やぁ、久しぶり

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やぁ、久しぶり

 男は来る日も来る日も太陽の光を浴び、月の光を浴び続けた。ある実用書を読んだことがきっかけではじめた日光浴と月光浴。ひたすら念じながら、一身に光を浴びる。来月に待つイベントに向けて、男は愚直にそれを続けた。  店へと向かう男の足取りは、どこか勇ましいものがあった。だって、あれだけの備えをしてきたんだから。きっと上手くいく。そう信じ、男は鼻息を荒くした。  辿り着いたのは、繁華街の真ん中にあるとある居酒屋。今夜はここで同窓会が催される。男の弛まぬ努力は、全てこの日のために注がれた。勇気を振り絞り、店頭の自動ドアをくぐる。眺めると店内には学生時代の面影を残す面々が。幹事の男女が男に気づき駆け寄ってきた。そして男は意を決し、言ってのけた。 「やぁ、久しぶり!」  陽気に振る舞った男のセリフは、あろうことか数秒の沈黙を生む。幹事の男女は気まずそうに視線を合わせる始末。山下という名の幹事が、ここは任せろとばかりに、口を開いた。 「あっ、あぁ、久しぶりぃ! 随分と変わったよねぇ。ち、ちなみに、名前は何だっけ?」  男がおそれていた事態が起きた。もちろん、こうなることは分かりきっていた。ただ、一縷(いちる)の望みをかけて――。 「あっ、ごめん! 電話が入った」  そう言いながら男は手刀を切ると、ポケットからスマートフォンを取り出した。そそくさと耳に当て、急用を装いながら、入ってきたばかりのドアを飛び出した。  影の薄い人間にとって、人間関係は実に辛いものがある。ましてや、同窓会なんてイベントはもってのほかだ。個性的な者、強い印象を残す者、目立つ者たちが主役を張り、影の薄い無個性人間たちは、ただの景色と成り果てる。  わざわざ、参加しなきゃいいのに?  もちろんそうだ。ただ、そんな人生で果たしていいのだろうか? 個性がなくたって立派な人間。胸を張ってこの世を渡っていきたい。そう思い、男は実用書に書いてあったノウハウを愚直に実行した。  そう。影を濃くする方法。日光を浴び、月明かりを浴び、ひたすらに影を濃くする。その成果を発揮する運命の日が、今夜の同窓会だったわけだ。  しかし、結果は惨敗。やはり無意味だった。くだらない実用書を鵜呑みにした自分がバカだった。男はスマートフォンを耳にあてたまま、繁華街を彷徨った。やがて人気のない路地に辿り着くと、おもむろに地面に(ひざまず)いた。 「くそったれ! 嘘つき! ちっとも影なんて濃くならないじゃないか!」  地面にポタポタと涙を垂らしながら、月明かりが落とす自身の影を拳で何度も叩いた。  すると、地面から何やら声がした。 「もう、すっかり影は濃くなってるぜ」  突然の声に怯む男。鼻水をすすりながら目を丸くする。呆気に取られる男をよそに、影はみるみる浮き上がり、跪く男を見下ろすように自立した。 「えぇぇ!?」男は声を震わせる。 「お前の影はこの通り、もはや立派な存在だ。卑下することは何もない。じゃあな」  そう言うと影は、男との接合部をブチッと引きちぎった。肩で風を切るように闊歩しながら立ち去っていく影。置き去りにされた男は地面にひれ伏したまま、その背中を目で追うことしかできなかった。  影を失ってから数ヶ月。喪失感に苛まれながら暮らしていた。すっかり生気も失い、やつれた表情の男。会社の同僚からも、「なんだか、見る影もないなぁ」と言われる始末。  そんな日々が続いたある日の昼下がり。営業先へと向かう男の前に、影が姿を現した。 「やぁ、久しぶり!」  人生を謳歌していると言わんばかり、影が陽気に声をかけてきた。 「随分と疲れ切っているじゃないか。薄かった影すら失って、今、どんな気分だい?」  元来、自分が望んでいた姿。他人に引け目を感じることなく生きる勇姿。個として認識される快感。承認されたい欲求。それらを叶えて立つ影を憎み、男は飛びかかった。 「俺の影を返せ!」  影は不敵な笑みを浮かべると、掴みかかる男を包み込んだ。男はすっぽりと影に飲み込まれ、瞬く間にその姿を消した。そこには仁王立ちする影の姿。よく見るとその足元からは、昼下がりの陽光を受け、ひょろ長い男の姿が伸びていた。 「ひっ! 影になっちまった……」 「もう、影が薄いなんて言われないように、俺がお前を鍛え上げてやるよ」 「どうやって……?」  影は大きく胸を張ると、今にも泣き出しそうな男に向かい、自信満々に言ってのけた。 「簡単さ。まずは、日光浴からはじめよう」
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