序話(はじまりのはなし) 開店───しとせ屋

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序話(はじまりのはなし) 開店───しとせ屋

「ごめんください」  緩やかな坂を上った所に、古風な建物がある。そこをひとりの女性が訪れた。  さらりと艶めく黒髪を腰まで流した、落ち着いた色合いの着物の女性。歳は二十代半ば程か。 「はい」  声を受け、奥の暖簾(のれん)を分けて姿を現したのは、茶髪の少年だった。  幼さの滲む顔立ちに、優しげな笑みが浮かんでいる。彼は左眼を包帯で覆っていた。 「いらっしゃいませ。どうされましたか?」 「また、浄化を頼みたいのですが」  女性が手提げ袋から小さなものを取り出す。紅い布地の小袋に「安全祈願」と縫い込まれた様は御守りによく似ていたが、中から出てきたのは大粒の水晶のかたまりだった。  少年は自身の手に転がるそれを眺め、 「ああ、〈(さかい)(まも)り〉ですね。分かりました、只今」  にこやかに頷くと、くるりと奥へ顔を向ける。 「暁生(あかつき)ー」  来るところだったのか、直ぐにくすんだ金髪の青年が姿を見せた。  背丈は少年を優に超えており、片耳にはピアスがついている。よくよく見れば顔立ちは整っている方なのだが、目つきの悪さばかりが目立ってしまっている。(ちな)みに、当人はそれで困っている様子は無い。 「はい、出番だよ」 「······何だよその普段は役に立つ事ねぇみたいな言い方」  ぼやきながら歩いて来る青年に少年が先程の水晶を渡す。 「また溜まったからお願い。但し、」 「······はいはい」  少年の忠告に溜息交じりに呟き、渡された水晶を右手で軽く握った。  直後──。  青年の右手を取り巻くように、黒い霧状のものが立ち昇った。  ゆらりと揺らめく様は、風に流れる時と異なる明確な動きだった。さながら意思を持つかのように。だが、ソレは青年の右手より周囲には広がらない。  そして直ぐに黒いものが消え始めた。空気の中に溶かされるみたいに、すうっと見えなくなっていく。  やがてそれが完全に消えると、青年は握った手を開いた。 「ん」 「良し」  少年が水晶を受け取り、小袋に丁寧に仕舞い直す。 「お待たせしました。これでまた元の状態に戻せましたので、無事お使い頂けます」  にっこり微笑む少年に女性もほっとした笑みを返す。 「有難うございます。いつも助かりますわ。これ、心ばかりのものですが······」  小袋を手にした女性が差し出したのは、お金だった。紙幣が一枚。  自分の掌に載せられたそれに、少年は── 「え、要らないですよー」 「要るわ······!」  青年が目を(みは)った。掌ごと差し戻そうとする少年から紙幣を奪い取る。 「こんなの通常業務の内にすら入らないだろ。お金取ることじゃないよ」 「要るだろ······! 歴として能力(ちから)使ってんだから。うちはボランティアで()ってんじゃねーぞ、生計成り立たねぇだろうが!」 「暁生······何でも金に換算すると人としての程度が知れるぞ」 「お前は商売人としての自覚があるか!?」  目の前で始まった言い合いに、女性は気を悪くした様子もなくくすくすと笑みを零す。此処を訪れると割とよく見られる光景である。······割と見られては(まず)いのだが。 「ふふ。──では」  穏やかに一礼し、そのまま目を閉じる女性。途端──彼女の頭、そして背を覆うように、黄金色に眩い耳と尾があらわれた。淡い光に満ちて柔らかにふるわす狐の耳と尾は、神々さも漂わせる。 「今年もまたお世話になりました」 「また何時(いつ)でもいらして下さいー」  たった今起きた事に、しかし二人とも動じない。少年の方が笑顔で手を振り返す。  もう一度ぺこりと頭を下げた彼女は、トンと軽い踏み出しで浮き上がると、空へ泳ぐように舞い上がっていった。  その姿が見えなくなり。 「······向こうにある稲荷神社の、か」 「ん、この時期は氏神参(うじがみまい)りがあるからな。道中色々あるだろうことを考えると、〈境の護り〉が重要だったんだろ」 「氏神って、アイツなんもしてねえじゃん」  青年が呆れに眉をひそめた、その時。おずおずと小さな声が入り込んだ。 「······お、終わった? 無事に」  頃合を見計らったかのように、暖簾で仕切られた向こうから少女が出て来た。 「透雨(とあ)」 「やっぱり人外のでもお前はダメなんだな」 「ご、ごめん」  二人しか居ないのを確認すると、(ようや)くこちらへ近付いてくる。少年の方よりも背の低い、大人しげな雰囲気の黒の長髪の少女。 「暁生の大きな声聞こえたから······何かあったのかと思って」  ぐっと黙った青年に代わり、 「問題て訳ではないんだけどね、全然手間かかってないのにお金貰っちゃってさぁ······」 「春依(はるい)お前、俺達の仕事をなんだと思ってるんだ? ······こいつが堂々要らないってぬかすから怒ってたんだよ。つーか、実際能力使ったのは俺だぞ」 「減るもんじゃないじゃん。じゃあ、暁生はアレが厄介って思う程だった?」 「······べつに厄介なんて思わねーけど」  二人の顔を交互に見た少女が、首を傾げる。 「何だったの?」 「〈境の護り〉の浄化だよ。持ち主に寄ってくる邪気を代わりに吸い取ってくれるものだからね、どっかで溜め込んだ邪気を取らないと、効力が無くなっちゃうし、持ち主が危ない」 「ああ、だから暁生が。確かにそれくらいならお金は要らないかも······」 「なー」 「おいおい先月も先々月も度々弟達が無償にしちまった所為でうち当分苦しいんですけどー?」  ゆるい坂道を上った先の建物には、三人の兄妹がいる。  二十歳の長男、暁生(あかつき)。  十七歳の次男、春依(はるい)。  十六歳の末妹、透雨(とあ)。  ちょっと不思議な力を持つ三兄妹が営む店。 『しとせ屋』──まったりのんびり開店中。
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