「元、恋人」になるまで

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「俺の勝ち」 「え?」  唐突に告げられて、自然と目が瞬く。 「山札がなくなった。奪ったカードは俺の方が多い。だから、……俺の言うことを聞いて」  元恋人の手が、ふいにファスナーの引手を掴んだ。咄嗟に手を伸ばすけれど、元恋人は片手で簡単に私の両手を一纏めにする。  そして――ファスナーを一番下まで下げた。 「……俺のシャツ、好きだったもんね」  ヒクリと唇の端が鈍く動く。心臓がバクバク音を鳴らして、下唇を噛んだ。  知られてしまった。  元恋人から逃げたくて、元恋人との思い出写真も全部消して、元恋人と集めたプルタブも捨てて、そうして逃げたのに。  五年前、元恋人のシャツを、私は盗んだ。  盗んで、泣きたくなる夜に縋りついて。もう一度だけ、会いたいと願ってしまっていた。  どうしようもなく怖くなって、逃げたくて逃げたのに、心は止まらなかった。 「君が決めて」  元恋人の手が離れていった。急に消えた温もりを探すように、私はきつく手を握り合わせた。 「俺達を終わりにするか、続けるか。君が別れを選ぶなら、生涯君に関わらないって約束する」  元恋人の言葉は絶対。元恋人に出来ないことはなくて、全部、元恋人の思うがまま。  元恋人は、まるで何でも叶える魔法使いのような人。  それが分かっているから、息が詰まって、胸が苦しくなる。  元恋人は甘く笑って、優しく選択肢を与えてくれているのに。 「ほら、君とって願ってもないチャンスだよ」  何故か楽しそうに笑って、元恋人はテーブルの上に目を向ける。その視線を追いかけて、散らかった空き缶が目に映った。  全部、元恋人らしい甘ったるいものばかり。けれどそれは全部、私の好きな甘ったるさだった。  いつでも元恋人は、私のことを何よりも優先する。私の好きなものが好きだと言って、私の全てが正しいと言って、私を傷つけた相手を簡単に殴って。  元恋人は、自由人で、身勝手で、傲慢で、一度決めたら梃子でも動かない頑固者で、けれど私の欲しいものも欲しいセリフも、全て分かっている人だった。  元恋人と一緒にいると、いつの間にか私の望みが叶っていた。  元恋人が自由に振る舞う時も、頑固者になったときも、いつだって私の本当の願いは叶っていた。  私は、まるで元恋人が私に人生も命も全部捧げるように生きている気がした。  それが、逃げたくなるくらいに怖くて、恐ろしくて仕方なかった。 「……私は」  だから、迷う必要なんてない。  私は普通に生きられるようになりたくて、元恋人に普通に生きてほしくて、元恋人から逃げた。五年前に、私達はもうとっくに別れている。  だから、だから、難しいことは何もない。
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