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 雅恵(まさえ)は夫、泰(やすし)の遺影を見ていた。雅恵が泰と過ごした時間は短かった。だけど、とても充実したものだった。2人が知り合ったのは高校生の頃だ。共に初恋で、このまま結婚だなんて思っていなかった。だが、長男の武夫(たけお)が生まれてすぐ、泰は癌で若くして亡くなった。あまりにも悲しかったけど、その分、私が長生きしないと。 「あなた、今日、武夫は高校生になったのよ」  あれから15年の時が経った。武夫は順調に成長した。そして今日、高校の入学式を迎えた。ここまで育ってくれた武夫は、まるで死んだ泰の生き写しのようだ。思いやりがあって、賢くて、スポーツが得意だ。本当にいい子に育ってくれた。 「入学式も卒業式も、見たかったよね」  だが、そこに泰はもういない。いてくれたら、どんなに嬉しいだろう。だけど、それを受け止めないと。 「どうしたの?」  雅恵は振り向いた。そこには武夫がいる。  武夫は、泰がすでに亡くなっているのを知っている。死因が癌だったのも。だが、父がいない寂しさに耐えて、ここまで頑張った。だけど、それがゴールじゃない。高校、大学を卒業して、就職して、結婚して子供をもうけて、孫にも恵まれて、人生を全うするまでがゴールだ。 「お父さんと話してたの」 「ふーん」  だが、武夫は全く気にしていない。雅恵はあんなに気にしているのに。 「お父さん、見てるかな?」 「きっと見てるよ」  雅恵と武夫は空を見上げた。だが、泰の姿は見えない。だけど、きっと天国で見ているだろう。  泰が癌による余命宣告を受けたのは、武夫が生まれてすぐの事だった。その前から体の不調を訴えていた泰は、精密検査を受ける事になった。そしてその後、医者から呼び出されて、癌であることを聞かされた。 「余命半年って?」  雅恵と泰は驚いた。余命半年だなんて。やっと子供ができたというのに、どうしてこんな事になるんだろう。嘘だと言ってくれ。夢であってくれ。だけど、それは本当だし、現実だ。 「はい。頑張りますが、これが限界です」  医者は申し訳ない気持ちでいっぱいだ。頑張っても、命を救う事ができない。命を救うのが医者の仕事なのに。 「そんな・・・。まだ子供が幼いのに」  雅恵は生まれたばかりの武夫の事を思い浮かべた。まだまだこれから成長していかなければならないのに、どうしてこんな事で夫がいなくならなければならないんだろう。あまりにも悲しすぎる。 「申し訳ございません・・・」  それを聞いて、泰は泣き出した。もっと武夫に愛情を注ぎたかったのに、こんなにも早くあの世に行ってしまうなんて。どうしてこんな人生になってしまったんだろう。神様に問いかけたい。だけど、そこに神様はいない。 「あなた・・・」  雅恵は泰の肩を叩いた。悲しいけれど、奇跡を信じよう。 「俺は大丈夫なのか?」 「うん。きっとよくなるって」  泰は少し泣き止みそうになったが、また泣いてしまった。癌なんて、もう治らないと思っている。ただ、死を待つのみだと思っている。 「ならよかったけど」  泰は武夫の事を思い浮かべた。もうあと少ししか武夫を抱く事ができないかもしれない。だけど、短いからこそたくさん愛情を注ごう。 「武夫の成長、見たいな」 「見たいね」  2人は武夫の成長を思い浮かべた。2人で見る事ができる時間は少ないけれど、離れ離れになっても泰は天国で見守るだろう。  だが、それから数か月後、突然、医者から電話がかかってきた。泰が入院している病院からだ。一体、何だろう。まさか、泰のみに何かがあったのでは? 「えっ!? 危篤?」 「はい。早く来てください!」 「はい!」  自宅のリビングにいた雅恵は自動車で泰がいる病院に向かった。どうしてあんなにも早く危篤になってしまうだろうか? まだ半年の半分になっていないのに。  病院へ向かう間、雅恵は焦っていた。どうか無事であってほしい。まだまだ愛情を注ぎたいと思っていたのに。どうか生き延びてほしい。  約10分後、雅恵は病院にやって来た。病院の前は騒然としている。まさか、泰の事だろうか?どうか、違っていてほしい。  病院の前には泰の担当医がいる。担当医はまるで、雅恵が来るのを待っているようだった。担当医は焦っている。どうしてだろう。まさか、泰の身に何かあったのかな?  車から降りると、雅恵はすぐに担当医の元に近づいた。 「すいません、泰は大丈夫なんですか?」 「こちらへ・・・」  担当医は寂しそうな表情だ。まさか、死んだんだろうか? 最悪の現実が待っているんだろうか?  担当医に連れられた部屋には、顔に白い布をかけられた男がいる。それを見てすぐに、それが泰だと確信した。 「息を引き取られました・・・。お悔やみ申し上げます・・・」  担当医は悲しそうだ。あれだけ頑張って治療してきたのに、報われずに死んでしまった。 「そんな・・・。そんなー!」  雅恵はその場に泣き崩れた。こんなに突然、私の元から離れてしまうなんて。  それ以来、雅恵は泰の分も愛情をこめて武夫を育てた。武夫は泰からの最後の贈り物だから。  いつの間にか、雅恵は涙を流していた。今でも泰の事を思い出すと、涙が出てくる。死んでもう15年経つのに、どうしてだろう。 「どうしたの? 泣いてるよ」 「大丈夫よ」  そろそろ寝る時間だ。明日も学校だ。早く寝ないと。 「おやすみ」 「おやすみ」  武夫は部屋に向かった。だが、雅恵はその後も見ている。今日も月がきれいだ。天国で泰も月を見ているんだろうか? 「はぁ・・・」  だが、今日も泰は見えない。天国に行かなければ、会えないんだろうか? だけど、まだ行く時ではない。天寿を全うするまで行けないだろう。 「もう寝よう・・・」  雅恵ももう寝る事にした。明日も朝早くから朝食を作らなければならない。  雅恵は部屋に戻ってきた。武夫はすでに寝ている。かつてはここに泰が寝ていた。今ではここに武夫が寝ている。今頃、どんな夢を見ているんだろう。 「おやすみ、あなた・・・」  雅恵は目を閉じた。今夜はどんな夢を見るんだろう。全くわからない。  雅恵は目を開けた。そこには泰がいる。結婚式の時と同じ姿だ。夢の中だとは知っているけど、まるで現実のようだ。 「あなた?」 「武夫の成長、見てたよ」  泰は優しそうな表情だ。まるで、あの時と一緒だ。また会いたいと思ったから、来たんだろうか? 「本当?」 「ああ。でも、間近で見たかったな」  泰は、武夫の成長をもっと見たかったようだ。そのたびに泰は思う。どうしてこんなにも早く死んでしまったんだろう。何も悪い事をしていないのに。 「そうよね。でも大丈夫、私が立派に育てて見せるから」 「本当?」  泰は嬉しくなった。育てる期間は短かったけど、それ以上に雅恵はよく育てている。そう思うと、雅恵は本当に頑張り屋さんだなと思う。 「任せて! あなたが果たせなかった夢、武夫に頑張ってもらおうと思ってるの」 「それは嬉しいな。僕が生きられなかった分、精いっぱい生きてほしいな」  武夫にはいくつか、夢があった。だけど、その夢を武夫にかなえてもらおう。そのためには、もっと武夫が頑張ってくれないと。 「そうね」  泰は空を見上げた。そろそろ天国に帰る時間だ。 「じゃあ、僕は、天国に帰るよ」 「じゃあね」  雅恵は涙を流した。また離れ離れになる。だけど、天国からきっと見守っているだろう。 「いつまでも僕は、天国で見守っているからね」 「ありがとう」  そして、泰は天へと昇っていった。雅恵はじっとその様子を見ている。 「じゃあね」 「あなた・・・」  これからも見守っていてね。この子を立派に育てて見せるから。
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