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彷徨える大うつけ編(前編)・第六話 【籠城】
「どうぞ、上がって!」
「お、お邪魔します……」
駅で偶然会ったマコに捨て猫のごとく拾ってもらい、その足でワタシたちは《長羽》の表札が掛けられた立派な一軒家へ。
生まれてこの方マンション暮らしに慣れてしまっているワタシには、屋根や小さな門にも新鮮味が感じられて、だからか妙に緊張してしまう。そういえば誰かの家にお邪魔するのって、何気に初めてかも。
「ただい――」
「マコちゃん、おかえり~! ……って、あらら? そちらさんは?」
「――うん、ただいま。友達の信織ちゃんを連れてきたの」
マコが玄関扉を開けて早々、半ばフライング気味にエプロン姿で出迎えてくれたのは、いかにも人の良さそうな感じのおばさん。
花柄の可愛いシュシュで黒髪を一つくくりにして……何だか未来のマコを先に見ちゃった気がするというか、雰囲気だけで間違いなく親子だって分かる。
あと何だろう? 奥の方から、ほのかに味噌の香りがする。晩ご飯の支度中だったのかな?
……そっか、マコの家ではお母さんが娘の帰宅時間を見越して、晩ご飯を用意してくれるんだ。
「ど、どうも」
「へぇ、信織ちゃん……って、ああ~っ!? アナタが信織ちゃん!? マコちゃんがいつもお世話になってますぅ~!!」
「えっ? ああ、はぁ……」
娘の同級生相手に律儀というか、大げさすぎるリアクションにワタシも何と返事したらいいか困る。しかもこちらはアポなしだから、なおさら気まずい。
「え~、ちょっとマコちゃん! 《お友達》連れてくるなら、もっと早く言ってくれればお母さん、お菓子とか用意したのにぃ~っ!」
「ごめん、急だったから……あ、あのさ、今晩信織ちゃんを泊めてあげたいんだけど……いい?」
「えっ? ああ……え、ええっ!? お、お泊まっ……」
「信織ちゃん、今日帰るとこないんだ。だからさぁ……」
「『帰るとこない』って、まぁ……そう……」
娘が友達を連れてきたのがそんなに嬉しいのか、若者以上にはしゃいで。かと思えばワタシの事情を知るなり、分かりやすく憐れんで……忙しい人だなぁ。けど、そういう所もまたマコに似ていて信頼できるかも。
こんな人がお母さんだったら、ワタシもマコみたいに……毎日笑えたのかな?
「あ、あの……お邪魔でしたら帰ります」
「えっ、何で!? いいのよ!? 私はむしろ大歓迎!! だってマコちゃんの《お友達》でしょう!?」
「お、お友達……」
「いつもマコちゃんのお勉強見てくれたり、あとお弁当のおかずも分けてくれたり……いつか私の方からもお礼したいと思ってたのよぉ!!」
気が引けてきそうなほどテンションが爆上がりしていくマコのお母さん。その横で「お母さん、恥ずかしいからやめて!」と、照れてるマコ。まるで絵に描いたようにのほほんとした親子で、見ていてワタシも微笑ましくなりそうになる。
何より友達のお母さんから何度も《お友達》と言ってもらえたことが、ワタシとしては妙にむず痒く思える反面、お墨付きをもらえたような感じがして嬉しかったりする。
ワタシが勝手に友達だと思い込んでたわけじゃないのかも……って、心の底から安心させてくれる。
「あの……じ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
「もう甘えて甘えて〜っ! あっ、そうだ信織ちゃん。晩ご飯まだじゃない? よかったら信織ちゃんの分も作るから! というか味見してもらっちゃおうかしら? お料理上手なんでしょう!?」
「え〜っと、ああ……はい、まぁ……」
「お母さん、そういうのいいから! 信織ちゃんが困っちゃうでしょ!」
「だってぇ〜……」
● ● ●
「ここが私の部屋。まぁ家事が得意な信織ちゃんからしたら、散らかってる方かもしれないけど」
「いや、別に……お邪魔します」
友達の家に来てからワタシ、何回『お邪魔します』って言ってんだろ? 恐縮しすぎて、このままだとトイレでも言っちゃいそう。
マコが部屋の扉を開けると、中からは例えがたい独特な匂いが溢れ出してくる。決して臭くないけど、嗅いだことのない匂い……これが人の家か。
それにマコが言うほど、部屋自体もそこまで散らかってはいない。いないけど……
「《偉っ子アニマル》がいっぱい……」
「エヘヘ、信織ちゃんも好きだもんね?」
《おだにょぶにゃが》に《ぽよぽみひでよぴ》、《とくぎゃわふぃふてぃーんず》……ガチャガチャやゲームセンターのプライズ景品が壁一面に所狭しと並べられていて、良く言えば壮観なんだけど、あえて悪く言うなら圧迫感が凄まじい。
「これ、全部でいくらしたの?」
「さぁ? とりあえず適当に座って! ベッドの上でもいいよ!」
そのベッドの上にも何かしらの《偉っ子》が鎮座してらっしゃるので、申し訳ないからカーペットの方に座らせていただくことに。
そして腰を落ち着かせた途端、一気に疲労感がつま先から頭の天辺まで込み上げてきて……
「ハァ……」
「疲れちゃったね、今日は」
「……うん」
マコの言うとおり、今日は本当に疲れた。
初対面の女子に言いがかりをつけられて、喧嘩して。しかも帰りに母親の見たくない瞬間を目の当たりにして……
こんなことなら寄り道なんかせず、とっとと帰宅していればよかった。喧嘩したことは遅かれ早かれ母親に知られるにせよ、せめてワタシが母親の汚い側面を知るのは、今日じゃなくてよかったのに。
何で今日に限って、悪いことばっかり……
「大丈夫? その、ほっぺの傷……」
「ああ……別に大したことじゃないから」
「そっか……まぁ強いもんね、信織ちゃんは。でも信織ちゃんにそんな怪我負わせるなんて、どこの誰なの?」
「さぁ……知らないけど、金髪で関西弁の……」
「金髪で関西弁ってことは、隣のクラスの藤木秀華って子じゃない? あの子以外に金髪なんていないし」
言われて、そういえばマコと勝美がいつしかそんな会話をしていたのを思い出した。もっともあのときは、すぐに別の誰か……そうだ、あの教育実習生の人に気を取られたと思うんだけど。
「藤木……秀華……」
「普段から平気で遅刻してきたりとか、授業中でも先生に楯突いたりとか……あと噂では、あの黒衛さんや竹中さんと一緒に夜遊びしてるとか、とにかくろくな子じゃないのは確かだよ」
「黒衛……竹中……っ!?」
マコが言う二人の名字を聞いて、ようやく頭の中でモヤが少し晴れた気がする。
その二人はワタシやマコと同じ中学で、何ならあの今川義江にくっついてた奴らだから、名前は今でもよく覚えてる。
確か黒衛の下の名前は『官』と書いて『ツカサ』で、竹中のフルネームは竹中ハンベリー治重――
『まずはクロカンの分!』
『ッ!?』
『タケベーの分!』
『ッ……!?』
『そんでこれは……ウチの分じゃあああっ!!』
「どうしたの?」
「――いや、別に」
謎が一つ解けたのと同時に、殴られたときの嫌な記憶を思い出して、すぐに蓋をしたくなった。
それに今となっては、あの金髪のことなんてどうでもいい。結局ワタシには身に覚えのない理由だったわけだしね。
むしろ大事なのは明日からのことだ。学校はもう停学か最悪退学だろうし、家だってまだしばらく、あるいは一生帰りたくないし。
かといって、いつまでもマコの家にお世話になるわけにも――
「――っ!? マコ……」
「大丈夫……大丈夫だから」
そう言いながら、急に両手でワタシの右手を掴んできたマコ。これにはワタシも心を読まれたような気がして、つい体がビクッとしちゃったけど……
「何があったか知らないけど、私は信織ちゃんの味方だから」
「……ありがと」
マコの手も、マコの笑顔も、マコの声も、やっぱり何もかもが温かくて。強張ったワタシの心を、すぐにほぐしてくれる。だからワタシも、マコの前でなら素直になれてしまう。
友達の定義なんて、高校生になった今でも分かりかねるけど……あらためて心の底から思うよ。マコが初めての友達になってくれて、本当によかったって――
――コンコン。
「マコちゃん、信織ちゃん、晩ご飯できたから下りてらっしゃ〜いっ!」
扉越しに聞こえてくるマコのお母さんの、やけに楽しそうな声。それすらも、ワタシの重い腰を軽々と持ち上げてくれそうな、そんな優しさやたくましさを感じる。
「信織ちゃん、食べよ」
「……うんっ」
この後いただいたマコのお母さんの手料理は、どれも素朴な味わいで安心感があって。
少なくともワタシが毎日作るものと違って、何て言うか……温かかった。
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