思いの重さ

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「久しぶり」  ぼんやりと交差点を見つめる僕に、彼女は声をかけてきた。  まさか僕がここにいることがばれるとは思っていなかったので、少し慌ててしまう。 「えーと……」 「晴美だよ。磯原晴美」  思い出した。  確か中学の同級生だ。  気を悪くした風でもない彼女に、ほっと胸をなでおろす。  地元にいると、こういうこともあるのかもしれない。 「河野君は、こんなとこで何してるの?」  深夜二時に交差点を見つめる男は、傍から見ると不審者だろう。  実際僕自身、なぜこんな所にいるのかわからなくなっている。  ただ、僕はアイツが憎い。  その思いだけが僕をここに縛り付ける。 「そこで事故があったんだっけ?」  彼女が視線を送った先には、萎れた花束と汚れたぬいぐるみがあった。  ここで妻が死んだ。  ここで娘が死んだ。  ここで……。  幼馴染の妻と娘を連れて、地元に帰ってきた時のことだ。  妻の実家から僕の実家まで、遅い時間だったが歩いていた。  その車は信号無視どころか、歩道にまで乗り上げてきた。  僕は二人を助けることができなかった。 「もしかして河野君の知り合いだった?」  僕がうなずくと、彼女は沈痛な目で僕を見つめる。  慰めの言葉を彼女が口に出した時、近くに車が止まった。  男が降りる。  花束とぬいぐるみに近づくと、おもむろに小便をしだした。  頭に血が上り足を踏み出した時、彼女の手が僕の方に触れた。 「待って、あなたは手を出さないで」  彼女の言葉も頭に入らないままに、僕は男の元に向かう。  僕の妻子をひき殺した犯人は、まだ捕まっていない。  目撃者が遅い時間であったため、一人もいなかったのだ。  いずれ捕まるだろうとは思うが、そこまで待っている猶予は僕には無かった。 「お願い待って。あなたが手を出せば地獄に落ちてしまうのよ」 「かまわない! 僕はあいつを殺して地獄でも何でも行ってやる!」  男はやっと僕たちに気付いたのか、ジッパーも開けたままニヤつきながら話しかけてくる。 「お姉ちゃん。こんなところで何してるんだ?」  さらに下卑た言葉を投げかけてくるが、僕はかまわず男に襲い掛かった。  だが、男に届く前に僕の身体は動かなくなってしまった。 「地獄に行かれるよりマシだから……ここで祓ってしまいます」  振り向いた僕は、彼女が左手を掲げるのが見えた。  彼女の表情は、とても悲しげで僕の胸まで痛くなる。  暖かく明るい光が、僕を照らしむずかゆい痛みをもたらした。 「さよなら河野君。あなたの娘さんが先に待っているわ」  そして僕は、消えてなくなった。 「三人も殺しておいて、さらにそんなひどいことするのね」  晴美が言うと、男の顔色が変わった。 「お前、知ってるのか? 見たのか?」  男は確認しながらも、すでに意志は決まっているようだ。  晴美の口を封じようと考えているのだろう。  両手を広げ近づいてくる顔には、サディスティックな喜びすら見える。 「あなたの相手は、私じゃないわ」  晴美の後ろに、いつの間にか女がいた。  だが、男には見えないのだろう。  女の表情を見れば、男でさえ恐怖に震えただろう。  それほどまでに、原型をとどめぬほど崩れていた。 「ほんとうにいいの?」 「ありがとう晴美ちゃん。夫と娘が一緒にいられるなら、私はこれでいい」  晴美の問いかけに答えた時だけ、女は泣きそうな顔をしたが、すぐに人ではないモノに戻る。  やっと異変に気付いた男が、まわりを不安げに見ていたが、何も見えていないのだろう。  目の前に迫る死にも気付かない男は、悲鳴をあげようとしたが、すぐにか細い絶命の声にかわった。  晴美は、元同級生が男を喰らうのを眺めていた。    疎遠であった昔の友人から依頼があったのは、一昨日だ。  変わり果てた姿で「私の魂をあげるから、夫と娘の魂を救ってほしい」と言った。  私の仕事を話した記憶は無いが、その姿になってから知りえた情報なのかもしれない。  この仕事をやり遂げた時、彼女の魂はずっとあの場所にとどまることになる。  そして男の魂は、永遠に喰われ続けることだろう。  呪いは自分を幸せにすることはできない。  ただ、不幸のバランスをかえるだけでしかない。  そこに意味などないのに、人は呪うことをやめることができない。  だから私のような職業が存在する。  人は私たちを呪術師と呼ぶ。
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