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両手に荷物を抱えて、一階のロビーに現れた彼女を、俺は見つける。来客用のソファから腰を上げ、寂しそうに歩く彼女に声をかける。
「少しお時間いいでしょうか?」
「へ?えと、私に?ですか?」
突然の事に目をぱちくりさせる彼女に、俺は思わず笑みがこぼれる。
俺は、名刺入れを取り出し抜き出した名刺を、彼女に差し出す。
「いつもお世話になっております。私、こういう者で」
恐る恐る名刺を受け取った彼女は、名刺に書かれた文字を読み、そして顔を上げる。その表情は、驚きと、恐怖が入り混じっている。
「と……取締役……わ……私に一体何の……え……私……なにかとんでもない事をやらかして……?」
百面相とはこういうのか、というくらいの表情の移り変わりに、俺は追い討ちをかける。
「ええ。まったく、とんでもない事をやらかしてくれました」
「ひえっ!」
恐怖で目を見開き、小さく悲鳴を上げる彼女に、僕はとうとう堪えきれず吹き出してしまう。
「嘘、ですよ?」
「う……うそ……?」
半泣きの彼女がさすがに可哀想になってしまう。
「今日まで我が社にお力を貸して下さり、ありがとうございます。おかげで、新システムも順調に稼働しています」
「あ……いえ……私なんて下っ端もいいところなので……お役に立てて幸いです……」
そう。彼女は、この会社の新システム開発のために今日まで常駐していた、別会社の社員なのだ。
「あなたとお会いするのが最後だなんて、残念でなりません」
「へ?私……取締役とお会いした事……ありました?」
混乱する彼女に、俺は頷く。
「ええ、毎日。食堂のメニューを前に、嬉しそうに笑うあなたを」
「……え?」
そう言うと、彼女は俺の前に両手を突き出し、俺の顔を隠すようにこちらを見る。そして、ハッと気づき、両手を下ろすと同時に叫ぶように言った。
「まさかあなた……食堂の!」
「しっ、声が大きいですよ?」
俺は、人差し指を口に当てて、茶目っ気たっぷりに笑う。
「明日から、あなたの笑顔が見れなくなるのが寂しくて、こうして帰りを待ち構えてしまいました」
俺は、事態がまだ飲み込めていない彼女に、勇気を出して言った。
「なので、どうか僕と、お友達から始めていただけませんか?」
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