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天下統一編・第三話 【兆し ~億と京(けい)の狭間~】
『あのさ……ワタシ、習い事してみたいんだけど……』
『習い事? 何、ピアノとか?』
『キックボクシング』
『キッ……はぁ!?』
小学生の頃、ワタシは一度だけお母さんにお願い事をしてみたことがあった。
もちろん最初は理解されなかった。女の子らしくないし、そもそもそんな意味のないことにお金を出す余裕はないって。
それでも最終的に認めてくれたのは、自分が仕事してる間、学校と併せて娘を預けられる……要するに母親として都合がいいってことなんだろうけどね。
とにかくワタシは強くなりたかった。今まで散々イジメを受けてきて、いざというときに誰も助けてくれないと分かったからこそ、自分で自分を守れるだけの力が欲しかった。
じゃあなぜ、その方法にキックボクシングを選んだのかというと。たまたま駅前でジュニア向けのジムの看板が目に入ったからっていうのもあるけど。
それ以上に、《わざわざ害虫に手を触れたくない》という思いがあったからなのかもしれない。
ワタシの両手には、今でも義江を階段から突き落としたときの感触が残ってる。何なら罪の意識も一緒に。
そんなトラウマがあるからこそ、もう二度と嫌な奴のために自分の手を汚したくない。この手は勉強したり、家事したり、もっと大切なことにだけ使いたい。
そう子どもながらに決めたなら、あとは願うだけじゃなく、努力して強くなるだけだ。誰にも邪魔されない、平和で理想的な日常を手に入れるために――
● ● ●
――あれからワタシは、自分でも強くなったと思う。少なくとも今こうして、嫌な奴から身を守れるくらいには。
「地味だけど可愛い方だよな。つーか君さぁ、処女?」
「オッパイもわりとあるし、裏モノのAVイケんじゃね?」
「おい、動画撮れよ」
「それは後で義江が撮るんだろ?」
むさ苦しい野球部の部室の中で、口々に浮かれた会話を繰り広げながら、じりじりと詰め寄ってくるゲス野郎四人衆。
きっと今までもこうして、ワタシみたいに大人しい女の子を酷い目に合わせて来たんだろうね。誰も助けを呼べない、この根城で。
ただ、逃げ場がなくて救いようがないのは、アンタらとて同じ。
「へへへ、それじゃあ……痛っ!? ぐうぇっ!!」
真っ先に手を伸ばしてきた一人目。そいつの汚らしい手がワタシの胸に触れる前に、ハイキックで弾き返す。
そして痛がってるところへ間髪入れず回し蹴りをオマケして、その図体を真横にあるロッカーにブチ込んでやる。
「はぁ!? ちょっ……ぶふっ!?」
続けて二人目。目の前で仲間がやられて躊躇してる隙に、ワタシは壁を蹴って跳躍。そのままそいつの顔面めがけて飛び膝蹴りを食らわす。
「えっ? な、何で……ばがぁっ!?」
待ったなしに三人目。仲間を置き去りにして、たまらず逃げ出そうとした薄情者。
けど残念。ドアノブにずいぶん手こずっちゃって……外から義江が鍵かけていったのが仇になったね。
その様が見ててあまりに憐れだったから、ワタシは背中をそっと押してあげることにした。鍛え上げたワタシの足で、アンタがこの狭い部室から広い世界へ飛び出せるよう、ドアごと。
「クソが……調子乗ってんじゃねえぞ、オルァアアアッ!!」
いかにも負け犬らしい台詞が聞こえて、すかさず背後を振り返ってみれば。ラスト一人が野球部員とは思えない崩れたフォームで、金属バットを振り下ろしてきた。
ちょっかいかけてくる奴って昔からそう。反撃されないようにソーシャルディスタンスを保った上で、道具で突っついてきたりするんだよね。
……まぁ、そんな小細工も今のワタシには通用しないってことを、ちゃんと思い知らせてあげようかな。
「ひっ!? ああっ、ああ……」
上段回し蹴りで、あっけなく真っ二つに折れちゃったバット。これで持ち主の心も完全に折れてくれればいいんだけど。
でも念には念を入れておかないとね。ここでもし見逃したら、いつかきっと逆恨みしてくるに決まってるんだから。
「ちょっ、ちょっと待てって! ゴメンって! 冗談!! なっ?」
「冗談?」
「そうそう! こんなの遊びだって!」
「遊び?」
「俺らはさぁ、ただ義江に言われて……」
「義江に言われたから、何?」
「いや、だから……」
ワタシの方から近づいただけで、自らいろいろと白状してくれたバットの持ち主。
とはいえ、聞いた内容は概ねワタシの予想通りだったし。それに、この期におよんで今さらヘラヘラした態度で命乞いをするってことは、反省してない証拠だ。
だから、そんなどうしようもない奴には――
「――是非もなし」
バリィィィンッ!! ……ドサァッ。
「……ふぅ」
ワタシの一蹴りで、派手に窓を突き破って部室からログアウトしていった最後の一人。それを見届けたところで、ワタシは一旦深呼吸。
だけどまだ終わってない。今しがた外から「キャッ!?」と、聞き覚えのある声がしたもの。
なので確認がてら、割れた窓から顔を出して真下を覗いてみれば……ほら、悪い根っこが残ってる。
「あっ、いた」
「へっ……?」
部室の外で隠れるようにしゃがみ込んでいた義江。そこへワタシは窓から直接飛び降りて問い詰める。「ここで何してるの?」と。
そしたら「えっ!? い、いや〜、別に……」と、この期におよんでシラを切ろうとする義江。そういう所は、ある意味アンタらしいっちゃらしいけどね。
「その手に持ってるスマホで何するつもりだったの?」
「これはっ、その……げ、ゲームを……」
「ゲームって、さっきワタシにやろうとしてたこと?」
「な、何それ? ってか、さっきから何をそんなに怒ってんの? 私、アンタに何かした?」
「そこに転がってる人が教えてくれたよ。全部アンタの仕業なんでしょ?」
「はぁ……? そんなの、知らないから……」
問い詰めれば問い詰めるほどボロが出てきて、その度にワタシの知っている義江の邪悪な一面が顔を覗かせる。
ここまで来たら、どこまで言い訳を重ねて逃げきろうとするのか見てみたくなったけど……ここでワタシに代わって「ふざけんなよ、義江……!!」と、いつまでも地面でうずくまっている男が追い打ちをかけた。
「もう認めたら? それで一言くらい謝ったら?」
「……何で? 何で私がアンタなんかに謝んなきゃいけないわけ?」
せめてもの情けをかけたつもりが、義江には煽りと受け取られたらしく。とうとう清々しいくらい開き直ってみせてきた。
ワタシとしては、とりあえずアンタの口からその言葉が聞けて安心したよ。下手に謝られた方が、かえって反応に困るし。
何より……おかげでアンタを許さずに済むから。
「大体アンタが悪いんでしょ!? アンタが昔、私を――ひゃああっ!?」
これ以上は聞くに堪えなくて、ワタシはいよいよ脛でトドメを刺してやることにした。
といっても義江の体には直接触れず、あくまでも首元で寸止め。これだけでも義江の顔は充分怯えきっていて、まるで晒し首みたいに見える。
もっとも、この時点でワタシはすでに満足だったんだけど……
「ああっ……あぁ……」
ワタシがそっと足を戻すと、壁にもたれたままぐったりとした義江。するとまもなく、何やら清涼感の漂う水音が聞こえてきた。
義江のお尻辺りからワタシの足元にまで、徐々に広がってくる屈辱の水たまり――それは汚いものであるはずなのに。見ていたら不思議と、ワタシの中に渦巻いていた負の感情が洗い流されていく気がする。
「自分の尻拭いくらい、自分でしなよ」
最後にそれだけ言い残して、ワタシは義江に手を貸すことなく、不良の根城をあとにした。
これでようやく終わったんだ、ワタシと義江の関係も。あと、恐らく学校生活も。あれだけ大立ち回りした以上、きっと退学処分は免れないもんね。
だとしても後悔はしない。むしろ誇らしくすら感じる。
今日は帰ったら、いつもよりちょっと贅沢な料理を作ろう。
それでお祝いするんだ。これから始まる、新しい自分を。
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