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「え?」
元恋人はしごく不可解そうな表情を浮かべていて、私はこめかみを擦って、小さく息を吐いた。
「別れたでしょ、私達」
私達が私達じゃなくなったのは、全て私の身勝手のせい。
元恋人から逃げたくなった私のせい。
今も、元恋人から逃げたくてたまらない。
「なんで? 別れて、って言われてない」
「言わなくても分かるでしょ」
「五年前、急に俺達の部屋から君のものだけが消えて、突然君と連絡がとれなくなった。でも、それだけだよ」
元恋人の眼差しは純粋で真っ直ぐで、私の方が間違っている気さえしてくる。
「帰って」
「じゃあ、別れてって言って」
「もう付き合ってないんだから、別れても何もないよ」
「まだ、付き合ってる。俺が別れたって認めてないもん」
「なっ」
「付き合うのは同意が必要なのに、別れるのは同意が必要じゃないの? 付き合うのも別れるのも、お互いの意思が必要じゃない?」
傲慢で誠実で、屁理屈で、どうすれば追い返せるのか分からない。そもそも、どうして鍵が開いたんだろう。
突っ立ったまま考えようとすると、元恋人はなんの前触れもなく靴を脱いだ。
「ちょっ、何して」
「寒い」
身震いして、元恋人は勝手に家に上がり込む。床に散らかったものを軽くどかしながら、テーブルの前に陣取った。そして、ビニール袋から缶チューハイやビールやワインを取り出し、テーブルに並べていく。
「帰ってよ」
「久しぶりの再会をお祝いしよ」
猫にでもするみたいに、元恋人がちょいちょいと手招く。
「……ほんと、勝手」
小さく呟いて、私は仕方なく玄関のドアを閉じて、テーブルの前に座った。
元恋人は自由人で、身勝手で、傲慢で、一度決めたら梃子でも動かない頑固者で、その癖に甘ったるい人だってことを、私は七年の付き合いでよく知っている。
「なにで酔う?」
「何で酔う」
テーブルの上をざっと見る。完熟イチゴ、リンゴ、桃、ラムネ、グレープ、クリームソーダ。元恋人らしい、甘ったるいチョイスに顔を顰めて、隅っこにいたハイボールに手を伸ばす。
直後、唐突に髪を掬われた。
「かわいい寝ぐせ。さっきまで寝てたの?」
「休日だから」
「まーた茨姫になってたの」
穏やかに微笑む元恋人の横顔に、チクリと胸が痛んだ。強張る手をどうにか動かして、元恋人の手を払いのける。
「昼過ぎに、寝起きでハイボール」
「それは……」
言いかけた言葉を呑み込む。元恋人のせいと言って責めても、元恋人はどのみち笑っている。
空腹にアルコールを入れるなんて、本当はしたくない。けれど元恋人に帰ってもらうためには他に方法がなくて、黙ってプルタブを押し上げる。すぐそばで、同じ音がした。
「はーい、かんぱーい」
元恋人が勝手に押し付けて、二つの缶がぶつかった。
グイっと勢いよく飲み始める元恋人を見て、私はほんの一滴だけ喉に流した。やけどするような熱が腹の底から広がっていく感覚が、ほんの少し、心地いい。
「一缶だけだから。飲んだら即帰って」
元恋人に――私に、私は甘い。
「五年ぶりの逢瀬なのに」
「……だからもう、とっくに別れてるんだって」
「別れたいなら、別れてって言ってよ」
「……」
まるで暴君そのもの。だけど、確かに簡単な話だ。
私は下唇を噛んで、ゆっくり口を開く。けれど、どんなに絞り出そうとしても、声が出てこない。
「ゲームしよ」
悔しくて俯きかけた視線を上げると、元恋人は楽しそうに笑っていた。
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