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「いただきます」
目の前に座る夫、博貴はそう言って、私が作った肉じゃがを食べ始める。険しい顔は、会社にいる時と変わらない。しかし、堅苦しいスーツではなく、灰色のスウェットを着ているので、ちぐはぐに感じる。
「いただきます」
私もそう言って、小松菜のおひたしに手をつける。ちらりと博貴の方を見るが、変わらず無愛想な表情だった。
「そっちは最近どうだ」
彼が、平坦な口調で聞いてくる。
「うん。順調かな。ただ、課長がワンマンだから、振り回されることも多いかも」
「そうだよな。あの課長、仕事はできるけど、部下の言うことは聞いてくれないもんな。綾香も大変だな」
あんまり感情のこもっていないような声は、ちゃんと同情してくれているのかどうかは分からない。
「うん。ありがとう」
私はジャガイモを口に入れる。ちょうど良い固さになるように煮たそのジャガイモも、あんまり味がしなかった。
私たちは、一か月前に結婚したばかりだ。博貴からプロポーズを受けた時は、驚きだった。同じ会社で同じ部署、同期入社でよく飲みに行ったりしていたものの、交際していたわけでもなく、急に結婚を申し込まれるなんて、想像できるわけがない。しかし、その後に続く彼の言葉に、私は唖然とした。
「仮面夫婦にならないか」
彼が言うには、結婚には興味がなく、ずっと独り身でいたかったものの、家族や上司にせっつかれることに嫌気がさしていた。そこで、結婚に興味がなさそうな私に、こんな提案をしたのだ。
「お皿は俺が洗うから、先に寝ていいぞ」
彼の言葉に、「ありがとう」と返す。私は自分の寝室に向かう。もちろん彼の寝室とは別の部屋だ。
ベッドに腰かけて、ぼんやり窓の外を見る。マンションの明かりがきらきらと輝く中、小さな三日月が浮かんでいた。
さっきの博貴とのやり取りを思い出し、心臓がどきどきと脈打つ。同じ屋根の下で一緒に夕食を取るなんて夫婦みたいなこと、いや実際は夫婦なのだが、思い返すだけで興奮してしまう。彼のりりしい顔が頭に浮かび、胸がきゅんと締め付けられる。
「あああああ、だめ、かっこよすぎる」
私はベッドに寝ころび、右に左にごろごろと転がる。今にも叫びだしたいくらいに、興奮していた。
私は今の会社で働き始めた頃から、博貴のことが好きだった。しかし、職場恋愛なんて、きっと叶わない、そんなことを思っていたら、彼からプロポーズされた。好きな人と急に夫婦になるなんて、まるでドラマみたいで、驚いたのと同じくらい、嬉しかった。けれども、仮面夫婦という話を聞いて、迷いが生じた。ここで断ったりしたらもうチャンスはないだろうけれども、ずっと仮面をかぶった夫婦のままでいるなんて辛いのではないか、なんて思った。結局はプロポーズを受けて、夫婦になった。しかし、心のモヤモヤは、消えることはなかった。
私には、相談できる相手はいなかった。家族にも仮面夫婦だなんてことは言えない。ましてや、会社の人間にこのことを明かせるわけがない。ずっとモヤモヤを抱えたまま、新婚生活を送っていた。
私はテーブルの上に置いたスマートフォンを手に取る。パスワードを入力すると、結婚式の写真がトップ画面で出てくる。その写真ですら、彼は硬い表情をしている。デスクトップの画面、そこには“チュイッター”のブックマークのアイコンがあった。相談できる人間と言われて、一人だけ思い浮かぶ人がいる。
私はチュイッターのアイコンを優しくタッチした。
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