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第二章
「いやぁすまんな。こんなにボロい店やと思わんかったわ」
雑居ビル5階という歓楽街にだけ存在するような立地の焼き鳥屋に入って早々、野洲はそう言った。ドリンクを聞くために待機していたスタッフの女の子が苦笑いしながら「お飲み物はどうしますか?」とハンディ機を構える。
「生中」と野洲、
「レモンサワー」と美幸さん、
「こだわり梅酒、ロックで」と俺が注文する。
「お前、初めての店でよぉ『こだわり梅酒』なんか正式な商品名言えたなぁ」
「お前の頭の後ろにちょうど貼っとんねん」
銅鑼のように騒ぐ野洲をいなしながら、俺は斜向かいに座る美幸さんを見た。ふわふわした明るいブラウンの髪が白いニット帽からこぼれている。頬は寒さとチークで赤く染まっている。美幸さんは俺の視線に気付き、
「初めましてぇ。野洲裕也のすゆうや君とお付き合いしてます、茅森美幸かやもりみゆきっていいます。ごめんねぇ、裕也君が紹介してくれるのを待ってたんだけど、早速口が壊れちゃったみたいでぇ」
と自己紹介をしてくれた。口調と相まって眠たそうに下がった目と全体的な雰囲気から、失礼ではあるが「野洲とは飲み屋で知り合ったんですか?」と聞きたくなった。
「美幸とは飲み屋で知り合ったんやけどな」
俺が失礼を言う前に野洲がなれそめを語り出す。助かった。
語りが始まる前にちょうどお酒が到着する。野洲が話を続けたそうにそわそわしていたので手短に「乾杯」とグラスを合わせてひと口だけ飲んだ。とろっと甘い梅の香りが口一杯に広がり『今から酒の交流を始める』というスイッチが入る。
「っかーうめぇ。そんで俺が仕事終わりに1人で入った居酒屋に美幸がおってやな。食べもんも頼まんとひたすらレモンサワーを飲んでは追加のジョッキ交換リレーしてたのが面白くて、つい声をかけたんが始まりや」
「野洲、お前ナンパとかするタイプやっけ」
「ナンパはしたことないけど、なんか、1回気になったらずっと気になるもんやん? 秒針の音とか、壁のシミとか。時間が経てば経つほど、これは声かけなあかんなって気になってもて」
「女の子の話をしてる時にシミとか言うなよ。デリカシー終わってんのか」
「すみませぇん、レモンサワー追加でぇ」
美幸さんが早速グラス交換リレーの片鱗を見せる。レモンサワーが運ばれてきたタイミングで野洲が適当に串を頼んでくれたので、俺は安心してちびちびと梅酒を飲む。
串は想像以上に多く届いた。鶏モモのたれ6本に塩6本。皮、やげん軟骨、ささみ鶏ワサビ串も6本ずつ届き、すぐにテーブルの上が皿で一杯になる。
「多くないか?」
「どうせこんくらい食うやろ」
野洲は鶏モモを手に取り横からかぶり着いた。そつなく注文をこなす姿に4年間の空白を感じる。野洲ってこんな奴だったっけ、と、そうそうこういう奴だったよ、が頭の中で擦りあわされていく。
鶏モモをかじると、じゅわっと甘い油が滲み出てきた。焼き鳥屋の鶏モモを食べたのは随分と久しぶりだった。スーパーに売っている特売のものとは雲泥の差だ。俺は野洲に、
「スーパーに売ってる鶏モモは、お前みたいに運動を全くせぇへん不健康でかりんちょりんな鶏のモモなんやろなぁ」
と言ってみる。野洲は即座に打ち返してきた。
「あほ言うな。もし俺みたいな奴やったら肉が筋張っててよぉ食われへんわ。こんだけ油が乗ってんねんから、下手に中高と陸上やってて卒業から10年間まったく運動せんなってメタボになったお前みたいな鶏やろ」
2人同時に鶏モモ串にかぶりつき、一気に串を引き抜く。
(減らず口を)(おぉ?)と目だけでけん制しあっていると、美幸さんが空になったレモンサワーをテーブルに置いて静かに言った。
「……2人ともぉ、目の前でおいしく頂いている命に、その言い草はないんじゃない? あ、レモンサワー追加でぇ」
ーー
「美幸さん、こんな奴のどこがええの?」
注文のペースが落ち着いてきた頃合いに俺は美幸さんに切り出した。鶏に手を付けずにお酒ばかり飲んでいる所為か、彼女は元々赤かった頬をさらに赤くしている。
「んー? こうやって裕也君が森田君と話してるみたいに、何でも言い合えるような関係を私とも築いてくれたところかなぁ」
臆面もなく言い切った美幸さんの言葉に、野洲がからんと串を落とす。
「美幸、さすがに寒いわ。俺がおる横で照れもせずそんなこと言う?」
「強いて言うならぁ、こうやって森田君との関係みたいにぃ、何でも言い合える関係を私とも作ってくれちゃうところかなきゃぴっ」
「照れたら言うてええもんでもないけどな!?」
「さすがやわ美幸さん。野洲にはこんくらいの人じゃないと合わへんわ。野洲をよろしく」
「もぉー森田君。三者面談じゃないんだから」
三者面談。その言葉を聞いて、急に酔いの世界からぐんと現実に連れ戻された。そうだ。俺はここに和気藹々としに来たわけではなかった。
俺が知らない野洲と出会い、野洲の変化に少なからず関わった美幸さん。それまでの野洲の十数年間と関わった俺。産みの親を無視しての新旧親子合戦の心持ちで俺は名古屋に足を踏み入れたのだった。そんな決意はアルコールと良質な油に混ざってもう消え去ってしまった。
美幸さんは一向に白いニット帽を外そうとしないまま、レモンサワーを飲み続ける。野洲が「焼き鳥食わんのか?」と聞くと「いらないよ。ボンボンがタレで汚れるしぃ」と頭を揺らしていた。変な人だ、と俺は率直に思う。
「そりゃ野洲と合うわけだ」
「おい。お前いま失礼な言葉を省略したやろ。美幸にはええけど俺には許さん」
ガルルルル、と野洲が俺を威嚇する。美幸さんは俺たちのやり取りなど露ほども気にしていないようで「すみませーん、レモンサワーおかわりぃ」と店員さんに告げていた。
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