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「よく遊んだよね。トランプあるし、やろー」
着たままの厚手のコートのポケットから四角い箱を取り出して、元恋人は慣れた手つきでトランプをシャッフルする。
「遊ぶなら帰って」
冷たい声で拒絶すると、身体が小さく震えた。暖房かけっぱなしの室内なのに、なぜか寒い。
「久しぶりだから、ルールの確認ね。カードを引いて、数字が大きい方が勝ち。勝者は敗者からカードを奪い、敗者に質問する。今日はお酒飲んでるから、答えは嘘でも真実でも、どっちでもいい」
「……」
珍しい。今まではどんな状況でも、例えお酒が入る遊びだとしても、嘘は禁止だった。
「山札がなくなるまで繰り返して、奪ったカードが多い方が勝ち。今日の敗者は、勝者の言うことを何でも聞くこと」
「え」
「君が勝ったら、何だって叶えてあげる。別れてって言われたら、別れる」
元恋人は何故か満足そうな笑顔を浮かべ、私をじっと見つめる。すべて私に任せるとでもいうように。
ひんやりした缶を両手で包んで、そっと目を瞑る。
今まで、ほぼ引き分け。だけど、私は元恋人よりお酒が弱くて、アルコールが入るとほんの少し本音が出やすくなる。不利なのは私の方だ。
――でも、私達が私達じゃなくなる。
その証明が、今は何よりも欲しい。
「……ルールを破らないなら」
ファスナーの引手を握りしめて、私は小さな声で答えた。
「じゃあ、決まり」
元恋人は適当に缶チューハイやテレビのリモコンをテーブルの端に片づけて、真ん中に山札を置いた。
ジャンケンをして負けた私が、先にカードを引く。続いて、元恋人が欠伸をしながらカードを取った。
「はい、じゃんじゃん」
久しぶりに耳にする元恋人の謎の掛け声で、同時にカードを裏返し、テーブルに乗せた。
元恋人はハートの5、私はクローバーの9。
思わず心の中でガッツポーズをしてから、元恋人のカードを奪った。
「負けちゃったなぁ。はい、質問どーぞ」
痛くもかゆくもなさそうに、元恋人ははにかんだ。苦くて甘い胸の痛みをお酒で誤魔化し、思考を巡らせる。
一つの質問で、出来るだけ多くのことを知りたい。数秒悩んで、湿らせた唇を動かした。
「どうしてここに来れたの?」
元恋人がドアを開けることができた理由。元恋人がこの場所を知っている理由。
憶測はいくつか浮かぶけれど、事実は知らない。知らないから、知りたい。
けれど、と思う。知ったところで、今更どうなるんだろう。
「君が地元に帰って一人暮らしを始めたことは、俺達の友達が教えてくれた。そして君のご両親が、この家の合鍵を快く貸してくれた」
どっと汗が噴き出して、手に持った缶を落としそうになった。
「あぁ。君とは別れてないし、絶対に結婚するって、ご両親には話しておいたから」
実に爽やかな微笑みに、つい指先に力が入る。缶が軽く軋む音がした。わざと大きく息を吐き出して、缶の口を唇に押し付ける。
世の中は、狭い。
私の友達は元恋人の友達で、元恋人の友達も私の友達。
そして私の両親は、愛想のいい元恋人をかなり気に入っている。高校卒業後、同棲したいと話した私と元恋人に、『将来必ず結婚すること』なんて条件を笑顔で出すくらいには、両親は元恋人に好意を抱いている。
私と元恋人の関係を、友達も家族も知っていて、悪いことも隠し事もできるわけがない。
「……分かってたけど」
地元に逃げても、元恋人からは逃げられない。腹立たしさに任せて、缶をほぼ空っぽにする。
「あ」
いつから元恋人は私がここにいることを知っていて、どうして今更私の前に現れたんだろう。
「……あのさ」
「また質問したいなら、また勝ってみせて」
私の考えなどお見通しみたいに、タイミング悪く元恋人は笑って告げた。
つい顔を顰めてしまうと、元恋人の大きな手がカードを引いた。柔らかな眼差しに急かされて、私もカードを取る。
「はい、じゃんじゃん」
元恋人の弾んだ声につられて、私はカードを裏返した。
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