「元、恋人」になるまで

3/6
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
「よく遊んだよね。トランプあるし、やろー」  着たままの厚手のコートのポケットから四角い箱を取り出して、元恋人は慣れた手つきでトランプをシャッフルする。 「遊ぶなら帰って」  冷たい声で拒絶すると、身体が小さく震えた。暖房かけっぱなしの室内なのに、なぜか寒い。 「久しぶりだから、ルールの確認ね。カードを引いて、数字が大きい方が勝ち。勝者は敗者からカードを奪い、敗者に質問する。今日はお酒飲んでるから、答えは嘘でも真実でも、どっちでもいい」 「……」  珍しい。今まではどんな状況でも、例えお酒が入る遊びだとしても、嘘は禁止だった。 「山札がなくなるまで繰り返して、奪ったカードが多い方が勝ち。今日の敗者は、勝者の言うことを何でも聞くこと」 「え」 「君が勝ったら、何だって叶えてあげる。別れてって言われたら、別れる」  元恋人は何故か満足そうな笑顔を浮かべ、私をじっと見つめる。すべて私に任せるとでもいうように。  ひんやりした缶を両手で包んで、そっと目を瞑る。  今まで、ほぼ引き分け。だけど、私は元恋人よりお酒が弱くて、アルコールが入るとほんの少し本音が出やすくなる。不利なのは私の方だ。  ――でも、私達が私達じゃなくなる。  その証明が、今は何よりも欲しい。 「……ルールを破らないなら」  ファスナーの引手を握りしめて、私は小さな声で答えた。 「じゃあ、決まり」  元恋人は適当に缶チューハイやテレビのリモコンをテーブルの端に片づけて、真ん中に山札を置いた。  ジャンケンをして負けた私が、先にカードを引く。続いて、元恋人が欠伸をしながらカードを取った。 「はい、じゃんじゃん」  久しぶりに耳にする元恋人の謎の掛け声で、同時にカードを裏返し、テーブルに乗せた。  元恋人はハートの5、私はクローバーの9。  思わず心の中でガッツポーズをしてから、元恋人のカードを奪った。 「負けちゃったなぁ。はい、質問どーぞ」  痛くもかゆくもなさそうに、元恋人ははにかんだ。苦くて甘い胸の痛みをお酒で誤魔化し、思考を巡らせる。  一つの質問で、出来るだけ多くのことを知りたい。数秒悩んで、湿らせた唇を動かした。 「どうしてここに来れたの?」  元恋人がドアを開けることができた理由。元恋人がこの場所を知っている理由。  憶測はいくつか浮かぶけれど、事実は知らない。知らないから、知りたい。  けれど、と思う。知ったところで、今更どうなるんだろう。 「君が地元に帰って一人暮らしを始めたことは、俺達の友達が教えてくれた。そして君のご両親が、この家の合鍵を快く貸してくれた」  どっと汗が噴き出して、手に持った缶を落としそうになった。 「あぁ。君とは別れてないし、絶対に結婚するって、ご両親には話しておいたから」  実に爽やかな微笑みに、つい指先に力が入る。缶が軽く軋む音がした。わざと大きく息を吐き出して、缶の口を唇に押し付ける。  世の中は、狭い。  私の友達は元恋人の友達で、元恋人の友達も私の友達。  そして私の両親は、愛想のいい元恋人をかなり気に入っている。高校卒業後、同棲したいと話した私と元恋人に、『将来必ず結婚すること』なんて条件を笑顔で出すくらいには、両親は元恋人に好意を抱いている。  私と元恋人の関係を、友達も家族も知っていて、悪いことも隠し事もできるわけがない。 「……分かってたけど」  地元に逃げても、元恋人からは逃げられない。腹立たしさに任せて、缶をほぼ空っぽにする。 「あ」  いつから元恋人は私がここにいることを知っていて、どうして今更私の前に現れたんだろう。 「……あのさ」 「また質問したいなら、また勝ってみせて」  私の考えなどお見通しみたいに、タイミング悪く元恋人は笑って告げた。  つい顔を顰めてしまうと、元恋人の大きな手がカードを引いた。柔らかな眼差しに急かされて、私もカードを取る。 「はい、じゃんじゃん」  元恋人の弾んだ声につられて、私はカードを裏返した。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!