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ヒロとネズミイルカ
ヒロとネズミイルカ
これは雪の降る寒い冬に起きた嫌な思い出と、
若干の希望の物語。
とある北国の年中雪の降る小さな町に、いつも笑顔のたえない一家があった。
共にまじめな学校の先生でありながら、仕事から帰ってくると、いつも明るくなごやかで、仲の良いお父さんとお母さん。
石集めが趣味のおじいちゃん。
おかしを買って甘やかしてくれるやさしいおばあちゃん。
体をきたえることが好きで、背中が大きく頼もしいお兄ちゃん。
いつしか一緒に住むようになったネコのミイちゃん。
そして、ほっぺたが赤く少しぽっちゃりとした、お父さんとお兄ちゃんに顔がよく似ている小学校5年生のヒロ。
ヒロの家族はみんな仲良しでよく話す。そしてよく笑う。
ヒロは、この笑顔であふれる家族の輪の中で生まれ育ってきたからか、昔から人と話しをすることが大好き!
ヒロは誰とでも話す。友達はもちろん、初めての友達。友達の友達。お兄ちゃんの友達。ミイちゃんのネコ友達。
他にも、交差点で交通整理をやってくれているボランティアのおじいちゃん。いつもかけ足で荷物を運ぶ力持ちのおじいちゃん。焚き火の前に座って温かいお茶を飲んでいる農家のおばあちゃんたち。この町に初めてできた赤い看板のハンバーガー屋さんで働くおばあちゃんなどなど。
小学校5年生の雪の降る寒い冬休み明けのこと。ヒロにある異変が起きた。
「あれ? ヒロ、なんか話し方が変になってない?」
「えっ! そ、そう?」
「そういえば、しばらく見ないうちにヒロのアゴ、なんだか少ししゃくれてきたような?」
「えっ! アゴが?」
鏡で自分の顔を見ると、確かにそんな気がする。
一度気にしだすと余計にその違和感が残り続ける。
「確かに……ボクのアゴ、少し長くしゃくれてきている……」
冬の寒さも益々厳しくなる頃、ヒロのアゴのしゃくれが思った以上に、すごく目立つようになってきてしまった。話し方も、このアゴのしゃくれのせいで、だいぶ変になってしまっている。
(困った……)
ヒロは、自分のアゴのしゃくれのせいで苦労がすごく増えた。
『サ行』が言いづらい……。
カツゼツが悪いからか、相手に自分の想いが通じない……。
自分の見た目、話し方をいつも気にしてしまう……。
もどかしさ、はずかしさ、辛さが、時には涙が、毎度話すたびにこみ上げてくる。
「よう! しゃくれ」
「なんて? ネジ? ネギ? 何言ってるかわかんないよ」
「カツゼツ悪すぎ。もうちょっとちゃんと話してくれないか?」
相変わらずヒロが話す度に、アゴを見られる度に、まわりから容赦なくいじられる。
(こんなのが続くのなんて嫌だよ……)
ある日、学校の社会科見学で、みんなと市内の博物館へ行った。
ヒロもまわりのみんなも社会科見学は大好きだ。それに、はじめての博物館でとてもワクワクしている。
(でも、外は寒い〜)
暖かい博物館の中に入ると、係員と先生に連れられて、みんなで一緒に楽しく、展示物を見て回った。
(はぁ〜あったけ〜生き返る〜)
そして、係員が最後に案内したのは、この博物館の目玉である『カリフォルニアの絶滅危惧種のネズミイルカ』の大きな模型だ。
「こちらの模型は、今から約500万年前に生息していた絶滅危惧種のネズミイルカです。それになんと、こちらは新種で世にも珍しいほ乳類初の長いアゴを持つ動物なんです!」と係員の説明。
まわりのみんながざわつく。
「ねぇ、長いアゴだって」
「本当だ。ヒロと一緒じゃん」
「よっ! ネズミイルカ! カツゼツは治ったか」
みんながまたいじってきた。これでもう何回目だ。
みんなのちょっとした一言たちが、まるでカミソリの刃のようにヒロの心を傷つける。「よお、ネズミイルカ!」
ヒロはその日から『ネズミイルカ』というあだ名がつけられた。
(なんでボクのアゴは、こんなに長くしゃくれてしまったんだ?ボクはネズミイルカなのか? このままずっとネズミイルカとして生きていかなければならないのか……)
「ボクは、こんな自分が嫌いだ……」
ヒロは、もう目の前のアゴの長いネズミイルカの模型を見つめることができない……見てられない……。
その光景が、その時のまわりから聞こえてくる声が、冷たい空気が、全てがこの傷ついた心に深くトラウマを植え付ける。
ヒロはもう耐えられず、足早にひとり博物館を飛び出した。
後を振り返ることなく……逃げるように……。
ひたすら……ひたすら走った。
寒さで死にそう。
それでも、それでもひたすらに無我夢中で逃げた。
逃げた先……ヒロは海にぶつかった。
極寒の死の海。
もう、ここから先はどこへも行けない。
ヒロは、遂に崩れるように泣きはじめてしまった。
声を荒げて涙をこぼすヒロ……だが。
(あれ……声が出ない…………)
次の瞬間、ヒロの背後を大きな黒い波がおそった。
その黒い波から逃げられず、極寒の海へと引きずられるヒロ。
(助けて……)
何事もなかったかのように黒い波は一瞬で、ゆっくりと荒れた白い砂浜を美しく戻していった。
闇の海中をどんどん、下へ下へ落ちていくヒロ。青く冷たく、目の前からはだんだんと光が失われていく。
手足の感覚がない。
(死ぬのかな……)
なんだか、また体に異変が起こり始めている気がする。
(…………ん?)
このごにおよんで、またアゴでも長くなったか……。
ヒロの身体は、なんとイルカのようにつややかに変化していき、背びれ、胸びれ、尾びれが生え、 アゴはまるで鳥のくちばしのようにするどく伸びていった!
(な、なんなんだ! これは一体⁉︎)
ヒロは、驚きのあまり体を上手く動かすことができない。だが、しばらくするとまるで水を得た魚のように、不思議な力を得たかのように体がスイスイと動くようになった。
すると、目の前を大きな群れが、ヒロを囲うようにキラキラと泳いできた。
(えっ、まさか……)
次の瞬間、目の前の群れがヒロへ一斉に勢いよく近づいてくる。(僕をエサだと思って食べようとしているのか!)
ヒロは、一目散に泳いで逃げた! (あれ? 意外にこの体で泳げているぞ。幼い頃からお母さんに水泳を習わされていたからか。まさかこんな時に役に立つとは……お母さん、ありがとう)
必死に泳ぎ続けたヒロは、さっと後ろを振り返る。
(ふぅ~もう追ってこなくなったぞ。ようやく逃げ切れたか……)
すると、目の前にさっきの大きな群れが待ち構えていた。
(うわぁぁ!!!)
その群れは、なんとネズミイルカたちだった。
このネズミイルカたちは、アゴが長くない。みんな普通だった。この群れの中でヒロだけが違っている……。
(おーい、みんな聞いてくれー。ボクは君たちのエサでも敵でもないんだ。仲間だよ。ちょっと助けてほしいんだ……)
「?????????????」
ネズミイルカたちは、ヒロが何を話しているのか全く聞き取れていない。というか話を聞こうともしていない。ただヒロの姿を見てみんなでクスクスと笑っていた。きっとこの長いアゴ、この見た目、話しにくそうなこの話し方を見て笑っているんだ。
孤独なヒロ。
(ボクは、ネズミイルカに姿が変わってしまったというのに、みんなはボクのことを仲間だとこれっぽっちも思ってくれない……。ボクはこのままずっとこの姿で、この長いアゴと、この通じない話し方と付き合っていかなければならないのか。共存していけるのか。自分を受け入れるしかないのか。ボクは生まれ変わっても、この海の世界でひとり、みんなにからかわれ続けていくのか……)
すると、ヒロはあることに気づく。このネズミイルカたち、よく見てみると、みんなすごくお腹が減っているようだ。うちのネコもお腹がすくといつもそうだからよくわかる。まわりを見渡すが、確かにエサとなる魚たちが全然いない。
エサとなる魚たちは、ネズミイルカたちが普段近よらない暗い海底の奥に、岩陰の奥にみんな隠れてしまっている。そのせいでネズミイルカたちは、ずっとエサを食べることができずにいた。
(これが競争社会というものなのか。そういえば昔、お父さんが語ってくれたな。人間の世界よりよっぽど大変なのかもしれない)
お腹のすいた困った顔を一度見てしまうと、ヒロは自分でも何かできることはないのか、助けてあげられないものか、と考える。
昔、戦争を経験したおじいちゃん、おばあちゃんの教えだ。
「困っている人がいたら、自分には何ができるか考えてみなさい」
「きっとお前にしかできないことがあるはずだよ、ヒロ」
ヒロは、海の中をぐぅーんと下へ下へ潜り続け、海底を水平にビュンビュンと、ただ気持ちのままひたむきに泳いでエサを探し始めた。そのヒロの様子が気になってか、後ろから心配そうに、ネズミイルカたちの大きな群れがついてくる。
ヒロは、辺りをよく見回しながら、ひたむきにエサを探す。
すると海底の奥に、岩陰の奥にエサとなる様々な魚たちがたくさんいるのを発見!
ネズミイルカたちが見守る中、ヒロは自分の長いアゴを上手に使って、エサを捕まえようと何度もチャレンジ! チャレンジ! そして、ヒロは次から次へと大量のエサを捕まえていった。
そのひたむきなヒロの姿を見たネズミイルカたちも目の色を変えて、いつしか心をひとつにヒロをひたむきに応援した。
困っている人のために自分に何かできること、自分にしかできないこと……ヒロは今、自分の気持ちのままに行動している。
ヒロの頑張りで、大量のエサを捕まえることができた。ヒロはそれをネズミイルカたちに全て分け与えた。
(パクパクパク)
ネズミイルカたちは、みんな大喜びでエサを食べてくれた。
(キュンキュンキュン)
たくさんの感謝を受け取るヒロ。こんな嬉しい気持ちは初めてかもしれない。何だかとても良い気分だった。
その後、ヒロはゆっくりと時間をかけ、親身になりながら自分なりにネズミイルカたちに泳ぎ方、エサの場所と探し方を教えた。
ネズミイルカたちは、ヒロの言葉を理解するのには少し時間がかかっている。でも、ひたむきに向き合いながら話すヒロに対して、ネズミイルカたちも(うんうん、うんうん)と、うなずきながら理解しようと話を聞いている。
ヒロとネズミイルカたちの交流はしばらく続いた。
いつしかネズミイルカたちとヒロは仲良くなり、みんなで楽しく笑顔を浮かべていた。互いに言葉も想いも通じ合ってきているみたいだった。
そんな時間もあっという間に過ぎさり、ネズミイルカたち一同はヒロの前に集うと、自分たちの気持ちをうったえかける。
(これからも、ここに一緒にいてくれないか?)と。
ヒロは、少し考える……だが、こう言葉を返した。
(いや、ボクは戻るよ……人間の世界へ。現実の世界へ……)
ネズミイルカたちは、みんな残念がっていた。しかし、ヒロの想いを理解し、ちゃんと受け止めてくれた。最初に出会った時よりも、今のみんなはなんだか少し変わって見えた気がした。
(ヒロ、ありがとう)
(こちらこそ、みんな、ありがとう)
ひたむきさ、これがあれば想いはきっと伝わる。
すると、暗い海の上からパッと光が差し込みヒロを照らした。その光の元へヒロはゆっくりと吸い込まれていく……戻る時だ。
さびしくても、ネズミイルカたちは笑顔で送り出してくれて、ヒロも笑顔で現実へと戻っていく。
正直、現実に戻るのはこわい。だって辛いから……それでもヒロは戻ると決めた。
「さよなら……」(あっ、声が戻った!)
十五年後。
ヒロは大人になり、現在は故郷から遠く離れた大都会で、フィットネスジムのトレーナーをやっている。
未だに辛い現実、そして少年時代のあの寒い冬に起きた嫌な思い出は忘れたくても心の中に常に共にある。でも、ヒロはそんな自分を受け入れながら、大切にしながら、自分には何ができるのか、自分にしかできないことは何か、それらを探し求め、まわりの人たちと向き合いながらひたむきに頑張っている。
「センパイ、この器具のネジが緩くなってきてるみたいですけど」
「ん? なんて? ネギ?」
「いや、ネジです。器具のネジ、緩くなってます」
「あーネジね。はいはい、ネズミイルカ君はいつも何言っているかわかんないよ」と、小バカにしながら適当に返すセンパイ。
「すみません、自分カツゼツが悪いもんで」と、笑って返すヒロ。
未だにこのあだ名は続いている。ヒロのしゃくれた長いアゴ、このカツゼツの悪い話し方も相変わらずだった。
「ネズミイルカ君って、そんなにカツゼツ悪いのになんで俺よりも営業成績が上なんだよ? あんなに客もついてさ、ムカつく!」
「なんでですかね~」
翌日、今日から長期の冬休み。ヒロは、久しぶりに北国の年中雪の降る小さな故郷の町へ帰った。
(やっぱ、この町は昔と変わらず寒いな〜)
実家に帰る前に、ある場所へと向かう。どうしても見ておきたかった……ヒロは積もる雪道を進み続け、そして博物館へ。
(あぁ、寒みぃ〜)
ヒロは、博物館へ来るとあの日以来の博物館のゲートをくぐり抜け、途中の展示物には目もくれず、ヒロは一番奥にあるこの博物館の目玉、『カリフォルニアの絶滅危惧種のネズミイルカ』の大きな模型を見に行った。
(中は暖かい。生き返るな〜)
ヒロの目の前に、だんだんと大きく、立ちはだかるように居座るアゴの長いネズミイルカの模型が現れた。
ヒロは、それをしばらく見つめる。
(昔きた時と、なんだか少し変わって見える気がする)
見つめる赤いほっぺのヒロの顔はたくましく、そして次第に笑顔を浮かべた。
(終)
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