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第一章
『子供が3月に産まれる予定なんや』
名古屋で酒を交わした4年前を最後に音沙汰がなかった野洲のすからの連絡は、会わない期間に対する文脈などが一切ないものだった。
『結婚の報告受けてないんやけど。相手は美幸みゆきさんか?』
『そや。授かり婚でな。嫁の腹も大きいから式は挙げへん。報告だけや』
追及を許さない文章構成に説明疲れが見える。そっとしておこうと思いスマホをしまうタイミングで通知が入った。また野洲からだ。
『今年の年始は兵庫に帰らんのか?』
今年の年始は過去のことやろ、と返信しようとして、揚げ足を取るのは良くないだろうと思い留まる。こんなにレスポンスを早く思いつくのはいつぶりだろうか。4年も会っていないと、当時は石ころのように思っていた部分が途端に宝石のように輝いて見えることがある。
『野洲が帰るなら、帰るよ』
そう返信してスマホをしまう。
そんなやり取りがもう2か月も前のことだ。
駅のホーム、底冷えした空気の中、頬や耳が自分の一部とは思えないほど冷たい。ゆったりと余韻を持たせながらホームへ滑り込んできた電車が、ため息のように扉を開く。
俺は地元への一歩を踏み出した。
ーー
俺と野洲の出会いは、小学2年生の頃だった。
俺たちのクラスには日本人の父と台湾人の母を持つ七里しちりという男の子がいた。当時の俺はなぜか、彼が毎朝台湾から登校していると勘違いをしていた。
どのタイミングだっただろうか。その勘違いが彼にバレてひとしきり馬鹿にされた際に「森田、お前親友になろう」と直々に告げられ、彼との交友が始まった。七里のもうひとりの親友が野洲だった。
俺たちは放課後や土日こそ集まりはしなかったが、校内ではいつも固まって過ごしていた。七里は喘息が原因で激しい運動ができないため、休み時間は3人で図書室に入り浸るのが日課だった。
交わした言葉は少なく、当時の野洲の声は一切思い出せない。それでも俺たちの絆はぴったりと互いの隙間を埋め合っていた。
5年生に上がった年の7月、七里は台湾へと帰っていった。彼から登校最終日に渡された水色のギフトバックのことは今も鮮明に覚えている。ただ、中身は一向に思い出せないままだ。
日本に残された俺と野洲は、地球上に3人しかいなかった人類が2人になってしまったような、絶望に近い喪失感を感じていた。
埃っぽい空調の風を浴びながら、深く椅子に腰かける。煌々と車内を照らす蛍光灯が目に煩い。野洲から『何時ぐらいに駅につきそうや?』と連絡が来たので時間を確認する。
18時04分。
『20時半くらいになると思う』と返信し、俺はしっかりと目を閉じた。2時間半の道行は始まったばかりだ。時間はある。
俺はまだ、野洲に会った時の第一声を決めあぐねていた。
今ならわかる。俺と野洲の間にあるのは、絆の残渣だ。
中学卒業までを同じ学び舎で過ごし、高校からはあいつが地元を出た。帰省の度に顔を合わせ、いつしか酒を酌み交わすようにもなった。野洲が結婚するなんて誰が想像しただろうか。
若気の至りだろうか。もしくはつまらない人生への意趣返しか。あるいは双方の思惑が合致した結果かもしれない。そんな背景を何年も会っていない友人から読み取ろうとするのは、とても遠い道のりだ。
まどろんでいく意識の中で俺は、4年前に野洲と俺、そして当時野洲と付き合って半年だった美幸さんと焼き鳥を食べに行ったことを思い出していた。
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