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Go to hell.
世の中は本当にくだらない。何をしてもうまくいくことばかりでなければ、うまくいく時はなんだこの程度かと言うほどに容易く終わる。つまらない。つまらない。だから現実ではない世界を夢に見る。
架空の設定を作りあげ、自分達だけにとって都合のよい法を基礎に敷き、より美しくより愛らしくより逞しくより激しくストーリーとキャラクターを生み出した。それらは全て存在し得ない幻である。
いつの時代であっても人は夢を見た。現実から逃げるように、夢を見続けた。あるいは、現実の一部に焦点を絞り、それを伝えるために夢を作り出す時もあった。人の見る夢は全て人が作り出したものなのだ。
世界はくだらない。同じ間違いをただただ繰り返す。間違いが正しいのだろうか。間違いを修正しようとすることが間違いなのだろうか。正しいことが間違っているのだろうか。
世界のどこにも正解は用意されていない。ああでもない、こうでもないと迷ったあげくに手を出してみれば中途半端な結果にしかならず、世界を壊すことにしかならなかったのも1度や二度ではないはずだ。
正しいか間違っているかなど、結局はパズルを組み立て終わり全貌を見なければ判断ができないものである。その過程で間違いに気づけたとしても止めることは可能なのだろうか。
止めてそれまでに組み立てたものをテーブルから払い落とすことは勇気がいる。費やした時間と労力は戻ってこない。全て始めからなかったことになど誰にもできないのだ。
だからこそくだらない。間違っているとわかっていても声をあげることも手をあげることもしないのはただの放棄だ。
変化をしないということは現状維持という意味ではない。変化をさせない努力をしてこそ現状の維持は可能となる。何もしない、放棄するという行動が向かう先は衰退である。
何が間違っているか、何が間違いなのか。世界には正解が用意されていない。道は真っ暗だ。
どんな道を歩くのか。歩かなくてはならないのか。いいや、歩かされているのだ。選ぶことなど最初から用意されてはいない。
人は同じ道を何度も歩かされているのだ。ああ、また同じ道じゃないか。それに気づいた時、人は歩くのをやめるのだろう。なんともくだらないことだ。
なんて世界はくだらないのだろう。だから人は道を外れようとする。正しいか、間違っているかではない。人と違う道を自分は行きたい。他とは違う結末を人は望んでいるのだ。
人は夢を見る。奇跡や有り得ない現象を待ち望んでいる。
なぜなら、このくだらない世界という部屋から出ていきたいからだ。現実とはそういうものであろう。
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