0人が本棚に入れています
本棚に追加
1.告白
「おーい、こっちだこっち」
狭い店内の奥で、村野雅也に向かって手を振っているのは彼の父、一樹であった。
急に冬めいて、肌がぴりつくような外気を纏い、暖簾をくぐる。一樹が座っている二人掛けのテーブルには、ビールの空き瓶がすでに二本並んでいた。
コートを脱いで対面に座ると、一樹は無言でビールをついで雅也の前に置いた。
「どうだ、最近仕事の方は」
メニューに目を落としたまま、一樹が当たり障りのない質問をする。
「別に。普通だけど」
この場合の「普通」というのが、何に比べてのものなのかは、さっぱり分からなかったが、防衛省に勤め始めてこの方、近況報告も出来ていなかったことを思えば、仕方がないかとも思えた。
「親父の方は? どうなの?」
雅也についでもらったビールを、一気に煽ると、一樹はトンとグラスを置いて、急に真顔になった。
「会社辞めてきた」
「へぇ~…え! なんで?」
「このままじゃ、窓際族のまま定年を迎えちまう。DX推進かなんか知らんが、デジタル化するための書類の仕分けなんて、早く辞めろと言われているようなもんだろ。これまで家族と会社のために生きてきたという自負はあるが、はたしてこのままでいいのかなってな。昔みたいに、人々を救う仕事に残りの人生を捧げるのもいいんじゃないかと思ってな」
昔みたいにとはどういうことだろう。雅也が知る限り、大手メーカーで開発一筋だった父の印象はあっても、ボランティアに力を居れていたことなどなかったはずだが。
「具体的にどうするんだよ。親父の歳じゃ、再就職も厳しいだろ? ボランティアじゃ食っていけないぜ」
一樹は再びグラスを空けると、脇に置いてある鞄をゴソゴソしたかと思うと、一枚の紙を雅也の前に置いた。つくねを頬張りながら、その紙を手に取り、文面を眺める。
とたんに雅也の頭の中に、無数のクエスチョンマークが乱舞した。
「証明書 村野一樹がたしかにウルトラマンであったことを認めます」
その一文と、「署名」の文字だけが書かれていた。雅也は混乱する頭を整理するために、一度深呼吸すると、目の前でニコニコ笑っている父親の顔を眺めた。
「何これ」
「署名してくれればいい。別に怪しい勧誘とかじゃないから安心しろ」
まだ壺買いませんかと言われた方がマシであった。ウルトラマンであることを認めろとはどういうことなのか。雅也は、父親の顔をまともに見ることが出来ず、ただ注がれるビールを無理矢理流し込み、改めて差し出された紙に目をやる。何度見たところで、書かれている内容が変わるはずもなかった。
最初のコメントを投稿しよう!