籠もり人

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 指定した時間になると、チャイムが鳴った。恐る恐る、通話ボタンを押下する。 「は……はい」 「こんにちは。陸路配送担当の加藤です。この度はご迷惑をおかけしまして申し訳ありません」 「あぁ……いえいえ。ご足労いただきありがとうございます」 「先ほど、こちらのマンションの管理担当に確認したところ、配送員は居住エリアに立ち入らないように、とのことでしたので、申し訳ありませんがこちらの一階ロビーにてお荷物を確認いただけますでしょうか?」  配送員は居住エリアに入れない? そんな決まり、いつできたのだろう。 「え、ああ。はい。……すみません、ロビーまで行くと思っていなかったので、準備が。少しお待ちいただけますか?」 「かしこまりました」 「あ、あのぅ」 「はい」 「待っていただくと追加料金がかかったりとか……」 「外出までの準備時間程度で追加料金をいただくことはありません」 「ありがとうございます。できるだけ急ぎます」 「よろしくお願いします」  対面だから、と寝ぐせは直しておいたが、どうせ一度限りの対面だからと、気にせず部屋着のままだった。  しかし、ロビーまで行くとなると、この格好ではなんだか恥ずかしい。恥ずかしい? こんな感覚、久しぶりだ。  どんな格好をすればいい? 以前、外へ出た時は、どんな格好をしたんだったっけ?  焦り、家の中をドタバタと駆けまわる。クローゼットの奥、今は触れることがない、懐かしいものばかりを仕舞いこんでいる箱の中に、いかにも長い間仕舞っていました、という何とも形容しがたい不思議な香りを放つ外出着を見つけた。これ以外には見つからない。捜索の継続を諦めて、見つけた服に消臭スプレーを吹きかけ誤魔化し、袖を通す。  さて、とりあえずロビーへ行くための準備はできた、気がする。それでは、いざ……と、玄関から出るときはどうするんだったか、としばし考える。  そうだ、鍵だ。鍵をかけないといけない。別に誰かに侵入されることなどないのだろうけれど、鍵は居住者であるという証明でもある。外に出るなら、鍵をかけた方がいいだろうし、鍵を持っておいた方がいい。  それで、鍵はどこだ?  ああ……たぶん、スクリーンのそばに置きっぱなしのはずだ。  ほら、あった。  鍵を掴み、玄関ドアを開き、通路へ出る。  こんな場所だったっけ?  壁紙の柄は、こんなに騒がしかったか?  久しぶりすぎて、それに変化があるのかないのか分からない。  さて、部屋から配達員が待っているロビーまでは、エレベーターで行くんだったか? 違う。配送用ルートの隣に、移動用シューターがあるから、それを使って降るんだ。あんまり外に出ないものだから、ほとんど忘れてしまっていた。  あれ、昇る時はどうするんだっけ?  なかなか思い出せないが、降りてしまえば何か分かるだろう。自分が今ここにいるということは、ここにくる術が一階にあるということだ。  へへ、と忘れんぼうな自分を嗤いながら、シューターのフラップを開ける。使っている人がほとんどいないからか、はたまた定期的にメンテナンスがなされているのか。汚れなく、傷みもない、ピカピカの足場に足をのせた。  そして、降下レバーをぐいと引くと、足場がすぅっと降り始めた。少し肝が冷える速度だが、だからこそ少し楽しい。こんな感覚、いつぶりだろう。  しばし軽く浮いた感覚を楽しんでいると、突然、足場が前方に滑り出た。思わず「うわっ」と声が出た。前を見る。と、そこには大地に近い世界、一階が広がっていた。  足場が勝手に後ろへ戻ろうとするから、急ぎ飛び降りる。足場がシューター内部におさまる様をぼーっと眺めていると、シャッターが左右から迫ってきた。一歩進み出る。シャッターがぴしゃりと閉まる。こうして私は、一階に押し出されるように降り立った。
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