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窓の外に浮かぶ繭月を見つめながら、橘千霧は言う。
「人は常に誰かを犠牲にして生きている。何かを崇め、誰かを祟る。この世界に人間が存在していく以上、それはずっと繰り返されていく」
見ると、いつの間にかこの研究室全体が繭に覆われ、私の足元にまでその白い糸が伸びてきていた。床を埋め尽くすように広がっていく繭に、次第に足元が絡め取られていく。
「繭……憑」
あの時の感覚が蘇ってくる。
公園で私たち三人が襲われた時と同じだった。
あの時も、地面を覆い尽くした繭の糸が、逃げる間もなく私たちに巻き付いてきた。
「ようやく思い出してきたようね。どう? 繭の中で自分の体が溶け出していく記憶は」
醜悪な笑みを口元に浮かべた橘千霧が、ゆっくりと私の方へと近付いてくる。その間も、繭の糸はまるで蛇が獲物を捕えるかのように次第に私の体に巻き付いていく。
「繭憑とは人間の憎悪そのもの。だから誰も抗うことはできない。羽吹結衣、あなたは再びその繭の中で溶かされていく。誰の助けも来ない中、永遠の絶望に打ちひしがれながら」
私のすぐ前に立った橘千霧が、その白い指で私の頬を撫でる。
「でも恐れることはないわ。誰だって同じ。人は皆、絶望と孤独の中で死んでいく。ただ、自分の生が永久に失われていくのを感じながら」
「たとえ……そうだったとしても」
腕の辺りまで巻き付いてきた糸を払い除け、私は上着のポケットから仁和から受け取ったナイフを取り出す。
鈍色に輝くナイフを身構える私を見て、橘千霧は笑みを浮かべたまま小さく首を傾げる。
「そうね、それも良いかもしれないわね。人間らしくて。いいわ、そのナイフを私の胸に宿る繭憑に突き刺してみればいい。それであなたの憎しみが解き放たれるのなら」
煽り立てるように言う橘千霧に、私はナイフを持つ手に力を込める。
「私……は」
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