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「ただいま戻りましたぞ」
中年男が慌ただしく入った居室には妙齢の美女が待っていた。きちんと襟元まで着込んでいるが浴衣の薄い布ではその女臭さまでは隠し切れず、むしろ滲み出ているかのようだ。
「首尾はいかがでした」
中年男が目の前に腰を下ろして深く息を吐くと、不意にずるりと崩れた。空気の抜けた紙風船のようにぐにゃりと倒れるその身のなかから童とまごうほどか細く小柄な女が全裸で現れる。
全身偽装。極めて高度な変装術だった。
「委細策の通り」
先ほどまでの妙に落ち着きの無い様子はなんだったのかと思うほどに抑揚なく淡々とした声と絡繰りのような無感情。
被り物のなかは相当に暑かったのだろう、滝のように流れる汗を部屋に置いてあった手拭いで軽く拭き取ると浴衣を纏って座り直した。
「“百里駆け”は二刻を過ぎた頃には確実に街を出る」
「わかりました。ではこちらも支度が整い次第始めましょう」
女はこくりと無言で頷き、周囲を窺うように意識を広げた。
「あとのふたりは」
「桃終斎様と駆狗丸は湯殿へ」
「今日の湯女番は飛雉だけど」
「駆狗丸が代わりたいと言うものですから」
なに食わぬ顔で答えた美女、飛雉の顔を見もせず女は思案する。
「僕も昨日の夜伽を駆狗丸と代わったのだけどな……うん」
「猿緒、なにか」
不可解そうに呟く猿緒と呼ばれた女に飛雉が小首を傾げて問うと、笑ったのだろうか。彼女は僅かに、ほんの僅かに鼻で強めの息を吐いた。
「いや、駆狗丸がいつもより少し昂っている……けど、まだ許せる範疇のうち」
「そうですか。あなたが言うなら間違いは無いでしょう」
「でも許せるというだけ。悪忍が縁者だからといちいち変調をきたされていては桃終斎様の調整に影響が出るから、自分で律して欲しい」
悪忍。
山野の隠れ里にて厳しい修行を積み超人的な心技体を身につけた、忍者と呼ばれる者がいる。世を支配する封建制度をも凌駕するほど徹底的な滅私の上下関係を叩き込まれた彼らは、しかし一度そこから逃亡すれば抜け忍として仲間だった者らに追われ狩られる運命にある。
彼女らはそのなかでも最も悪辣な、様々な里の抜け忍が徒党を組んだ集団、悪忍把番衆を名乗る不貞の悪忍どもを狩るだけのために日ノ本の十三に及ぶ忍軍から選び抜かれ、鍛えられ、送り出された特別な追手だった。
「それはまあ。……けれどもいずれ私たちの番も来ます。そのとき、自分がどうなるかは存外わからないものですよ」
諭すように宥める飛雉から無表情のままそっぽを向くと、ちょうど件のふたりが戻ってきたところだった。
「よう猿緒、首尾はどうだった」
全身鍛え上げられた肉の隆起する散切り頭の女は一応浴衣に帯を纏っているものの、合わせもいい加減でとても表を歩けるような恰好ではなかった。しかも湯殿でまぐわってきたのであろう、湯に温まった肌からは男女の残り香も立ち上っている。
男のほうはもう童という歳でもないがそれでも若く、精悍な顔つきだ。六尺に及ぼうかという身の丈でよく鍛えられているが、ぼんやりとした様子で覇気や緊張感にはやや欠けると言わざるを得ない。
「委細策の通りにございます、桃終斎様」
猿緒は敢えて駆狗丸を無視して桃終斎に報告した。その様子に飛雉は笑みを隠すように口元に袖を当て、駆狗丸は遠慮なく鼻で笑う。
ただ桃終斎ひとりが頷いて「よくやった、猿緒」と褒め、そのまま続けた。
「それでは各々がた、悪忍退治に参るとしよう」
その言葉に飛雉が、猿緒が、今の今まで明け透けだった駆狗丸までもが居住まいを正して首を垂れる。
「「「仰せのままに、吉備津桃終斎様」」」
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