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陽菜を寝かしつけた後、私は改めて母の遺品を整理していた。
晩年、母は手芸に凝っていたらしい。陽菜が手にしていた人形をはじめ、母の寝室だった部屋にはたくさんの手作りの品があった。トンボ玉にお手玉、竹とんぼもある。見渡す限り、子供が遊ぶものばかりだった。陽菜の為に作ってくれていたのだろうか。だとしたら、言ってくれたらよかったのに。千鳥模様の和紙をあつらえてある人形を一つ手に取り、それを眺めていると、陽菜を寝かせている部屋の方から物音が聞こえてきた。目を覚ましたのだろうか。トイレかもしれない。そう思って、襖の間からちらりと部屋の奥を覗く。
陽菜が立ち上がっていた。ふらり、とどこかおぼつかない足取りで歩いている。
声をかけようとした瞬間、私は息をのんだ。
陽菜の右腕が、高く掲げられている。二の腕が自分の耳にぴったりと当たるほど、まっすぐに。その不自然さに、私はすぐに気が付いた。その腕は、陽菜の意思で掲げられているわけではなかった。その逆だ。陽菜の身体は、伸びた右腕から引っ張り上げられるようにして、宙に吊られていた。おぼつかない様子で歩いているように見えた足は、地面を離れてぶらついていたのだ。
私には、目には見えない巨大な何かが、陽菜の身体を吊り上げているように見えた。荒唐無稽な考えだ。しかし、目の前で起きている現象に理由をつけるとするならば、そうとしか考えられない。目を瞑ったまま片腕を高く掲げている陽菜の姿を見て、私の中にあった古い記憶の一部分が唐突に思い起こされる。それは、あの夏の日のことだった。四つ辻で待ち合わせた友達と手をつないで、彼女の家まで道案内をされていた途中、私もまた、あんな風に腕を高く上げていたのではなかったか。そして文字通り手を引かれて、私はあの場所に誘われたのだ。神隠しの屋敷。彼女の背丈は、私に比べてずっとずっと大きかった。四つ辻にぽつりと立っていた黒い影。どうして忘れていたのだろう。その巨大さは明らかに、人間のものではなかった。
「だ、だめっ!!」
気が付くと、私はそう叫んでいた。
次の瞬間、陽菜の身体は急に放り出されて畳の上に転がった。
見えない何かが、掴んでいた陽菜の右腕を手離したのだ。私はとっさに駆け寄り、陽菜のパジャマをひっつかんで抱きすくめた。深い眠りに落ちたままの娘が確かに腕の中にいることに安堵しながら、私は周囲を睨みつけた。
ここに何かがいる。今の私の目には見えない何かが、陽菜を連れて行こうとしている。
ぼんやりとした疑念は、私の中で核心に変わりつつあった。
ここにいてはいけない。陽菜はすでに、見つかってしまっている。
昼間、住職に言われていたことを思い出した。
「早い方が、いいかもしれませんね」
何故住職は、私に滞在期間を短くするよう促したのだろう。台風を理由にしていたが、そうだとしてもあのタイミングで言い出すのはいささか不自然だ。彼はなにかを知っていたに違いない。だから忠告をしたのだ。何か大きな不幸が起こる前に、ここを去れ、と。
私は片腕で陽菜をしっかりと抱き、財布と携帯電話だけを持って家を出た。
寝巻のまま、借りていた車に乗り込み、急アクセルで発進させる。
チャイルドシートに座らせた陽菜が、眠い目をこすりながら目を覚ました。
「ん……ままぁ、どこいくの?」
「まだ考え中。陽菜はそこでいい子にしていてね」
「はぁい……」
程なくして陽菜はまた寝息を立て始めた。ハンドルを握りながら、バックミラーに視線をやる。人工的な灯りの無い暗闇の中、母の生家は依然としてひっそりと佇んでいた。
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