「聞いてない!」  千波がバッと振り向いて上司に問いただそうとしたら、そこに人影はなかった。  なんという速さか、上司は自分のデスクに戻ってパソコンのキーボードを叩いていた。  彼女はジト目で岳を見上げたが効果はなし。むしろ嬉しそうな顔をしていた。 ────と、その時。岳が横に消えた。突き飛ばされた、と言い直した方がいいか。  その犯人である女の先輩が、キラキラとした目で千波のことを見つめている。 「若名さーん! 来てくれたんだね! ホント助かるよ~。聞いたと思うけどとにかく忙しくて……。拉致られたって思わずによろしくお願いします」 「とんでもないです。香椎さんのためだけは嫌ですが、皆さんのお役に立てるなら」 「チナ!? 普通にひどいこと言うね!?」 「うるさい香椎。ねぇ? 若名さん」 「先輩も? なんで俺が蜂の巣……」  千波は突然先輩に肩を組まれ、驚いて固まった。先輩にここまでフレンドリーに接してもらったのは初めてだ。ちょっと嬉しい。  照れてうつむき加減になったのが彼女的には良かったらしい。満面の笑みで背中を叩かれた。その勢いで咳き込みそうになる。  顔を上げると先輩に抱きしめられ、頬ずりまでされそうになった。激しいスキンシップだ。同性の先輩からの優しさと愛に飢えていたせいか泣きそうになった。 「若名さんかわい~い~。もういっそウチの部署に来る?」 「行きたいです」  真面目な顔で答えると、岳の客が訪れたらしい。 「さっそくでごめんだけどお茶出し頼んでいい? 冷えるからとびきり熱いのを頼む」  そう言い残した岳にうなずき、千波は先輩に会釈をして給湯室へ向かった。  備え付けられた電気ポットにタオルがかけられている。タオルが膨らんでおり、"?"となってめくるとそとには細いロング缶のコーヒーが寝かせられていた。  タオルを途中までめくった状態で千波は固まる。果たして何て言ったらいいのか……。  考えた結果、口をついて出たのはごくありきたりな言葉だった。 「誰だよこんな所で温めてるヤツ……」 「シンデレラ」  自分の部署に戻る途中。わけの分からない呼び名を無視したら、後ろから岳が追いついてきた。 「チナ! お前のことだよ」 「何ですかそれ。シンデレラって」 「んー? 先輩連中が騒いで立候補してる間にフイッとしてたのに選ばれたから」 「そもそも香椎さんの差し金なんでしょう? シンデレラじゃなくないですか。 」 「そうかー? 嬉しくない?」 「嬉しくない。ちなみにシンデレラって灰かぶり娘って意味なんですよ」  サラッと夢が無いことを言うと、岳はハッとして口元を抑えた。 「怒った?」 「いえ別に。灰かぶりって私らしいじゃないですか」 「そんなことねーよ。 自分を貶めるな」  歩き続けていたら肩をつかまれて立ち止まらされた。  眉根を寄せて岳を見上げると、彼はフッとほほえんでみせた。 「チナはどっちかと言うとツンデレラじゃね?」 「は? 古っ」 「えー……」 「ツンデレとかそういうキャラでもないですし……では」  千波はさりげなく岳の手から離れ、再び歩き始めた。  "えー……"と言った時の岳が、子犬みたいでちょっと可愛く見えてしまった。  彼には気づかれないよう、わずかにほほえんだ。  それにしても今日はいい一日だった。入社してからそんな風に思えたのは初めてかもしれない。  あの女の先輩以外にも歓迎するような言葉をかけられ、些細なことでもお礼を言われた。  おばちゃん連中には”休憩しな?”とお菓子を渡された。缶のカフェオレまでもらってしまった。  本当はココアの方が好きだが、今日飲んだカフェオレは特別優しい味がした。  こんなこと、自分の部署ではありえない。今から戻るのが本当に憂鬱だが、今日のことを思い返すと心があたたかくなる。  またあの人たちと仕事がしたい。役に立ちたい。 (これだけは香椎さんに感謝しなきゃ……)  もらったお菓子が食べきれず、スカートのポケットに入っている。その感触を確かめながら、また呼んでもらえないだろうかとその時を心待ちにした。  千波の願いが届いたのかそれからも呼び出され、岳の部署の手伝いに行った。  なぜか新しい仕事も教えてもらい、手伝うというより本格的に仕事に取り組むことが多くなった。  "これならいつこっちに来ても大丈夫じゃね? どうせならおいでよ~"なんて多くの人に言われる始末。  自分の部署の人間とは徐々に距離ができ、話す回数も減っていった頃のこと。 『若名さん。○○部署の片付けに来て下さい』 「……は?」  岳の部署にその日も呼ばれ、もうすぐ上がるか、なんて話をしていた時のこと。  突然社内アナウンスが流れた。声の主は千波の部署のお局様。 (……何コレ。都合よく呼び出して……)  千波はハンディモップで掃除をしていた手を止めた。 「若名ちゃん行っちゃうの?」 「行きませんよ。行くわけないでしょ」  こちらの部署で仲良くしている先輩に不安そうに言われたが、千波は首を振った。  電話の受話器を取って一斉放送の設定をし、至って落ち着いた声で話す。 『そっちの手伝いをする義理はありません。自分たちでやって下さい』  そして嫌味のようにわざと音を立てて受話器を置いた。 「若名さんやるねぇ~! おじさん関心しちゃったよ」 「こうでなくっちゃあの部署で長年勤めることはできないもんね」  言ってやったという満足感に浸っていると、上司を含め先輩たちが笑い出した。  このあたたかい雰囲気も、日常のものになってきている。入社したばかりの時、一番ハズレの部署に配属となって絶望を味わった自分に教えたい。  三年頑張ったらご褒美がある。辞めることしか考えられなかった日常に希望の光が差す、と。  最近は社内でも柔らかい心からの笑みを浮かべられるようになった。千波は皆の顔を見渡していく内に、笑顔のお裾分けされているように口角が上がっていった。 「これくらい言ってやんなきゃですよ」 「意外とそういうこと言っちゃうんだね……。香椎以外にも」 「もちろんです」  千波は先輩に親指を立てて見せた。いつになく得意げな表情で。 『そっちの手伝いをする義理はありません。自分たちでやって下さい』  そのアナウンスが聞こえた時、岳は社長室に訪れた帰りだった。  思いもよらない声の主に、思わずくすりと笑ってしまう。誰も見てないのが幸い。 (やるなぁ……チナ)  彼にとってのツンデレラ────もとい可愛い後輩は、こんなことをやってのける度胸がある。  だからこそ。 (これからはもう、行ったり来たりなんてしなくていい。チナがずっといたい所にいればいいから)  この内容を彼女が知ったらどんな反応をするんだろう。  淡白な彼女でも嬉しそうにするだろうか。不機嫌さを前に出して不服そうに”ありがとうございます……”と言いそうだ。口をとがらせて。ただし、その頬は優しい桃色に染まるだろう。  岳は想像してかすかに笑った。
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