第2章 Part1【ギャンビット −旅の準備−】

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第2章 Part1【ギャンビット −旅の準備−】

「ふぁ……ぁあ……」  思いのほか、よく眠れた。ちょっと体が固まった感じはするけど。  全面が木板で組まれただけの、質素極まりない家屋。私からすれば小屋と呼ぶに等しいけど、とりあえずベッドがあるだけマシだと思うことにするわ。  とまぁ、そんなことよりも…… 「……ジャンヌ?」        ⚔ ⚔ ⚔ 「おう、お嬢さん。よく眠れたかい?」 「ええ、まぁ」  誰もいないので、小屋あらため民家の外に出てみたら。朝早くから畑を耕すサン・キュロット姿の老夫婦が、朗らかな笑顔で声をかけてくれた。  正直、サン・キュロットにはあまりいい思い出がないのだけど……それでもやはりというか、このご夫婦もまた私がマリー・アントワネットだとは知らなかった。何ならジャンヌ共々、行商人の馬を奪って逃げたお尋ね者だということもね。  それはそうと、ジャンヌは……? 「ジャンヌ、アナタ何してるの?」 「何って、見ての通り畑仕事の手伝いだが?」 「何で?」 「一宿一飯の恩義ってヤツだ。これぐらいは当然だろう」  言いながらも農具を持つ手は止めず、ただでさえ汚れていた服をさらに土で汚しながら、懸命に土を耕すジャンヌ。  その様は、とても私の中の英雄像とかけ離れているけれど……でも私はそれを貴族らしく滑稽だとは思わない。  むしろ頼もしいというか、羨ましいとすら思える。ジャンヌの生き方そのものが。  何かをしてもらったら、それ相応か、それ以上のお返しをする――そうやって彼女は人々の心を掴み、やがて後世までその名を語り継がれるような英雄になっていったのかもしれない。  少なくとも、最後まで国民の気持ちを理解できずに、嫌われたまま死んだ私とは違う。 「……私もやろうかしら?」 「お前が? 貴族なんじゃなかったのか?」 「気を遣ってもらわなくて結構、今は貴族じゃないから。それに元・貴族だからって、これくらいやろうと思えばできるわ」 「お、おいっ……」 「大体ね、貴族はただ踊って遊んでるだけだと思ったら大違いよ? 貴族は皆、物心ついた頃からありとあらゆる勉強をしてきた上で――ぅわあっ!?」  ジャンヌから半ば強引に奪い取った農具。それを思い切り振りかぶった結果、無様にもそのまま尻もちをついてしまった。だって仕方ないじゃない、こんなに重いと思わなかったんだもの。 「あ〜もうっ、せっかく耕したのに……もういい、あとはアタシがやる!」 「余計なお世話よ! こういうのは経験を積んでこそ……」 「今じゃなくていいだろ! 早くそこをどけ!」  なんてひと悶着がありながらも、その後もジャンヌ一人で畑仕事は順調に進み…… 「ふぅ……やっと終わった」 「ご苦労様。まぁ上出来なんじゃない?」 「お前が言うな。見てただけのくせに」 「見てただけじゃないわ。見て学んでたのよ!」 「はいはい、そうですか。まったく、口だけは達者な奴だな……」 「聞こえてるわよっ!」 「聞こえるように言ってるんだっ!」  たかが畑作業で、何で無駄に喧嘩しなきゃならないのかしら? 私だって背中とお尻を汚しながらも頑張ったんだから、そこは褒めてくれてもいいじゃない。  しかしあんな重たい農具で、本当にここの老夫婦は毎日畑を耕しているというの? ジャンヌはおろか、私より倍ほどお歳を召しているというのに?  ……いや、今さら疑うだけ愚問ね。ただ私が知りもしなかった、というだけなのだから。  ここの老夫婦だけじゃない、あのリンゴをくれた行商人だってそう。多くの国民のたゆまぬ努力や思いやりの上に、領主や貴族、ひいては国の暮らしが成り立っている。  だけどそれが毎日当たり前のように続いていくから、いつしか私みたいな上流階級はありがたみを忘れていく――そんな人間がろくな死に方をしないのは、私が身をもって知っているわ。 「そもそも何で非力なくせに手伝おうと思ったんだ?」 「それは……一度くらいやってみたかったのよ。宮殿暮らしじゃ一生味わえないと思ったから」  ふとしたジャンヌの質問に、私は思わず吐露してしまった。幼き日より抱え続けてきた思いを。  そう、私は心のどこかでずっと憧れていたのよ。華やかに見えて実は窮屈な宮殿の中で、私の好奇心は常に周囲から押さえつけられていたから。  だから私はもっと世間を知りたかった。そして願っていた。いつかプライドとプレッシャーに満ちた宮殿を抜け出し、誰も私を知らない土地で愛する家族とともに、のどかに暮らす日々を…… 「すまないねぇ。馬を譲ってくれるばかりか、わざわざ畑作業まで手伝ってもらっちゃって」 「構わない。むしろ礼を言わねばならないのは我々の方だ。他に何か手伝いが必要なことはないか?」 「いやいや、もう充分だよ。それにしても、まだ若いのにずいぶんたくましいお嬢さんだ。ワシらの息子が生きていたら、是非お嫁さんに欲しかったねぇ」  ここで空気を読んだように話しかけてきた老夫婦。しかしジャンヌの親切心に対し、意図せず漏らしたであろうその言葉が、片田舎に漂う澄んだ空気を濁してしまった。 「息子さんがいたのか?」 「ああ、何年も前に戦争で死んじまったけどねぇ……」 「《ドナルガン》の奴らに殺されなければ、今頃は……!!」  穏やかな笑みを湛えつつも、言葉の節々に悲しみを滲ませるご婦人。それとは逆に、怒りや憎しみを(あらわ)にする旦那。  そんな老夫婦の悲哀には、私も元・王妃としてそれなりに同情する。ただ私以上に渋い表情を浮かべていたのは、他ならぬジャンヌだった。 「すまない、余計なことを聞いてしまって……」 「いやいや、ワシらの方こそすまなんだ。忘れてくれ」  今さらジャンヌが気を遣ったところで、沈みきった雰囲気を変えるには至らず。老夫婦の愛想笑いが、かえって私たちの心に刺さる。  このままここに留まっていても、お互いにいたたまれないだけ……そこで私の口から「そろそろ行きましょう、これ以上ご迷惑にならないうちに」とジャンヌに促し、ジャンヌも「……そうだな」と、気持ちをあらため老夫婦に背を向けた。 「すまない、世話になった。我々は先を急ぐので、もう行く」 「そうかい? というか、そんな汚れた格好で大丈夫か?」 「えっ? ああ……」  老夫婦に言われて気づき、私たちは互いの背中を交互に見合った。ジャンヌはともかくとして、私ったら(うね)にお尻から転んで泥だらけのままじゃない。 「何か代わりの服を用意しなきゃねぇ……と言っても、息子の物しかないけど……」 「そうだな……それで構わない。むしろそれがいい!」  申し訳なさそうな老夫婦に対し、やけに食い気味で欲しがるジャンヌ。何か閃いたのかしら?  とにかくこうして私たちは、革の服とサン・キュロット(男性物)を手に入れた。 「いやはや、喋り方もそうだけど、よく似合ってるじゃないのさぁ!」 「まぁ、アタシは男装に慣れているからな」 「逆にそっちのお姉さんは……さすがにちょっと大きかったかねぇ」 「まぁ、背に腹は代えられませんから……」  はたして服がブカブカなのか、それともこれまでのコルセット生活が裏目に出たのかは、さておき。まさかこの私に、散々反感を買ってきた下々の者たちの象徴である、サン・キュロットを履く日が来るなんてね。  まぁ何にせよ、忌々しい処刑時のドレスを脱ぎ捨て、なおかつ追手の目をかいくぐれるなら、充分アドバンテージは大きいわ。少し土臭いのも、この際我慢して差し上げましょう。 「本当に何から何まですまない」 「いやいや。にしても、その格好でそんな喋り方されると、何だか久々に息子と話してる気分だよ」 「うんうん。それよりお嬢さんたち、これからどこへ向かうつもりだい?」 「フランスという国なのだが」 「はて、フランス……?」  老夫婦の素朴な疑問に対して、率直に答えてみせたジャンヌ。それでもやはり老夫婦の反応は予想通りで、とても期待できそうにない。  とはいえジャンヌ自身、ダメで元々だったでしょうけど…… 「やはりご存知ないか。実は我々も、フランスに向かう手立てがなくて困っているのだが……」 「う〜ん……そういうことなら、なら何か知ってそうなもんだけどねぇ……」 「あの爺さん?」 「ああ、ここから遠く離れた街にある城に、一人で暮らしてる画家なんだけどねぇ」  まさかのジャンヌの粘りが功を奏し、とりあえず私たちの次なる行き先が決まった。  それにしても、『城暮らしで何でも知ってそうな画家』ねぇ……私なら一人、歴史上に思い当たる人物がいるけど――……
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