新着メッセージ

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「久しぶり!元気だった?」  日曜日の早朝、まだ目覚めてもいない時間に鳴っていたらしい一件の通知は、知らないアカウントからのダイレクトメッセージだった。  名乗りもしないそのアカウントは、名前もアイコンもまるで見覚えがない。スパムかと思って一瞬、ブロックしてしまおうかとも思った。念のため、と相手の素性を確認しにいく。  プロフィールまで見に行ってようやく、中学の同級生だということがかろうじてわかった。が、投稿された写真に映る笑顔を見ても、覚えがあるようなないような。先月の同窓会で、こんな子に会っただろうか?  当時の友人ならある程度はフォローしてあるので、そこから抜け漏れたアカウント、という感じでもないらしい。誰だったかな、と寝ぼけた頭を回転させつつ、久しぶり、と返す。 「あのさ。久しぶりに、隣町の水族館に行かない?名前なんだっけ、ええと……」  こちらの疑念などお構いなしに、『モモ』と名乗るアカウントはさっそく用件を話し始めた。目的地の候補に上がった水族館の名前は、確かに懐かしかった。それは三年ほど前に、当時付き合っていた人と行ったきりの記憶のせいだ。もちろん、思い出すこともできない人と、行った覚えはない。  何の脈絡もない、見知らぬ同級生となんて当然、行くはずもない。休みの日程が合わない、と適当なことを言って、そのときは断ってしまった。 「こっちは全くって言っていいほど思い出せないのに、なんで平気で話せるかな……」  あくびを一つ溢してSNSを閉じ、もう一度枕に倒れ込む。伸びを一つしながら、二度寝でもしようかと寝返りを打つと、また通知が鳴った。無視して寝てしまおうかと思ったが、確認するとモモではなく、彼だった。今日はデートの予定だったが、仕事が入ってしまったという、見慣れた謝罪のメッセージ。  ああ、悪いことは続くものだと思いながら、わかった、大丈夫だよと聞き分けの良い女の返事をする。空いた時間は何をしよう。折角だし、久しぶりにその水族館でも行ってみようか。モモには悪いが、一人で。  のんびりとした雰囲気の水族館は人も疎らで、忘れられた穴場らしかった。以前来たときはどうだったか、なんて思い出せないまま、鮮やかな熱帯魚のコーナーを通り過ぎる。  床から天井までガラス張りの、海のトンネルを抜け、アシカかアザラシか、のんびりと泳ぐ生き物と目線を合わせてにらめっこをする。イルカの泳ぐ長い水槽を熱心に見る、カップルの声を聞きながら通り過ぎようとしたところで、足が止まった。 「コウタ……?」  カップルの片割れの、聞き慣れた声に似たその人はまさしく、本日デート予定だったはずの彼だ。見知らぬ女性と楽しそうに、イルカを背景に写真を撮ろうと躍起になっている。こちらにはちっとも、気づいていないようだった。  ああ、そういう。水族館のひんやりとした空気もあってか、存外私は冷静だった。好きだったつもりの人に裏切られ、痛むはずの胸はとうに切り替わっており、どう復讐してやろうかと静かに鼓動を速めている。  最近、返事も遅かったし、なんならすっぽかされることもザラだった。予定の変更もとにかく多かったし、その埋め合わせだってろくにしてもらえなかったし。私をそういう扱いするような男なんてもう、こちらから願い下げだ。  楽しそうな二人を遠くから、イルカを撮るフリをして撮影してやり、帰りのバスの中で送りつけてやった。普段じゃ考えられないようなとんでもないスピードで大量のメッセージが届いたけど、煩わしくてそのままブロックする。 「そういえばこないだ話してた水族館、予定が合わないって聞いたから、一人で行ってみたんだ」 「そうなんだ、私もたまたま予定が空いてさ。そのとき行ったんだよね」 「楽しかった?」 「それがさ~……聞いてくれる?」  翌週にはまた、元からダイレクトメッセージが届いた。誘いを断っておきながら、一人で出かけた私を特に気にするでもなく、モモはその日の出来事を親身になって聞いてくれた。  海のトンネルはリニューアルされていたものらしく、綺麗だったと盛り上がり、人気のイルカコーナーで、彼氏の浮気現場に出くわしたことも話した。モモはうわあ、と私に同情しながらも、そんな男だとわかってよかったと、私と同じような意見で励ましてくれた。 「水族館のこと、思い出させてくれたおかげで発覚したんだし、モモのおかげみたいなものだよ」 「そんなことないよ。また、予定が合えば遊びに行こうね」  優しくて気の合うモモとの会話は、はずまないはずがないものの、やはり顔を合わせて一緒に出かけよう、という気にはなれなかった。こう言ってはなんだが、手慣れたナンパ男が思い出せない私につけ込んで、都合のいい女友達のフリをしているのかもしれない、とも思えた。というのも、つい先日、似たようなことが友人の身に降りかかり、酷い目にあったと話を聞かされたばかりだったのだ。 「そうだ。じゃあ今度……」  モモは頻度こそ多くないものの「今度予定が合えば」と懐かしい場所の話をした。学生の頃によく行った映画館や、いつか行ってみたいと話していた、お洒落なカフェなど。そのたびに、何かと予定が合わなくて私は断ってしまっていた。予定が噛み合わないのは事実だったが、どこか心ではホッとしていたのもある。  ところで久しぶりに名前を聞くと、大人になってから改めて行ってみたい、という気持ちにもなってしまう。誰かを誘うには気が引けるような、微妙なタイミングを組み合わせては時々、私はモモの提案した場所へと行ってみた。断ったせいで、モモ本人もそこへ行った、という話をたまに聞くこともあった。いつか鉢合わせてしまうかもしれない、と思いつつ、モモと足を揃えることもないまま少しずつ足を運ぶ。  そこで、モモはいないかな、と店内を見回すと、ちょっとしたことが起こるのだ。例えば、うちのセクハラ上司が若い女の子と食事しているのに出くわして、翌日から態度が急変したり、だとか。ずっと探していた思い出の品を、ひょんなことから売り場で見つけたり、だとか。モモが名指しした場所へ行くと、ほんの少し、私にとって都合のいいことがよく起こったのだ。 「モモのおかげでさ、いいことばっかり続くようになったんだ。ありがとうね」 「偶然だよ。でも、そんな話が聞けてよかった」  そういうことが起こると、モモに必ず伝えてお礼をした。なんとなく、旧友というよりは座敷童のような感覚で、モモとは話していた。ここまで幸運が舞い込むと、いつまでも約束を取り付けられないのが申し訳なくなる。今度こそは一緒に出かけたくて、今度はこちらから誘うことにした。  モモは少し時間を置いてから、じゃあ次の土曜日に……と、とある場所を指定した。珍しく聞き慣れない、ビルの名前をモモは送ってきた。私は張り切って予定を空けて、モモと待ち合わせをすることにした。てっきり建物内にお店があるのかと思っていたが、中は人気のまるでない廃ビルだった。  思ったより階数の多くないそのビルは、階段を上るとすぐに屋上に着いてしまった。何階で待ち合わせだったかと、スマホを開いてビルを調べると、なぜか店の名前より先に「自殺の名所」と書かれた記事が躍り出てくる。寒気がして、何かの間違いだろうと慌ててビルを出ようとすると、扉の向こうからすすり泣く声が聞こえてきた。 「え……シオリ?」  扉の向こうにいたのは、成仏し損ねた幽霊でもない、一人の女性だった。調べた内容もあって、早まったことをさせてはいけないと声をかけると、見覚えのあるコートを着た彼女は私の旧友だとわかった。ひょっとして彼女がモモ、と考えるよりも先に、爆発するように大泣きし始めた彼女が私に抱きつく。  いつしか連絡のとれなくなっていた友人は、SNSで酷い目に遭ったと話していた子だ。相当思い詰めていたらしく、嗚咽を繰り返しながら事の顛末を話してくれた。偶然ながら間一髪、すんでのところで間に合ったことを喜び、二人で抱き合って泣いた。  ようやく落ち着いて、近くのお店でご飯を食べたところでようやく、私はモモのことを思い出した。緊急事態とはいえ、うっかり連絡もせずにほったらかしたことを、怒ってはいないかと通知を確かめる。 「あれ、なんにも来てないや……」 「ごめん、誰かと約束してたんじゃなかったの?」 「うん。モモっていう子なんだけど……あ、そうだ。シオリは覚えてるかな」  一切メッセージのないモモを不思議に思いつつ「ごめん、今どこ?」とだけメッセージを送り、シオリにモモのことを訊ねる。シオリも初めは思い出せないようだったけれど、私がモモについて話すと、だんだんと顔色を悪くし始めてしまった。 「え、なになに?覚えてるの?」 「思い出した……モモって、百瀬のことじゃない?」 「モモセ……?誰だっけ」 「中学の頃、不登校になって結局、自殺した子だよ」  シオリの言葉にハッとして、私は青ざめる。  思い出した。思い出して、現実の人間よりよっぽど恐ろしい話だったことに気がついた。モモは、かつて私たちのクラスメイトだった。大人しくて口数も少なくて、教室で一人でいても平気ですって顔をしているような子だった。  あんまりにも表情を変えない子だったから、私たちはモモに声をかけたのだ。友だちになろう、なんて、笑いながら。その本心は蔑視だ。  私たちは一人ぼっちの可哀想な彼女を輪に入れて、揶揄って遊んでいた。何で一人なの?友だち他にいないの?じゃあ、私たちの機嫌を損ねないようにね。そう見下しながら仲良しごっこをする。最低な子どもだったのだ。 「でも、モモって自殺したんだよ?どうして、アカウントが……?」 「さあ……、誰かがなりすましてたとか、そんな?」 「なりすますって、誰がよ?」 「わかんないよ」  彼女がついてこられないような話題を振って、彼女がわからないまま話を合わせて微笑むのを、馬鹿にしながら笑っていたシオリ。疲れたから~なんて言いながら、彼女にクラス委員の仕事を任せたり、荷物を持たせたりなんかしていた最低な私。他にも、色んなことをしでかしていた。  モモは一度も嫌な顔をせず、でも心の中では私たちを恨んでいたのかもしれない。不登校になって、そのまま帰ってくることはなかった。それを、子どもながらにマズいことをした、なんて考えていたのが、もう昔の話。今はもう、モモのことを思い出すこともできなくなっていた。  そうだ、いつか会えたら謝らなきゃなんて考えていたのは、いつだっただろう。大人になって、ようやくしでかした罪の重さを知った。そんなどうしようもない私に声をかけたのが、モモだとしたら。あるいは彼女を大事に思う人が、私をまだ恨んでいて、悪戯がてら揶揄っていたのだろうか。 「もし、モモだったら……私、謝らなきゃ」 「モモ本人のわけないでしょ、死んでるんだから」 「でも……私、気づきもしなかった。許されなくても、本人じゃなくても、謝らないと」  モモにもう一度メッセージを送ろうとしたとき、また私はハッとする。今度はモモのアカウントそのものが、消えてなくなっていたのだ。送ったはずのメッセージは、エラーで送れなかったと通知だけが残っている。 「……今日、モモと会う約束をしてて、それでここに来たの」 「ここって、自殺の名所って言われてるの、知ってた?」 「ううん、来るまで知らなかった。モモに合流できなくて、うろうろしてたらシオリを見つけて」 「相当、恨みを持った奴の悪戯ってことはない?」 「……違う、と思う」  本当にただ、悪戯がしたいだけならモモの正体を詳しく明かして、呼び出せば良かったはずだ。そんなこともせず、私が約束に応じるまで、時間をかけて友だちでいてくれたモモが、恨んでいたようには見えない。私の都合のいい解釈だろうか?もしかすると、今日この日のためだけに、とびきり優しい友人でいてくれたのだろうか。 「モモが教えてくれた場所に行くと、良いことが起こったのよ。今日だって、シオリを助けられた」 「それは……偶然じゃない?」 「かもしれない、けど……モモがそんなことするようには、ちょっと思えなくて」  モモは今日、あの場所であって私に何を伝えるつもりだったんだろうか。それとも、私に会う気は初めからなくて、あんなところで待ちぼうける私を笑っていたのだろうか。シオリに会えたのは、本当に偶然なんだろうか。  結局、この場にいない人の心境なんてわかるはずもなく、その日は解散して私たちはそれぞれ家に帰った。家でもう一度、モモのアカウントを探してもやっぱりモモはもう、どこにもいない。本当に、恨まれていたのだろうか。それとももう一度、友だちとしてやり直しさせてくれたんだろうか。  久しぶりに思い出した友だちは、何も教えてくれない。
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