7人が本棚に入れています
本棚に追加
「案ずるな。お前の願いは他の欲に塗れた人間どもに比べればささやかなものだ。命を奪うことまではしない」
「だったら、何を差し上げればいいのですか?」
得体の知れないものを目の当たりにした恐怖心から、私の声は震えていた。必要以上に言葉遣いがかしこまる。
「差し出されるものになど興味はない。私はお前の一番大切なものを奪い取ってやろう」
「一番大切なもの……」
私は思い浮かべた。何よりも大切なものは言うまでもなくあの子。けれど、この悪魔は命までは取らないと発言している。悪魔が私のイメージする通りの性質を持っているなら、謀りはあろうが言葉そのものに嘘はないはずだ。
「私はね、聡い人間は好きだよ。騙しやすい方が都合はいいが、そういう人間の魂はさして美味しくはない。私はお前のような慎重な人間が絶望する様が好きなんだ」
悪魔はより私を慄かせようと、涎を啜るような音を立てた。
「さあて、どうしてくれようか。お前の心はとうに見透かしている。あの子の何を奪おうか」
「お願いするのは私です。どうか、あの子からは何も奪わないで」
「それは新しい願い事か?」
急に近付いた悪魔の顔に、私は最大限仰け反った。足は縫い付けられたように一歩も動けない。息ができなくなるくらい反り返ることが、私にできる唯一の抵抗だった。
「いい反応だ。恐怖に満ちている」
研ぎ澄まされた爪が私の頬をなぞる。
たった一つの願い事でさえこれほど神経を削られるのに。これ以上相手に弱みを見せてはいけない。
最初のコメントを投稿しよう!