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峠の死神
その夜も快適なドライブだった。ここは田舎の峠道だから、パトカーも白バイもめったに通らないし、ネズミ捕りだってやっているのを見たことがない。だからスピードは出し放題なんだ。おまけに時折道はくねくねと曲がりくねっているので運転するのも楽しいし。それが目当ての車もちょくちょく見かけるんだ。
長い上り坂が終わって、これから下りに入ろうとかというとき、そいつはいきなり現れた。いつの間にか助手席に男が座ってたんだ。
俺は慌てて車を路肩に寄せて停めると言った。
「誰だお前。どうやって入ってきた?」
すると相手はへらへらと笑いながらこう言うんだ。
「すみません。ちょっと早く着いちゃいました。なにぶん新米なもので」
「は?なに言ってんだ?」
「いや私、死神なんですよ。あなたはあと3分ほどあとに、道に飛び出してきた猪を避けようとしてハンドルを切りすぎ、ガードレールを突き破って崖下に転落して死ぬんです」
俺が死ぬだって?なにをバカなと最初は思ったんだけどさ、考えてみればこの男、いつの間にか助手席に座っていたわけで、それはこいつの言うとおり死神か、さもなきゃ幽霊でもなけりゃあり得ないだろう、って思い直したわけよ。
「あんた、本当に死神なのか?」
「ええ。死を直前に控えた人にしか見えない存在ですけど」
「俺は、死ぬのか?」
「ええ。この先で猪を避けようとして」
そう言われて気がついた。
「じゃあ、このまま俺がここから動かなかったらどうなるんだ?」
「は?それは困ります。今夜は魂をひとつ持って帰らなければならないのですから。はやく車を走らせてください」
「いや俺だって死ぬのはいやだよ。だから動かねえ。なんなら歩いて帰る」
「よしましょうよ、そう言うの。あなたはここで死ぬ運命なのですから、素直に私の言うとおりに、ね」
そんなやり取りをするうち、バックミラーにヘッドライトの光が見えてきた。そこで俺は天才的なアイデアを思いついたんだ。
後方から車が近づくタイミングを見計らい、俺の横を通り過ぎようとする直前に、ドアを開け道に飛び出す動作を見せたんだ。本当に飛び出さないぜ。そんなことしたら轢かれる可能性だってあるからな。
思惑通り、俺を避けようとして急ハンドルを切った車はガードレールを突き破り、崖の下へと落ちていった。
壊れたガードレールに近寄ると死神も俺についてきた。崖下の暗闇の中で小さく点ったテールランプを見つめながら、俺は死神に言ったんだ。
「この高さから落ちたら絶対助からないからさ、俺の代わりにあいつの魂を持っていけよ」
死神はしばらく悩んでいたけど、すっと目の前から消えたんだ。つまり、それで俺は死の危機から脱したってわけ。
これはもう、5年前の話さ。
ペーパードライバーだから運転の練習がしたい。市街地じゃなくて、あまり車が走っていない道がいい。付き合い始めのユミがそう言うからこの道を選んだのだ。
だが、ここを走ると必ずその話を思い出した。今まで誰にも言ったことがなかったのに、彼女との会話が途切れて間が持たなくなり、つい語ってしまった。
話し終えた俺はハンドルを握るユミの横顔を見た。彼女はまっすぐ前を見据えたまま、緊張した面持ちで運転を続けている。
不意に彼女がスマートフォンを俺のひざの上に投げてよこした。ロックは解除され、動画再生のアプリが立ち上がっていた。
「それ、元彼の車のドライブレコーダーに残ってたの」
動画は勝手に再生されていた。走る車の運転席からの景色。夜の闇をヘッドライトが照らしている。
「その元彼とは婚約までして、一ヵ月後に結婚も控えていたわ」
彼女の声を聞きつつ、俺は動画から目が離せないでいた。くねくねと曲がる夜道。他の車はなく、かなりの速度を出している。そして道路が上り坂から下りへと入ったところで、前方の路肩に停車した車が見えてきた。
「元彼も、この道をよく走るって言ってたっけ」
停まっている車を追い越そうとした直前、急にドアが開き、人が飛び出してきた。「うわっ」とドライバーは声を漏らし急ハンドルを切ったところで動画は途切れた。
「そのあと、車は崖から転落して元彼は死んじゃったの。私はそこに映っている人が急に飛び出してきたんだから、何らかの責任を問えるんじゃないかって警察に言ったんだけど、警察は元彼のスピードを出しすぎによる事故だの一点張り」
気がつけばユミは車の速度を徐々に上げていた。
「だから探したのよ。そこに映っている人を」
恐る恐る視線を移す。ハンドルを握ったままの彼女はこちらに顔を向け、満面の笑みを浮かべていた。
「5年かけてやっと見つけた」
とっさに逃げ出したい衝動に駆られたが、この速度では車から飛び降りることもできない。どうやってこの窮地を脱しようかと思案していると、「あら」と彼女がうれしそうな声を上げた。
「死神って本当にいるのね」
ユミの視線はルームミラーに向いていた。まさかと思いながらバックシートを振り返り、瞠目した。
「やあ、お久しぶりです」
そこにいたのはあの時の死神だった。へらへらと笑いながら手をあげている。
「え?なんで?」
俺の問いに答えたのはユミだった。
「こういうことよ」
言うなり彼女は急ハンドルを切った。車はガードレールを突き破り、頭から崖下へと転落していった。
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