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どこからか注がれ続ける無数の視線を浴びながら、ゲストたちは逃げ道を探した。そしてとうとう見つけたのである。
「あった!」
秘密の抜け道は人形の座ったイスの真下にあった。四本の脚が押さえるタイルが其所だけ僅かに浮き上がっているのである。
誰かがイスを足で退かした。その上の人形は邪魔だと思い、腕を掴んで壁側に放り投げた。何処へ飛んでいったのかすら気にもしなかった。ただ、その無下に扱われた人形の両目はしっかりと人を見つめていた。
タイルは意外にも簡単に動いた。それを横にずらして現れた通路には、ひんやりとした空気が漂っていた。
覗いたゲストたちは皆鳥肌を立てた。寒かったからではない。其処に漂う空気は、命が絶えた生き物の纏うそれとそっくりであったからだ。
例えば霊安室。例えばホルマリン漬けの検体が眠る準備室。例えば病院。例えば火葬場。一度は経験したことがあるだろう、あの独特な雰囲気と空気。
生温い生が冷えて死となった、あの臭い。
その通路にあるのは、まさにそれであった。
ゲストたちは怯んだ。しかしここしか道がない。
一人、また一人と順番に、開いたタイルの穴をゲストたちは通っていく。最初は真っ暗な闇も奥には小さな電灯が照らしているようだった。
お開きとなったパーティー会場には、新たにできた一組の夫婦だけが残された。
夫婦という文字はふうふと読む。それは夫と妻、男性と女性の意味だろう。しかし同時にめおととも読む。
では、こうは考えられないだろうか。
めおとが雌と雄とを指すことがあれば、「夫婦」という文字は男性と女性、女性と男性。立場を入れ換えることが可能なのではないか。どちらが優勢、劣勢ということはなく、一つの家庭という中で対等に生きていくことが二人には可能なのではないか。
性別や人種を越えて、一つの空間の中では夫婦という関係は対等なものであるべきなのではないか。それこそ、ホストの望むパートナーという存在のように。
それは可能なのだろうか。
可能にするのは二人の意識次第である。
人形の下には抜け道が隠されていた。外に出るための唯一の逃げ道である。彼らは人形を退かして進んでいく。ただ帰りたかった。帰りたかっただけなのだ。
彼らはホストである人形に見向きもしないで乱雑に扱った。ゲストである彼らにとって人形はただの「物」なのだ。それ以上の価値を持たず、命なき人の形を真似ただけのオモチャなのである。
その中でただ一人、彼の人だけが倒れたイスを立たせ、座席にハンカチを敷き、人形の衣服と髪を整え、顔についた埃を指でぬぐった。そして、最後に優しく丁寧に持ち上げて座らせたのだ。その扱いは人に対する以上のものだったかもしれない。
彼の人は部屋を去ろうとしたその時、一人の人形に向かってこう言ったのだ。
「ごめん」
何に対して謝ったのかはわからない。しかし、彼の人は確かに人形に向かって声をかけたのだ。
ホストは満足そうに笑みを浮かべ、彼の人が背を向けたその時に自らの口から声を発した。
「あなたこそ運命の人」
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