久しぶりの再会

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久しぶりの再会

 僕が故郷を逃げ出してから、少しだけ時間が経った。  高校を卒業と同時に、大学進学を理由にあの場所を離れたから……もう、一年? 二年? まぁ、たぶん、そのくらい。月日の流れが曖昧になるほど、よっぽどのことが無い限り、僕はあそこに帰ろうという考えを捨てて生きている。 「タツキ、今日バイト?」 「ううん。今日は休み」 「じゃあ、カラオケ行かない?」  隣の席の学年も学科も違う奴が僕の肩を叩く。  大学って自由だな、って思う。中学とか高校とかだったら上下関係が激しくて、こんな簡単に「友達」にはなれないだろう。  人懐っこい笑みを見せるそいつを見て、僕は昔捨てた感情を思い出した。  高校三年生の、僕の後ろの席の佐藤。  僕の初恋。  一番の親友で、一番の「好き」な人だった。 「おーい? タツキ?」 「あ……」  ついぼんやりとしてしまった。  僕は苦笑しながら口を開く。 「ごめん、今回はパス。そろそろ……成人式だから。金欠」 「ああ、帰省するん? 電車?」 「そう、新幹線」 「それは大変だ」  本当は、成人式なんか行くつもりはなかった。  けど、母からのしつこい電話で「おばあちゃんもあんたに会いたがってるわよ」と言われてしまえば断れない。おばあちゃんは孫である僕の成長を何よりも喜んでくれている人だから。 「成人式、楽しんでな!」 「……うん」  ぼんやりと憂鬱な心で、僕は小さく頷いた。 ***  佐藤は地元の大学に進学すると言っていた。  連絡を取っていないから、今も大学生なのかは知らない。けど、きっと頑張っていると思う。将来の夢は教師だって言っていたから、教育学部で勉強しているんだろうな。  勉強の話を、僕たちはたくさんした。  それは教室だったり、放課後の図書室だったり、こっそり入った屋上だったり……。  もちろん、勉強以外の話もしたけど、僕の記憶に強く残っているのは受験、進路、将来の夢といった真面目な話だ。 「タツキはさ、教師なんかは興味無いの?」  佐藤が僕に訊いた。  僕は「うーん」と唸る。 「……僕は、すぐ緊張して喋れなくなっちゃうから、向いてないかな」 「そうかな? 俺とは普通に話せてるのに」 「大勢の人の前だと無理。でも……個別指導の塾のバイトなんかはしてみたいな。あれって講師が一人で生徒が二人だっけ? なら、ハードルが低いと思うから、頑張れると思う」  僕の言葉に、佐藤は白い歯を見せて笑った。 「それは良いな! 教えるのはやっぱ国語? 現代文?」 「まぁ……文系だからそうなるのかな……」 「タツキ、よく本を読んでるから向いてるって! ほら、こないだ読んでたのは……」 「文学賞に選ばれたやつ」 「そう! それ! そんな難しそうなやつ俺には無理!」  僕は鞄の中に入っている、その本のことを思った。  面白い、感動する、というよりも、文字を読むことが好きなのだ。内容は確かに難しい。けど、難しい本をちゃんと理解して読める大人になりたいという目標がある。 「……佐藤は、英語が得意で羨ましいな」 「ふふん。そう! 俺は英語の教師になる!」  佐藤は得意そうに机の上の教科書を指でつついた。 「こないだ、模試の結果が良かったんだ! 合格圏内!」 「おめでとう! 国立だよね、第一志望」 「そう! 学費安いと助かるし! 浮いた金で留学とか出来るかな? 今度、先生に相談しよう!」  そう熱く語る佐藤の目はきらきらと輝いていた。  その目を見るのが僕は好きだった。  何事にも真っ直ぐで、一生懸命。  言ったことは何でも実行してしまうような人。  好きだった、大好きだった。  だから……言えなかった。  彼の夢の邪魔をしたくない。なんて言い訳でしかないけれど、僕は好きだという気持ちを、お互いの受験が終わった後も伝えられなかった。  今では連絡も取っていない。  なんとなく、電話もメールも出来ない。  何度か「遊ぼう」と向こうから連絡が来たけど、僕は返信が出来なかった。  理由は怖いから。きっともう彼には愛する人がいるだろう。そう思うと、手が震えて何も出来なくなってしまうのだ。  成人式には、中学から一緒の彼もきっと来る。  会いたい。会いたくない。  ふたつの気持ちが混ざり合って頭がくらくらする。  どうしようもない気持ちを抱えたまま、僕はアパートに帰ってのそのそと帰省の準備を始めた。 ***  成人式の会場である、町の公民館はざわざわと人で溢れかえっていた。  僕は実家に荷物を置いてから、式の開始時刻ぎりぎりで中に入った。受付の振袖を着た女の子に「タツキ君、遅いよー!」って笑われたけど、僕は彼女のことが誰だか分からなかった。振袖と化粧のせいで、女の子たちはみんな「変身」していて不思議な感覚を覚えた。まるで、知らない世界に紛れ込んでしまったみたいに。 「タツキ?」  どきり、と心臓が跳ねた。  僕の名前を呼ぶその声で、僕はいっきに現実に戻される。 「……佐藤」  僕は振り返る。  そこには、スーツ姿の佐藤が居た。  手には紙コップを持っている。中身は酒だろうか。いや、ジュースかもしれない。いや、そんなことは今はどうでも良い。どうでも、良いんだ……。 「あ……」  上手く言葉を紡げない僕に、佐藤は明るい声で言った。 「久しぶりじゃん! 元気だったか!?」 「……うん」 「なんだよ、テンション低いな! あ、待ってろよ! 今ジュース貰って来てやるから!」  そう言って佐藤は近くにあったテーブルの上に並んでいた紙コップをひとつ取って僕に渡してくれた。 「ほら、もうすぐ乾杯が始まるから」 「あ、ありがとう」  僕が紙コップを受け取ったのと同時に、ステージの上から町長らしき人物がマイクを握って明るい声で言った。 『ええー、新成人のみなさん! この度は……』  話が長くなりそうな気配。  僕は俯いて紙コップの中のオレンジジュースを眺めた。  隣に佐藤が居ると意識するとどうも落ち着かなくて、僕は意味もなく紙コップの縁を指でなぞる。  佐藤に会えて嬉しい。けど……何を話せば良いのか分からない。  もう帰りたいような、帰りたくないような、複雑な気分だった。 「もうすぐ、乾杯始まるぞ」 「……っ!」  佐藤に耳元でそう囁かれて、僕は目を見開いた。  そして……。 『では、乾杯!』  そこらじゅうで「乾杯!」と声が上がる。  僕もみんなに合わせて紙コップを掲げて小さく「乾杯」と言った。 「なぁ、タツキ。大学どう?」 「え?」  眩しい笑顔を僕に向けて佐藤が言う。  あれ……普通に、話せそう……?  僕は、どきどきしながら口を開いた。 「……まぁまぁ、楽しいよ。そっちは?」 「うん! 充実してる! けどさぁ、厳しい教授が居て……」  あ、良かった……なんだか、高校の時に戻ったみたい。  それから、当時仲の良かったクラスメートたちとも合流して、僕たちは楽しい時間を過ごした。あんなに心配したのが嘘みたいに、成人式はとても有意義な時間になったのだった。 *** 「うー! 寒い! 雪が降りそうじゃね?」  昼間は暖かかったのに、夕方はぴりりと風が突き刺す。  僕と佐藤は実家が同じ方向なので、肩を並べて歩き出した。 「それにしてもさ、タツキが変わってなくて安心した!」 「え?」  僕は佐藤の方を見る。  彼の鼻は少し赤くなっていた。 「ぜんぜん連絡くれないから! もしかして、彼女に夢中で俺のことなんか、もうどうでも良いのかなって思ってた」 「そんな! 彼女なんて……居ないし」 「そっか」 「うん」  そっちはどうなの、って僕は訊けなかった。  佐藤はもしかしたら、僕がこの話題を繋げるのを待っていたのかもしれない。  僕たちの間に、どこか気まずい沈黙が流れた。 「そういえばさ」  その沈黙を破ったのは佐藤だった。 「俺、最近、読書してるんだよね」 「えっ、読書?」  恋愛の話から急に違う方向に話が進んだことに僕は驚く。  そんな僕の様子を気にする様子もなく、佐藤は暗くなった空を見上げながら言った。 「月が、綺麗ですね、ってやつ」 「月?」  僕も空を見る。  月は……出ていない。いや、遠くで光ってるあれが月かな?  じい、っと目を凝らしていると、不意に佐藤が立ち止まった。  どこか寄りたいところでもあるんだろうか。僕も足を止める。 「……佐藤?」 「伝わらない?」 「え?」 「月が、綺麗ですね」  月……そういえば、夏目漱石が言ったんだっけ。  愛を伝える言葉として。  僕は「ああ」と呟く。 「夏目漱石読んでるの?」 「え……」 「高校でも習ったよね」  懐かしいなぁ、と笑う僕の腕を、佐藤がぎゅっと握ってきた。  僕は驚く。 「佐藤?」 「鈍い!」  佐藤はじっと僕を見る。 「俺は、お前に言ってるの!」 「な……」 「月が、綺麗ですね!」  そ、それって……! 「ぼ、僕のことが、好きなの……?」 「そう! だから、付き合ってください!」  突然の告白に、僕は目が回りそうになる。 「え、待って……そんな、いつから……」 「高三の時」 「だ、だって、今までそんな態度じゃなかったし……」 「悟られないようにしてたの! 何回か忘れようって思ったけど、今日久しぶりに会って、ああ、やっぱりお前のことまだ好きだなって思ったから告白、しました……」  言いながら佐藤は手の力を緩める。 「だからさ……振るなら今、振って欲しい」 「え? 振る?」 「そう。曖昧にされるより、きっぱり振られた方が良い」  そっか。佐藤も僕と同じくらいの間、悩んでいたんだ……。  僕は佐藤の手にそっと触れた。 「僕もずっと思っていたよ」 「……何を?」 「月が綺麗だなって」 「どういう意味で?」 「佐藤が言ったのと同じ意味で」 「え……」  信じられない、と言った表情で佐藤は僕の肩を掴んだ。 「本当か!?」 「うん」  くすぐったい気持ちで僕は頷く。 「僕も……ずっと好きでした」 「ま、マジ……!?」 「ふふ」  思わず笑みをこぼした僕のことを、佐藤は力強く抱きしめてきた。 「めっちゃ嬉しい!」 「うん、僕も……」 「成人式さ、参加しようか迷ったんだ。タツキに会うのが怖くて……けど、やっぱ勇気出して良かった!」 「……うん」  久しぶりの再会。  それは新しい関係の始まりだった。  次に会うときは、きっと、もっと深く好きになっているんだろうな。 「ああ、けど遠距離恋愛かぁ……」  落ち込む佐藤の肩に僕は額をくっつける。 「電話もメールもあるよ」 「むう……ちゃんと返信しろよ!? 絶対だぞ!」 「うん」  もう、絶対に逃げないよ。  僕たちは指切りの代わりに、見つめあって小さくキスをした。  ゆっくりしっかりこの関係を続けていきたい。そう思った。
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