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【15時50分】
事務所を後にした真田はいつもの幹線道路を通り、先ほど新人運転手の一條を連れて顔を出したT駅のタクシー乗り場へ戻る。
駅に着くとタクシー乗り場の先頭で待機しているのは他社のタクシー車両ではなく栄行タクシーの車両になっており、後方に並べてある他の栄行の乗務員が2人ほどその先頭車両に集まり話をしていた。
「おつかれ~~あれからどう?」
乗務員が集まる先頭車両に歩いて近付きながら真田が3人に声を掛ける。
「今んところダメだわ班長。あれから西村と丹波しか客を乗せて出て行けてない」
先頭車両の運転席から顔を出したのは、黒いサングラスを掛けて細いネクタイを締めた柳だ。手のひらをヒラヒラさせて現状を報告する。
「今日は暇ですよ、班長」そう言ったのはこの中では一番まともな制服の着こなしや身なりをしている50代半ばになる内藤だ。
「僕なんて朝から走ってこの時間で、まだ売上は6千円にもなってないですからね」
そう言った小笠原の制服の肩にはトゲの付いたショルダーパットがついている。隣に引き連れている愛犬の柴犬が「ワン!」と吠えた。
小笠原のその言葉と犬の鳴き声を聞いた真田は、「いやお前はさ、そろそろツッコミ入れていいか?」
そしてハ~~ッとため息を吐き出して、
「そりゃあ乗らないって、普通のお客さんはお前の車に。その格好に加えて助手席に犬まで乗せて営業してるってんだから。どこのタクシードライバーにそんな奴がいる?むしろお前はその格好で警察に止められず営業出来てるだけありがたいと思うべきだわ」
真田が正論を捲し立て小笠原を論破しまくっているその時、
年の功は70代くらいであろうか身なりのいい年配女性が先頭車両の柳の車に近付いていた。
そして、「ちょっと家まで行って小物を運ぶのを手伝って欲しいのですが…」と柳に言い始める。
柳は、「ダメだダメだ婆さん、そんな事は。これはタクシーなんだから」と突っぱねる
「ここから乗せて貰ってK市の家まで行って、そこで小物を乗せてそれを渡しにN県まで行って欲しいのですが…」
年配女性のその言葉を聞くと柳の車の後部座席のドアがバタンッ!!と勢いよく開いた。
そして、「どうぞ!!こちらの車にご乗車下さいませ!」
新人研修の時でも聞いた事のないような爽やかな声を出し背筋をピンッと伸ばしたドアサービスで年配女性を招き入れる。
そして柳は窓から手を出し勝ち誇り「じゃあ行ってくるぞ!皆の者!!」
そう言い残すと意気揚々とタクシー乗り場から車を走らせて行った。
「相当(売り上げが)上がると思うぞあれは……多分4万くらいいくんじゃねぇか?」真田は残された内藤と小笠原を見て羨ましそうにポツリと言った。
しかしそこからパタパタと連続でお客さんが乗り出し、駅の雰囲気が忙しく変わっていく。
そして乗り場の先頭になった真田の車には赤い服を着た少し小太りの中年女性が乗り込み、行き先はN筋山手2丁目だと告げられた。
運転しながら柳の行き先が羨ましすぎて頭から離れなかった真田は、曲がらなければいけない脇道も曲がらずついつい直進してしまった。
「ちょっと!これ道を間違えてるんじゃない!?」
後部座席から当然の指摘をする中年女性の風貌は、小肥りで赤い服を着ておりその赤い服の正面には虎の顔の絵の刺繍が刻んである。
真田は慌てて「すみません!新人なもので!」と調子良く返すも「嘘つきなさいよ!あんたから何度も乗った事あるわよ!」と怒鳴られた。
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