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置いていかないで!!!
彼は画面越しに叫ぼうとした。しかしその悲鳴は猿轡と共に噛み締められただけであった。
彼の足は座らされたイスの脚に、手は背もたれを挟み後ろで縛られている。動かすことのできない体の中で唯一自由となる目蓋からは涙が溢れ続けている。
スーツを着た若い男性だ。まだ新卒であろう皺のない肌と衣類には埃が目立つ。髪はワックスで整えられていたはずなのに酷く乱れているのは何故だ。
監視カメラのレンズを通して映し出された映像は全てこの部屋へと集まっている。本来なら施設の警護をする職員だけが部屋へ入り、カメラを通して異常の有無を確認するのである。
だから縛られた彼は部外者なのだ。その部屋に立ち入るべき者ではない。もちろんそれを彼も知っている。其所にいるのは彼の意思ではない。
カツリ。
目の前の大きな画面の中は均等に分割され、いくつもの場面が同時に展開されている。そこには彼が目指した出入口の様子も含まれていた。
シャッターが下ろされた大きなガラス扉を見つけた時、彼の足はイスの脚を引き摺ってでも駆け出そうとした。目の前に餌を出された空腹の犬は涎を垂れている。
カツリ。カツリ。
苦しいのだ、彼は。その空間から逃げ出したくてたまらない。こんなはずではなかったと涙を流し続けている。
カツリ、と彼の真横に男が立った。その瞬間、彼の顔は真っ青となり震え出した。 さっきまでとは違い恐怖から涙が溢れ出す。鼻水も垂れ流し、拭えない顔はまさに大洪水となってしまった。
男は笑っていた。声を出さずに満面の笑みを浮かべている。それは幼い子どもが新しい玩具を手に入れた時のものとそっくりだった。
その手には、玩具ではない本物の拳銃が握られている。中には弾も装填されているのだろう。男は引き金を引けばいつでも発砲できる状態で銃を手にしていた。
彼と並べれば少年とクマである。それだけ体格に差があった。見た目だけでなく力も大違いだろう。なにより彼は疲労していた。
カチカチと男は手の中にある拳銃を持て余している。男の気分ひとつで彼は簡単に命を奪われてしまうのだ。その状況を彼は怯え、男は楽しんでいる。
助けて! 助けて! 誰か!!!
彼はその部屋から離れた画面の向こうへと助けを求めた。しかし届くはずもない。画面の向こうの通路にいる者たちは彼がいなくなったことなど気づいていないのだから。
カチリ。カチリ。
暗い部屋の中では監視カメラから届く映像と、その前に座らされている彼だけがぼんやりと浮かび上がっている。照明灯の点滅するあの長い通路よりも暗い闇が、その部屋にはあった。
若い彼の体を男は長い舌で舐めるように視線を這わす。次第に笑みは下品なものへと変わっていった。彼は身を震わせた。男が一体何を考えているのかわからない。だが危険なものだということだけは察していた。
カツン。カツン。
背後から別の男が姿を現した。まるで影から這い出てきたかのように、部屋へ入ってきた時の音に気づかなかった。もしくは気づかなかっただけで男は最初からいたのかもしれない。
その男は、背がすらりと高い青年だった。まだまだ体力の有り余っているだろう若者だ。男の手にはナイフが光っている。
二人の男は距離を縮め、彼が聞こえない声で何かやり取りをし、ちらりと彼を見た後で長身の男は部屋を出ていった。
それを目だけで追った時、彼はやっと気づいたのだ。その部屋にいるのは自分と銃を持つ男だけではないということに。
おそらく十人近くいるだろう男たちは、皆同じ制服を着ていた。男たちは夜の施設を警護するという仕事を負った警備員たちなのである。
男たちは何かの切っ掛けで枷が外れてしまったのだろうか、本来の仕事を忘れ、狂った時間の中で獲物を狩り出した。その獲物こそ、招待状を手にしてやって来た彼らなのだ。
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